【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

感情表現

2013-02-18 07:13:17 | Weblog

 一言で「熱演」とは言いますが、映画や舞台での俳優の演技で、こちらの感情が揺すぶられることもあればそうではない場合もあります。表情や四肢や台詞の抑揚を、派手に大きく動かせば動かすほどこちらの感情が揺さぶられるのか、と言えば、実は必ずしもそうではありません。
 私がここで想い起こすのは、能面です。あれだけ「動き」が少ない“演劇”ですが、それでも感情はちゃんと伝わってきます。
 もう一つ思い出すのは、被爆者の語り部です。私が聞いた話では、ある人が語り部を始めたとき、とにかくいかに自分が苦しく悲しかったかを熱心に語ったときには、聞いている人にそれが伝わらなかったそうです。しかし、なるべく自分の感情を抑えて淡々と語りかけるように心がけたら、話を聞いている人がこちらのことばに引き込まれてくることが実感できた、とのことでした。
 相手の心を強引に揺すぶろうとするのではなくて、あるポイントを軽く叩いてお互いが共鳴するようにできたら、二人の「関係」によって二人ともが動く、それが「伝わる感情表現」なのかもしれません。

【ただいま読書中】『重力への挑戦』ハル・クレメント 著、 井上勇 訳、 創元推理文庫、1965年(85年19刷)、400円

 高重力の惑星メスクリン。極度に扁平な形のせいで、赤道付近では重力が地球の3倍、極地ではなんと700倍! そこに地球人の飛行士ラックランドが降り立ち、メスクリン人のバーレナン(遠洋航海をする貿易船の船長)と「協定」を結びました。
 あまりの重力のせいで、一番重力が軽い赤道でさえもラックランドは移動に補助具を使いふだんはウォーターベッドで過ごしています。しかしバーレナンはふだんは地球の重力の200~700倍の地域で交易をしています。この“二人”が出会ったのは僥倖で、意志の疎通ができるようになったは奇跡に近いできごとでした。しかしラックランドはさらにその先を望んでいました。自分たち地球人が入ることができない高重力の地帯に墜落した途方もなく貴重な機械を回収してもらおう、というのです。
 重力だけではなくて、著者が造型する異世界ぶりは徹底しています。水素の大気の中、アンモニア混じりのメタンの雪が大嵐となって吹き付けます。そこでは塩素が“燃料”となります。メスクリン人は、鋏とたくさんの足を持った小さな芋虫の形です。高重力の世界に育ったバーレナンたちは「飛ぶ」「投げる」「持ち上げる」という空間の上下がからむ概念を欠いています。こんな高重力なのに強風が吹き荒れていますが、それはメスクリンが地球の80倍の自転速度で回っているからです。
 異星の化学・生物学・社会などをまるごと創造した世界に初めて触れたときは、それはショックでした。メスクリン人が(いくら交易商人だから外国語を学ぶのが得意だからといって)英語をしゃべってくれることや、道徳や倫理や論理が地球人とそっくり、というのは都合が良すぎますが、そこまで望んだらストーリーが進まなくなりそうですから、本書では味わうべきは「異世界の環境と社会」で良しとするべきでしょう。
 異星人による異世界での探険物語ですが、ここで未解決の問題は「地球人のためにメスクリン人が協力して、何のメリットがあるのか?」です。地球人には絶大なメリットがあります。自分たちでは立ち入ることができないところで失われた数十億ドルに相当する機材が回収できるのですから。しかし、その“見返り”として地球人がメスクリン人に与えることができるのは、小さなラジオ(スマートフォンのような小さなビデオカメラ付き)、それとそれを通じての天気予報(衛星軌道からの予報ですから、それは正確です)。いかにも「メリットの不対称」があります。ではメスクリン人の“動機”は何か(単なる好奇心? 異星人に貢献したいという望み? それともそれ以外?)、の謎解きが、本書後半の“通奏低音”となって響き続けることになります。
 “ヒント”はあります。高度なテクノロジーが存在しない高重力の世界でメスクリン人の役に立ったのは、「クレーン」ではなくて「差動巻き上げ機」だったこと。
 1950年代の“古いSF”ですが、「科学への信頼」「他人への信頼」に頼ることができたら、素直に読み通すことができます。久しぶりに読めて良かった。