旧暦で7月7日は、今だったら8月の半月の時期です。すると当時の人びとは、織り姫や彦星よりも、頭上に光る半月を愛でていたのではないでしょうか。
【ただいま読書中】『日月両世界旅行記』シラノ・ド・ベルジュラック 著、 赤木昭三 訳、 岩波文庫赤506-1、2005年、900円(税別)
目次「月の諸国諸帝国」「太陽の諸国諸帝国」
「月の諸国諸帝国」ではまず「月は一つの天体である」ことが主張され、ついで「地動説」も主張されます。本書は17世紀半ば(おそらく1650年頃)の作品で、コペルニクスの「天球の回転について」は1543年出版、ガリレオ・ガリレイの異端審問(「それでも地球は回っている」)が1633年ですから、ある意味勇気のある発言ですねえ。
空を飛ぶのに主人公の「私」はまず「霧を詰めたガラス瓶」を用います。身体の周りに瓶をいくつも縛り付けていたらそれが太陽に暖められて浮力が生じる、って……ポータブル熱気球ですか? それでフランスからカナダまでひとっ飛び。そしてそこで(メカニズムは詳細不明の)「飛行機械」を製作しますが、そのバネ仕掛けと火薬の力で「私」は地球から派手に打ちあげられてしまいます。到着したのは「地上の楽園」。いや、文字通り、そこはアダムとエバが追放された「楽園」だったのでした。
月世界が具体的にどのような「楽園」だったのかは、実際に読んで楽しむことをお勧めします。ドリトル先生の月世界も楽しいものでしたが、こちらはもうちょっと思弁的な楽しさ(ガリヴァー旅行記に通じるようなもの)が満ちています。たとえば「想像の自由」が本書では主張されます。異端審問がまだ現役のヨーロッパでこんな主張をするとは、勇気があります。それにしても「月」が「エデンの園」で「地球」には「地獄」があるわけで……あらら、天国は当然「天」ですから、「地球の地位」はずいぶん宇宙で低いものになっちゃいません?
無神論さえ堂々と展開され、超自然的な手段で地球に「私」が帰ったところで「月」の物語は終了します。しかし、月で出会った人の一人は太陽出身だったことが“伏線”として、次作に続きます。
さて、こんどは「太陽の諸国諸帝国」です。無事地球に帰還した「私」は、強く勧められて月での体験記を出版します。たちまちベストセラーとなりますが、「著者は魔法使いに違いない」「悪魔の息がかかっている」などと難癖をつける人も続出。いろいろあって塔に幽閉された「私」は、太陽光で浮き上がる装置を製作して脱出を図ります。塔からの脱出には成功しますが、この装置はあまりに優秀すぎて、「私」は地球からも脱出してしまいます。22ヶ月の旅の後、たどり着いたのは、太陽の表面。そこは灼熱地獄ではなくて、激しく光り輝く雪片のような奇跡の世界でした。「想像力」が現実をどんどん変えることができる世界なのです。著者が「創造力」と「想像力」の洒落を言ったのだとは思いませんが、それにしても愉しめます。「恋人の国」とか「哲学者の王国」など、次々登場する「非地球的」な世界を支配する法則は、当時の著者の周りの人びとを支配していた伝統や論理や倫理や宗教を、あっさり飛び越えています。
「胆汁質」とか、当時の「常識」の言葉もばんばん登場するのでちょっと面食らうかもしれませんが、楽しめますよ。古い本ですが、これは意外な拾いものでした。