私の子どもの学校ではいまだに電話による連絡網を使っていますが、これ、機能不全状態です。だって平日にはまず次の家(さらにその次の家)は電話に出ません。休日もまず間違いなく不在です。何回も電話してやっとこさしぶしぶつながります。つまりこの連絡網、緊急時には全然役に立ちません。おっと、平時にも役に立ちません。だってつながらないんだもの。
まあ、回ってくる用も大したことはないので“実害”はありませんが、携帯(またはパソコン)でのメール(BCCでの一斉送信)ですませば良いんじゃないかなあ。メールアドレスは秘密、という人は、その他の手段を登録するか(たとえば葉書? もちろんその場合には実費は本人負担)/連絡は一切なしでも良いのどちらかを選択すれば良いと思うのですが。
【ただいま読書中】
『エイロスとカルミオンとの対話』(ポオ全集3 新装版)エドガー・アラン・ポオ 著、 松原正 訳、 東京創元新社、1970年、2500円
「彗星による人類絶滅」テーマとしては『毒ガス帯』(コナン・ドイル)(先月12日の読書日記に書きました)が古い作品と思っていましたが、もっと古いのがありました。1839年、エドガー・アラン・ポーによる本作です。わずか7ページの作品ですが、この手の話に興味がある人には必見でしょう。
本書では、地球に彗星が接近・衝突、それによって、聖書の予言の通り地球は燃え上がる火の玉となってしまいます(ではそれを語るのは誰だ?というところにもポーの“仕掛け”があります。なお同じ仕掛けは同じ本に収載されている『モノスとウナの対話』でも使われています)。地球が壊滅するための科学的メカニズムは(現代からは)ツッコミどころ満載ですが、当時はまだ「科学」という言葉が定着していなかった時代であることをお忘れ無く。実際本作には「科学」「科学者」という言葉は登場しません。現在このテーマで映画や現実の組織を作るとしたら、科学者が中心にいないことは考えられませんが、本作では天文学者や学者は、「思索をする人」(哲学者、賢者)に思索のためのデータを提供するための“下働き”でしかありません。
当時最新の知見(空気は、酸素21%と窒素79%の混合物であること)だけからこれだけの“ストーリー”を組み立てることができたポーの想像力の豊かさに、私は敬服します。当時は「化学」が「科学」になろうとして苦闘していた時代です。科学的事実も概念も社会での科学の立場も不十分だったのに、それをフルに使って当時の人々に受け入れ可能な物語を紡ぎ出しています。
ちなみに1839年は、日本では天保十年、蛮社の獄が起きた年です。
まあ、回ってくる用も大したことはないので“実害”はありませんが、携帯(またはパソコン)でのメール(BCCでの一斉送信)ですませば良いんじゃないかなあ。メールアドレスは秘密、という人は、その他の手段を登録するか(たとえば葉書? もちろんその場合には実費は本人負担)/連絡は一切なしでも良いのどちらかを選択すれば良いと思うのですが。
【ただいま読書中】
『エイロスとカルミオンとの対話』(ポオ全集3 新装版)エドガー・アラン・ポオ 著、 松原正 訳、 東京創元新社、1970年、2500円
「彗星による人類絶滅」テーマとしては『毒ガス帯』(コナン・ドイル)(先月12日の読書日記に書きました)が古い作品と思っていましたが、もっと古いのがありました。1839年、エドガー・アラン・ポーによる本作です。わずか7ページの作品ですが、この手の話に興味がある人には必見でしょう。
本書では、地球に彗星が接近・衝突、それによって、聖書の予言の通り地球は燃え上がる火の玉となってしまいます(ではそれを語るのは誰だ?というところにもポーの“仕掛け”があります。なお同じ仕掛けは同じ本に収載されている『モノスとウナの対話』でも使われています)。地球が壊滅するための科学的メカニズムは(現代からは)ツッコミどころ満載ですが、当時はまだ「科学」という言葉が定着していなかった時代であることをお忘れ無く。実際本作には「科学」「科学者」という言葉は登場しません。現在このテーマで映画や現実の組織を作るとしたら、科学者が中心にいないことは考えられませんが、本作では天文学者や学者は、「思索をする人」(哲学者、賢者)に思索のためのデータを提供するための“下働き”でしかありません。
当時最新の知見(空気は、酸素21%と窒素79%の混合物であること)だけからこれだけの“ストーリー”を組み立てることができたポーの想像力の豊かさに、私は敬服します。当時は「化学」が「科学」になろうとして苦闘していた時代です。科学的事実も概念も社会での科学の立場も不十分だったのに、それをフルに使って当時の人々に受け入れ可能な物語を紡ぎ出しています。
ちなみに1839年は、日本では天保十年、蛮社の獄が起きた年です。