ドバイ・ショックがどのくらいのダメージを世界経済に与えるのかはわかりませんが、円の独歩高を見ると、ダメになったと思える日本経済はまだ世界の中では「良い方」という評価を得ているのかな、とも思えます。実体の評価ではなくて投資上での評価ではあるでしょうが。ただ「良い面」があるのなら、まずそれを認識し、そしてそれを強みとしてこれから立ち回ることも考えた方が良いでしょう。「不景気だ」「もうダメだ」とだけ言っているのではなくて。
ちょっと古い話ですが2000年のことを思い出しました。この年世界保険機構WHOが「世界各国の医療保健制度国際ランキング」を発表し、そこで日本は第一位でした。ところが日本のマスコミはそれを無視して盛んに「日本の医療は最低最悪だ」との報道を繰り返していました。WHOがそれ以降国際ランキングの発表をしていない様子なので(少なくとも私には見つけられません)「医療崩壊」で現在はどのくらいまで日本のランクが下がったかは知りませんが、医療にしても経済にしても(そしておそらく政治に関しても)、あまりマスコミの“誘導”を信じないで「良い面」をまず認識してそれを未来へどう生かすかを考えた方が良いのではないか、なんてことを私は思っています。
【ただいま読書中】
『百億の昼と千億の夜』光瀬龍 著、 ハヤカワ文庫JA6、1973年(1008年37刷)、780円(税別)
宇宙が創生されたシーンから本書は始まります。序章で「寄せてはかえし/寄せてはかえし/かえしては寄せる」と印象的な繰り返しが用いられ、そして焦点は地球へと。
まず登場するのはプラトンです。アトランティスの伝説を追い求めて旅をするプラトンは、不思議な村に入ります。屋根にパラボラアンテナが立ち、窓に透明な「グラウス」がはめられ、天井には白熱電球が煌々と輝く建物が並んでいます。プラトンはそこで不思議な体験をします。自身がアトランティスの高官オリオナエとなってしまうのです。アトランティスは千年前に「惑星開発委員会」によって文明をもたらされ繁栄していました。しかしアトラス七世とその父ポセイドニス五世(どちらも身長は人類の10倍以上)は人々に「実験は終了。集団で強制移住」と言い渡します。人々は逆らいますが、その結果はアトランティスの滅亡でした。
次は悉達多(シッダルタ)太子。彼は出家し、4人のバラモン僧に先導されて梵天に会いに行きます。その途中で見た宇宙は荒廃していました。宇宙は遠い将来の熱的な死に向かっていたのです。さらに梵天は4億年にわたって阿修羅と困難な闘いを続けていました。シッダルタ太子は阿修羅に会い、この宇宙の荒廃は阿修羅がもたらしたものではなくてむしろ宇宙の創造者が仕組んでいるものである、と言われ、さらに弥勒に会うように勧められます。56億7千万年後に現れて救いの国を開くという弥勒は、異世界の住人であることをシッダルタは理解します。
ナザレのイエス。「いつか必ずやってくる最後の審判のために、身を正しくしろ」と説く預言者は、奇跡を起こしたことや言葉の端々を咎められ、ローマ総督ピラトゥスはユダヤ教の大司祭たちから死刑にするよう要求されます。ピラトゥスは迷い、予言者ユダに相談します。ユダは言います。「もし神がまことに最後の裁きを必要とするものなら、この世は滅びの道にこそ定めがあるものなのでしょうか」 イエスの死の瞬間、「奇跡」が起き、そしてユダの耳には不思議な会話が聞こえます。陛下、司政官、梵天王、惑星開発委員会、異世界の住人、太子……そしてそのままユダは姿を消します。
3905年、海中でひそかに暮らしていたシッタータは使命感に駈られ上陸します。そこには廃墟と化したトーキョー・シティがありました。そこで暮らすおりおなえと出会ったシッタータは、ナザレのイエスに襲われ、危ういところをあしゅらおうに救われます。天地を揺るがす戦いで形勢は逆転、イエスは、惑星開発委員会に命令を下す《シ》のところに逃げ出します。3人はイエスを追います。《シ》を求めるために。3人は惑星開発委員会のビルがある惑星アスタータ50にやって来ますが、そこの文明も滅びかけていました。死にかけた人びとは「神」の到来を(そしてそれによる救いを)ひたすら待ち続けていました。しかしここでの「都市」の描写は、映画「マトリックス」の原型です。
遂にMIROKUが登場し、あしゅらおうに心理攻撃をしかけます。MIROKUが知りたいのは、あしゅらおうの“黒幕”です。それを知りたいのはあしゅらおう(とシッタータとおりおなえ)も同様です。そして三人はアンドロメダ星雲を目指します。
歴史上の有名人物たちが集結して巨大な敵と戦う、というのは非常に魅力的な構図です。山田正紀もそれを借りて『イリュミナシオン ──君よ、非情の河を下れ』を書きました。ただ、光瀬龍ではプラトン、山田正紀ではランボー(兵隊ではなくて詩人の方)が“戦士”というのがなかなか面白い趣向ですが。
最後の圧倒的な宇宙のイメージ。絵になるなあ、と私はつぶやき、それを絵にした作品のことを思い出します。明日に続く。
ちょっと古い話ですが2000年のことを思い出しました。この年世界保険機構WHOが「世界各国の医療保健制度国際ランキング」を発表し、そこで日本は第一位でした。ところが日本のマスコミはそれを無視して盛んに「日本の医療は最低最悪だ」との報道を繰り返していました。WHOがそれ以降国際ランキングの発表をしていない様子なので(少なくとも私には見つけられません)「医療崩壊」で現在はどのくらいまで日本のランクが下がったかは知りませんが、医療にしても経済にしても(そしておそらく政治に関しても)、あまりマスコミの“誘導”を信じないで「良い面」をまず認識してそれを未来へどう生かすかを考えた方が良いのではないか、なんてことを私は思っています。
【ただいま読書中】
『百億の昼と千億の夜』光瀬龍 著、 ハヤカワ文庫JA6、1973年(1008年37刷)、780円(税別)
宇宙が創生されたシーンから本書は始まります。序章で「寄せてはかえし/寄せてはかえし/かえしては寄せる」と印象的な繰り返しが用いられ、そして焦点は地球へと。
まず登場するのはプラトンです。アトランティスの伝説を追い求めて旅をするプラトンは、不思議な村に入ります。屋根にパラボラアンテナが立ち、窓に透明な「グラウス」がはめられ、天井には白熱電球が煌々と輝く建物が並んでいます。プラトンはそこで不思議な体験をします。自身がアトランティスの高官オリオナエとなってしまうのです。アトランティスは千年前に「惑星開発委員会」によって文明をもたらされ繁栄していました。しかしアトラス七世とその父ポセイドニス五世(どちらも身長は人類の10倍以上)は人々に「実験は終了。集団で強制移住」と言い渡します。人々は逆らいますが、その結果はアトランティスの滅亡でした。
次は悉達多(シッダルタ)太子。彼は出家し、4人のバラモン僧に先導されて梵天に会いに行きます。その途中で見た宇宙は荒廃していました。宇宙は遠い将来の熱的な死に向かっていたのです。さらに梵天は4億年にわたって阿修羅と困難な闘いを続けていました。シッダルタ太子は阿修羅に会い、この宇宙の荒廃は阿修羅がもたらしたものではなくてむしろ宇宙の創造者が仕組んでいるものである、と言われ、さらに弥勒に会うように勧められます。56億7千万年後に現れて救いの国を開くという弥勒は、異世界の住人であることをシッダルタは理解します。
ナザレのイエス。「いつか必ずやってくる最後の審判のために、身を正しくしろ」と説く預言者は、奇跡を起こしたことや言葉の端々を咎められ、ローマ総督ピラトゥスはユダヤ教の大司祭たちから死刑にするよう要求されます。ピラトゥスは迷い、予言者ユダに相談します。ユダは言います。「もし神がまことに最後の裁きを必要とするものなら、この世は滅びの道にこそ定めがあるものなのでしょうか」 イエスの死の瞬間、「奇跡」が起き、そしてユダの耳には不思議な会話が聞こえます。陛下、司政官、梵天王、惑星開発委員会、異世界の住人、太子……そしてそのままユダは姿を消します。
3905年、海中でひそかに暮らしていたシッタータは使命感に駈られ上陸します。そこには廃墟と化したトーキョー・シティがありました。そこで暮らすおりおなえと出会ったシッタータは、ナザレのイエスに襲われ、危ういところをあしゅらおうに救われます。天地を揺るがす戦いで形勢は逆転、イエスは、惑星開発委員会に命令を下す《シ》のところに逃げ出します。3人はイエスを追います。《シ》を求めるために。3人は惑星開発委員会のビルがある惑星アスタータ50にやって来ますが、そこの文明も滅びかけていました。死にかけた人びとは「神」の到来を(そしてそれによる救いを)ひたすら待ち続けていました。しかしここでの「都市」の描写は、映画「マトリックス」の原型です。
遂にMIROKUが登場し、あしゅらおうに心理攻撃をしかけます。MIROKUが知りたいのは、あしゅらおうの“黒幕”です。それを知りたいのはあしゅらおう(とシッタータとおりおなえ)も同様です。そして三人はアンドロメダ星雲を目指します。
歴史上の有名人物たちが集結して巨大な敵と戦う、というのは非常に魅力的な構図です。山田正紀もそれを借りて『イリュミナシオン ──君よ、非情の河を下れ』を書きました。ただ、光瀬龍ではプラトン、山田正紀ではランボー(兵隊ではなくて詩人の方)が“戦士”というのがなかなか面白い趣向ですが。
最後の圧倒的な宇宙のイメージ。絵になるなあ、と私はつぶやき、それを絵にした作品のことを思い出します。明日に続く。