【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

真面目

2009-11-21 18:10:07 | Weblog
 「あの人は真面目な人だ」は、単にその人の状態を表現しているだけで、その人自身の価値判断や仕事の評価をしているわけではありません。

【ただいま読書中】
マン・オン・ワイヤー』フィリップ・プティ 著、 畔柳和代 訳、 白楊社、2009年、2200円(税別)

 「十八歳になりたてで、自由で、反抗的で、人間不信」な著者は、歯医者の待合室の雑誌で、大西洋の向こうで建設予定の摩天楼の記事を読み、心を奪われます。ノートルダムの尖塔の間やシドニー・ハーバー・ブリッジで違法な綱渡りをやった著者は、大道芸をしながらニューヨークに上陸します。目指すはワールド・トレード・センターの建設現場。
 著者は慎重に計画を練ります。人の出入りのパターン、警備員の巡回パターン、警察の動きを偵察し、何回も屋上まで侵入し、さらには観光ヘリで空中からの偵察まで。渡り綱の長さは42m、それをどうやってツインタワーの間にかけるかに良いアイデアはありません。さらに、控え綱(渡り綱の途中から斜めに張って渡り綱の振動を抑える役目)をどこにどう張るか、突風対策は、タワーの振動にどう対処するか……計画はありません。
 それでも著者は、仲間を募り金を集め、突っ走ります。軽やかに。あまりの障害の多さに一度は断念しますが、あきらめきれず、再突撃。しかし「口論」の多い仲間たちです。時間があれば口論をしています。眠るべき時に徹夜で、手を動かすべき時には手を止めて口論をしています。まるで自分の人生の目的は口論であるかのように。それでもなんとか準備が整ったのは、奇跡に思えます。
 まるでテロリストの潜入のような準備工作を著者らは行ないます。ぎょっとするのは、素人集団なのにまんまと成功してしまうこと。グループの侵入、大量の資材(ワイヤーとかそれをぴんと張るための機械など)の持ち込み、いずれもやすやすと。これがテロリストだったら大量破壊ができちゃうわけです(後日彼らは警備の人たちに警備の穴についてレクチャーを行ないます)。でも彼らがやるのは、綱渡り。1974年8月。ワールドトレードセンターのツインタワーの間に徹夜で綱を張り、控え綱を張り間違え、それでも、昇る朝日にせかされるように著者は第一歩を高度411mの虚空に張られたワイヤーに印します。
 独特の魅力がある文体です。ランボーの詩をそのまま散文にしたような感じで、きっとフランス語で読み上げたらぴったりなんでしょうね。さらに短い章が次々重ねられ、章自体は時系列で並べられているのに、まるで映画のカットバックのような効果を読者の心にもたらします。
「空間はもはや空間であるにとどまらない。空が私を呑み込む。何と見事な死に方だろう! なんたる歓喜。そんなやり方で無重量の神秘をかすめるなんて!
 空は私を知らないふりをする。
 長い竿を持つ私の両腕……朝もやを押す私の足の裏……露を吸収しているケーブル……私は中間点を過ぎる。」
 結局著者は逮捕され、子どもたちにパフォーマンスを見せることとひきかえに告訴を取り下げられて釈放されます。有名になり、あちこちで綱渡りをし、そしてツインタワーの展望台の「永遠に有効」と書いてあるVIP通行証を進呈されます。
 本書に込められた著者の「思い」は、殺されたツインタワーへの鎮魂歌なのでしょう。風に乗って世界中を軽やかに舞うような歌です。