【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

自分

2013-02-24 18:23:03 | Weblog

 「自分探し」ということばで不思議なのは、「主語」です。探されるのが「自分」だとして、それを探す「主語」は一体誰なんでしょう?

【ただいま読書中】『自分探しが止まらない』速水健朗 著、 ソフトバンク新書064、2008年、700円(税別)

 「自分を変えたい」という願望に基づいて海外に出かけた若者の例がいくつかまず挙げられます。「なりたい自分」「ホントの自分」を求めるために、旅行やボランティア活動をする、というものです。その体験記の一つが「自己啓発書」の基本パターンになっていることに著者は注目します。
 さらに「自己啓発セミナー」は「マルチ商法」とも親和性が高いのです。「ポジティブ・シンキング」「成功」「本当の自分」が共通のキーワードです。
 そういえば20年近く前、自己啓発セミナーが流行していて、私はそのアンチの立場でしたが、そのとき自己啓発セミナーに感じた違和感をその後大流行したマルチ商法にも同じように感じましたっけ。実は今でも同じように感じているので、私は「新しい自分」の発見には失敗しているのかもしれません。
 ともかく、一時は企業の新人研修にも使われるくらい日本社会で普及した自己啓発セミナーは、その反社会的は部分への批判が強まり、1990年代に下火になっていきます。
 「自分探しの旅」とは、「変身願望」の行動化ですが、身も蓋もない言い方をしたらそれは「現実逃避」です。ではそれは「個人の問題」なのか? ここで著者の目は「社会」に向かいます。
 「ニート」「フリーター」に対する「社会の目」は、はじめは「批判」でした。「豊かな社会に甘えているだけ」だと。ところが統計データから「格差論」が登場すると、流れが変わります。
 「フリーター」ということばはバブルの時代に生まれましたが、その“先駆者”は団塊の世代にいました(1996~97年に猿岩石「電波少年」で行なったヒッチハイク旅行の「香港~ロンドン」は、かつての沢木耕太郎『深夜特急』のルートです)。既成の「終身雇用のサラリーマンになる人生」を拒否する生き方です。フリーターは、形としてはそういった“先輩”の生き方をなぞることになりました。「サラリーマン」を忌避し、カタカナことばのスタイリッシュな職業に就くことを夢見る人たちが大量に登場したのです。さらに21世紀になり、若者では非正規雇用が半数となります。さらに、正規雇用でも3年以内に職を辞める若者が増える事態に。そういった構造の社会で若者が「自分探し」に熱中するのも無理はなさそうに思えます。ところが、正規雇用を目指す就活でも「自分探し」が行なわれることになりました。それも強迫的に。面接官に「自分は○○です」と強烈に売り込むために「自分」を見つけておかなければならない、ということなのでしょうです。さらにその動きは、高校にまで及んでいます。高校の進路指導でも、文部科学省の方針に従って「自分探し」が行なわれるようになっているのです。
 ところが「自分がやりたいこと」を求めて社会に出た若者が出会うのは「嫌でもしなければならない仕事」です。これでは「3年以内にやめてしまう」のも、ある程度無理がないことになりません?
 そして「自分探しホイホイ」。「自分探し」を食いものにする商売です。出版社、居酒屋、ラーメン屋……意外なところにまで「自分探しホイホイ」は浸透しています。日本の社会に広く深く。
 かつては「宗教」や「国家」といった「ビッグ・ネーム」によって人々は動いていました。高度成長期には「会社」が「社会の物語」を規定していました。しかし個人主義が進展すると「自分」が自己の意識の前面に押し出されてきます。そのとき直面する「自分」の姿にどのようなイメージを持つのか……そのとき大きな不満を感じるようだと、「自分探しの旅」が始まるのかもしれません。その結末が「自分探しホイホイ」の中でなければいいのですが。
 本書の記述は、冷静ですがきわめてリアルです。それもそのはず、著者自身が「自分探し」ブームのまっただ中で育った「団塊ジュニア」世代の人間なのです。社会を記述することに関して、私はこういったリアリティを重んじますので、読んでいて楽しめる本でした。