【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

収穫

2013-02-25 20:54:46 | Weblog

 かつて、農民が収穫をすると、それを狙った遊牧民が収奪にやって来る、という“システム”がありました。
 すると権力者とは遊牧民と同じなのかな。

【ただいま読書中】『ウナギの博物誌 ──謎多き生物の生態から文化まで』黒木真理 編著、 化学同人、2012年、1800円(税別)

 川と海を行き来する魚の行為を「通し回遊」と呼びますが、ウナギのように産卵のために川から海に向かうのは「降河回遊」と呼ばれます。(逆に、サケのように産卵のために海から川を遡上するのは「遡河回遊」。鮎のように産卵とは無関係に行き来するのは「両側回遊」) 昔から「ウナギがどこで発生するのか」は大きな謎で、アリストテレスは「大地の“はらわた”から自然発生する」と唱えましたし、日本では「山芋変じてうなぎと化す」という言い伝えがあります。
 海で生まれたウナギはレプトセファルスというオリーブの葉っぱのような幼生となって海流に乗って陸地に近づきます、体長5~6cmでシラスウナギに変態し、色素が沈着してクロコとなって川を遡上、黄ウナギとなって10年くらいかけて40~90cmに成長、成熟してグアニン色素が沈着して銀ウナギとなって、秋の増水期に海へ下っていきます。ただ、その生態にはまだまだ謎が多く残っています。初期の調査ではレプトセファルスが本当にニホンウナギのものか肉眼だけでは同定が困難でしたが、今ではDNA解析が船上でできるので少しは楽になったようです。
 そういった謎よりも、我々の関心はまず「食資源としてのウナギ」でしょう。ウナギは縄文時代から食べられていました(貝塚から骨が出土しています)。明治時代に池での養殖が始まり、1960年からは卵からシラスウナギを育てる試みも始まりました(2010年に、人工生産したシラスウナギからさらに子を育てることに成功しています)。単に人工飼育の成功に期待するだけではなくて、シラスウナギが「国際資源」であること、海や河川の環境整備が重要であること、の視点を欠くと、私たちの子孫はウナギを食べにくくなるかもしれません。
 万葉集にもウナギの歌があります。大伴家持は「石麻呂に 吾物申す 夏痩せに 良しといふものぞ 武奈木(むなぎ=ウナギ)漁り食せ(とりめせ)」と詠んでいるのです。世界でウナギの生産量が急増したのは1980年代から。そういえばあの頃からスーパーにウナギの蒲焼きのパックが山積みされるようになりましたっけ。それは中国でヨーロッパウナギやアメリカウナギの養殖が成功してからです。それまで5万トン以下だったのが85年には10万トン、95年には20万トンとなっています。ウナギ価格は低迷し、シラスは不漁と価格高騰、国内の養鰻業者は悲鳴を上げました。しかし、シラス資源が枯渇しつつあることから、国際的な資源保護の動きが始まります。個人的には、ウナギがスーパーやコンビニで気軽に買えるのはどこか“間違っている”と感じますので、資源保護には賛成することにします。
 江戸の蒲焼きは、元禄時代に京都の料理法が伝えられて始まりました。すぐに人気が出て、「外食」の代表格となります。ウナギと白飯の合体の誕生は文化年間。上方では「まぶし」、江戸では「どんぶり」と呼ばれました。鰻丼には杉の割り箸が添えられましたが、一度使うと箸職人によって丸箸に削り直されていたそうです。
 イギリスでは、ウナギのゼリー寄せやウナギシチューが食べられます。各国に煮込み料理があり、韓国には丸焼きも。ただ、割いて開くのは日本独自のやり方。ただ「蒲焼き」という名前から、何か連想しませんか? そう「蒲(がま)の穂」です。どうも初期の「蒲焼き」は、ぶつ切りのウナギを串に刺して焼いていたようです。
 こうして書いていると、なんだか蒲焼きが食べたくなってしまいました。えっと、冬の土用は節分でもう終わってしまったから、春の土用(立夏の前)まで我慢、かな?