「美しい花」君はつぶやく
「花より団子」にべもない僕
だけど
花に見とれる君の笑顔が僕は好き
【ただいま読書中】『スエズ運河を消せ ──トリックで戦った男たち』デヴィッド・フィッシャー 著、 金原瑞人・杉田七重 訳、 柏書房、2011年、2600円(税別)
ジャスパー・マスケリンは、有名なマジシャンを輩出した一族の出身で、自身も高名なマジシャンでした。第二次世界大戦が始まり、38歳のジャスパーは軍に志願しますが、「マジックでドイツ軍を翻弄したい」という彼の希望はなかなかまともに取り合ってもらえません。しかしあまりの熱心さに「ヒトラーも掟破りのことをしているんだ。こちらも変わったことを試してみよう」という人が現れます。
ジャスパーが配属されたカモフラージュ部隊は、画家・婦人服デザイナー・彫刻家・動物の擬態の専門家・舞台装置家・電気技術者・漫画家・詩人……などのごたまぜ部隊でした。厳しさとユーモアが入り交じった訓練の後、舞台はスエズに派遣されます。ヒトラーがロンメルとアフリカ軍団を派遣したのとほぼ同時でした。ロンメルは、リビアにいるイギリススパイを相手に偽装作戦を決行します。たった二つの大隊を使って、大部隊が到着したように見せかけたのです。さらに、フォルクスワーゲンに木製大砲をつけた偽装戦車で装甲部隊を“増量して”イギリス軍を奇襲します。ロンメルも戦場のマジシャンだったのです。それも優秀な。ただ、良港のトブルクがなかなか落ちず、想定外の長期戦になってしまいます。
ジャスパーの最初の任務は、マジック対決でした。「魔法使い」を自称する族長からイギリスへの協力を取り付けるために「自分の方が優れた魔法使いである」ことを証明する対決です。それに成功したご褒美か、あるいは厄介払いか、「実験分隊」としてジャスパーは“独立”を得ます。その初仕事は「4万リットルのペンキを何もないところから取り出す」こと。新たに配備された238台の戦車は森林用の緑のペンキが塗られていたので、それを砂漠用の砂色に塗り直さなければなりませんが、そのペンキがないのです。そこでジャスパーたちは、ゴミ捨て場と道ばたから材料を調達してペンキを作り上げます。次は、ロンメルに気づかれないように機甲部隊を砂漠に展開させるため、戦車をトラックに偽装します。これまで戦車ではないものを戦車に偽装するダミー戦車はありましたが、戦車を偽装する試みはありませんでした。偵察機からどの角度で見られてもトラックに見えるようにし、さらにキャタピラ跡も偽装しなければなりません。「マジックギャング」たちはせっせと働きます。
次は「港」です。イギリス軍の補給の要、ドイツ軍の爆撃の主要目標、アレクサンドリア港、それを丸ごと隠せ、という命令です。さすがに「消失トリック」は使えませんが、ジャスパーは「1マイル移動させる」手を思いつきます。爆撃機を騙してダミー港を爆撃させよう、というのです。これがまんまと成功し、以後、重要な空港や海軍基地を模したダミーがあちこちに作られ、ドイツの爆弾を無駄遣いさせることになります。
次の課題は「ロンメルの攻撃開始を遅らせる」。大量のダミー戦車とダミー兵士で、前線の隙間を埋めて大部隊がいるように見せかけます。ボール紙で作った“大砲”は、なんと一斉砲撃時にはちゃんと本物に合わせて発火し煙も出ます。
「ギャング」たちは、軍隊の中では異端者でした。しかしそれぞれがまったくばらばらの存在です。しかし、一緒に難題をこなしている内に結束は高まっていきます。さらに各人が少しずつ変容していきます。本書ではそういった「ギャングたち」の人間像と関係の変化についても丁寧に描かれています。
そして「スエズ運河を消せ」。ロンメルも本気でスエズ運河を破壊はしないはずですが(占領したあとで自分が使いたいはずですから)、何らかの手段(船や機雷を沈めたり)で一時的に封鎖をすることは考えられます。だからロンメルの目から運河を隠したいのですが……全長160km以上ですよ。しかしジャスパーはそれをやってのけます。
諜報部からも協力を要請され、ジャスパーは脱出マジックを応用した「捕虜収容所からの脱出」講義を20万人以上の兵士に行いました。そのおかげで、実際に脱出できた兵士は数多かったそうです(この功績でジャスパーは戦時の終身少佐に昇進します)。また、手品を応用したスパイツールをいくつも考案しました。
快進撃を止められたロンメルの悩みは兵站線の長さでした。地中海を渡ってトリポリに補給物資を揚陸したら、1600kmをトラック輸送しなければならないのです。ついにイギリス軍は総攻撃を始め、戦争の潮目が変わります。さらに真珠湾攻撃によってアメリカが参戦。優勢に戦える戦争では、偽装の出番はもうありません……ないはずだったのですが、これからマジックギャングたちは“長いアンコール”を演じることになります。たとえば「折りたためる潜水艦」の製作、とか「マルタ島を消す」とか「全長220mの戦艦(のダミー)」製作とか。“大繁盛”なのです。
そして、エル・アラメインの戦いでロンメルを押し返したモントゴメリーは、最終決戦直前にマジックギャングに「幅65kmの平原で、15万の兵士と1000両の戦車を敵(スパイと偵察機)の目から隠して欲しい」と言います。ロンメルを混乱させることができたら、主力戦車部隊が敵の地雷原を突破する時間が稼げるのです。ジャスパーはマジックのトリックを用いることにします。仕掛けの段階から観客に手順を見せて、客に自分で判断させるやり方です。ただし、客が視線を集中しているのとは別のところでマジシャンは別のことをやっているのですが。
戦争の“舞台裏”でも(暗号解読とか諜報とか)さまざまな“戦い”があったことは聞いていますが、これはまた意外な“戦争”でした。割とお気楽な感じだったマジシャンが、悩んだり苦しみながら「兵士」に変容していく様もリアルに描かれていて、自分が同じ立場だったらどうしただろうか、とわりと真剣に思わされます。