若者がすべて元気いっぱいなわけではありませんし、老人がすべて賢いわけではありません。ただ、賢くない若者がそのまま何も学ばずに年を取ったら賢くない老人になる、ということは確実に言えます。
【ただいま読書中】『ブルー・シャンペン』ジョン・ヴァーリイ 著、 浅倉久志 他訳、 早川書房(ハヤカワ文庫SF1071)、1994年(2001年3刷)、880円(税別)
目次「プッシャー」「ブルー・シャンペン」「タンゴ・チャーリーとフォックストロット・ロミオ」「選択の自由」「ブラックホールとロリポップ」「PRESS RETURN■」
「プッシャー」……どうみても怪しげなロリコンおじさんの物語ですが、彼が求めているのは実は……
いやいや、特殊相対性理論がロリコンに結びつくとこんなSFになるんですね(この感想は、ちょっと違いますが大きくは違いません)。
「ブルー・シャンペン」……一風変わったサイボーグが登場します。頸髄損傷で首から下が不随となった少女メガンは、精密に作られた外骨格(ロボットスーツ)「黄金のジプシー」を装着することで自由に動けるようになったのです。しかし彼女が支払うべき代償は……
著者の作品で私がすぐ思い出すのは『へびつかい座ホットライン』や『バービーはなぜ殺される』です。自由自在に肉体(の形態や機能)を改造でき性転換も自由自在の世界。その世界での肉体どころか人格までもがどんどん変容する有様があっけらかんと語られていて(だって、親に久しぶりにあったら「母親」が今は「父親」になっていたりするんですよ)、その“口調の軽さ”が一種の閉塞感を読者に感じさせる不思議な世界観でした。ところが「ブルー・シャンペン」は、「あっけらかん」の逆の世界です。「ことばの裏」や「行間」を読む必要があります。紙上の小説ですからことばの端端にほのめかしや誘いが散りばめられているのですが、これが映像作品だったら、ノンバーバルのほんのちょっとしたしぐさや声の抑揚などのすべてに「意味」が込められていることでしょう。したがって読む側は慎重に視線を動かす必要があります。そして最後の「失恋」の重さと言ったら……
「タンゴ・チャーリーとフォックストロット・ロミオ」……「ブルー・シャンペン」から十年後のお話です。主人公は交代し、舞台は月に変わっていますが、主要登場人物は共通ですのでまずは「ブルー・シャンペン」を読んでからこちらを読んだ方が良いでしょう。「ブルー・シャンペン」での魅力的な脇役だったバッハに“活躍の場”を与えたい、という著者の“親心”だったのかもしれません(実際にバッハは魅力的な人物だからもっともっと活躍させてやりたいとは思います)が、出口のない迷路の中をさ迷うな気分にさせられる短編です。もうちょっと救いが欲しかったな。
「選択の自由」……さて、自由に安全に性転換ができる技術が確立した社会のお話です。まだ「変身者」は少数派ですが少しずつその数を増しています。しかし当然、多数派の感情的な反発は強いものです。そういった社会で、夫と小さな子供たちがいる女性が男になったら一体何が起きるか、という物語。でも実際にこれは“将来あり得る物語”ですよね。
表題作に「ブルー」が入っているからではないでしょうが、全体に“ブルー”で重たい感じの短篇集です。最後の作品は、分類するなら「ホラー」で、8ビットパソコンやモデムがまだ“新し”かった時代のものですが、今でも十分怖さは残っています。ネットに潜むナニモノカが人を操って…… もっと怖さを感じるためには、20世紀のうちに読んでおきたかった、とは思いましたがそれでも今でも十分不気味な作品です。パソコンの黎明期の雰囲気を味わいたい人にはお勧めかもしれません。しかし、ほんのちょっと前には「ネットを通してデータサーバーをハッキングをして記録を改竄する」は立派なSFだったんですね。