【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

浩二のコーチ

2013-02-07 07:03:27 | Weblog

 WBC日本代表の山本浩二監督が、候補選手に「金髪禁止、髭を剃れ」と命令したそうです。
 これが、体を押さえつけて無理に髪を切ったり髭を剃ったら体の一部を損壊したわけですから傷害罪ですが、「監督であること」を背景に命令したのだったらたとえ選手本人が“自主的”にやったとしてもパワハラになるのではないです? 「言うこと(監督好みの容姿になること)に従わなければレギュラーから外されるかもしれない」と思わせているわけですから。もちろん、髭を剃ったら打球の飛距離が伸び打率が上がる、というのだったら立派なコーチングですが、具体的にどのくらい打撃成績が向上するのでしょうねえ。

【ただいま読書中】『天地明察(下)』冲方丁 著、 角川書店(角川文庫)、2012年、552円(税別)

 渋川晴海は「算哲」として、会津藩に招かれます。招いたのは藩主保科正之。幕府の重鎮、生ける伝説です。正之は淡々と晴海に語ります。戦国の世を泰平の世に変えるために、何が行われ何が得られ、そのために何が犠牲になったのか、を。そして正之は晴海に示します。晴海が何を“犠牲”にするべきか、を。そのことばは「落雷」となって晴海の心身をしびれさせます。そして同時に、読者の心身をも。それは「800年の伝統」を葬るだけではなくて、「戦国の世」が「泰平の世」に変わったこと(下克上の世界ではなくて、天地の理によってこの世が動いていること、世界を変えるのは武力ではなくて文化であるべきこと)を日本全土に高らかに宣告する行為なのです。正之にとっては「機が熟し」たと同時に「算哲という希有の人材」を得た絶好の機会でした。そして晴海にとっても、長い長い助走期間は終わりすべての“準備”は整っていたのです。本人にはその自覚は全然ありませんでしたが。
 かくして「改暦事業」がスタートします。プロジェクトチームのリーダーは晴海。行うべきことは山ほどあります。新しい暦の候補である「授時暦」の吟味、天体観測、文献の渉猟……さらには、「権威」に寄りかかる傾向のある“世論”への対策と「権威者」への根回し。「暦の変更」はすなわち神事の日付(と方角)の変更を意味します。つまり、武家が天皇から宗教的な権限を奪うことになるのです。さらに、公文書の日付という点で政治的、さらには経済的な影響も考えておく必要があります。「暦が正しければ採用されるべきだ」とはなりません。暦は「人」が使うものなのですから、「天地」だけではなくて「人」も考慮に入れておかなければならないのです。晴海、29歳の“出陣”です。
 朝廷の反応は「却下」でした。従来の「宣命暦」を変える気はない、と。晴海は、囲碁の発想から、長期戦の勝負に出ることにします。宣命暦と授時暦、どちらが正しいか“勝負”をさせていこう、と。すでに800年分の誤差が貯まって、冬至や夏至は2日のずれを生じていましたが、誰の目にも明らかにわかる天文現象は、日蝕と月蝕。宣命暦が月蝕の予報を外し、晴海は改暦に再チャレンジを行います。晴海は35歳です。
 そのころ、関孝和は「算術」を「学」へと高めていました。「和算」の誕生です。それを目の当たりにして晴海は再度自身を奮い立たせます。自分自身も「勝負の最中」にいることを改めて意識しながら。「暦の勝負」において、宣命暦(と大統暦)を相手に授時暦は“勝ち”続けます。改暦の気運は高まります。しかし、最後の最後に、授時暦は予報を外してしまいます。
 改暦はぽしゃります。晴海は「なぜ外したのか?」と打ちのめされてしまいます。計算そのものには間違いがないはずなのに。そこに、意外な方向から“救いの手”が。
 晴海は本当によく泣く侍(のようなもの)ですが、このシーンでこちらももらい泣きをしてしまいます。知と感情、双方が激しく揺すぶられてしまうのです。
 碁の天才(革命児)本因坊道策と和算の天才(革命児)関孝和、両者が一目置くのが晴海です。実は晴海も天才の一種なのですが、二人とは才能の「質」(才能を展開させる方法論や視野の広さ)に大きな違いがあります。そして、二人の天才の孤独と晴海の持つ「人間関係のネットワークの豊穣さ」がきわめて対照的に描かれるのも、印象的です。小説ですからここに描かれているのは“史実”ではないかもしれません。でも、とても“リアル”です。
 改暦研究の“副産物”として、『天文分野之図』『日本長暦』を晴海は出版し、中国由来のものではない「日本独自の国家的占星術」の基礎を築き上げてしまいます。そしてついに晴海は「明察」を得ます。中国と日本の「経度差」です。さらに、天体運動が真円ではなくて「楕円」であること(後世の「ケプラーの法則」にあたるもの)も知ります。晴海、45歳、「天」と「地」に触れた瞬間でした。
 最後は駆け足になってしまってちょっと残念ですが、それでも十分堪能できました。満腹ちょっと手前、「もう少し食べたい」ところでやめるのも粋な態度、と言えばいいのかな。