かつて「輪転機をじゃんじゃん回せば良い」と時代錯誤な発言をした政治家もいましたが、いくら紙幣を印刷してもそれが市場に出回ってじゃんじゃん使われなければ倉庫に山積みになるだけです。だから市中銀行に「もっと貸し出しをしろ」とか別の努力を始める必要が生じます。そんなことをするよりも、全国民にたとえばアマゾンコインを10万円分支給したら、発行のコストは(紙幣を印刷するよりも)とても少なくて済むし、さらに「1年間有効」とか期限を限定しておいたら、おそらくそのほとんどはきちんと使用されることが期待できるでしょう。その方がよほど日本経済を活性化させるのではないかしら。(別にアマゾンでなくても良いです。国民が好きなのを選択できたら良いし、ネット環境がない人には希望の商品券でも良いでしょう。キモは、紙幣でないことと有効期限があること、です)
【ただいま読書中】『「仮想通貨」の衝撃』エドワード・カストロノヴァ 著、 伊能早苗・山本章子 訳、 角川EPUB選書、2014年、1400円(税別)
最近「ビットコインが大量に消失した」事件がありましたが、そういった高名な「仮想通貨」以外でもすでにこの社会には「仮想通貨」が広く流通しています。たとえばマイレージサービスとかお店のポイントサービスとかを貨幣価値に換算すると、すでにその総計は紙幣と硬貨のトータルを上回っているのだそうです。
「現実」を「リアル」と「ヴァーチャル」に分けるのは、便利ですが実はあまり正確ではありません。両者は重なり合っているのですから。そして「仮想通貨」はその「リアル」と「ヴァーチャル」が重なり合っている領域に存在しています。だからこそ「仮想通貨」は重要なのです。
ところで「貨幣の価値」は本来“ヴァーチャル”な存在です。皆が「“これ”には価値がある」と思っているから「もの(価値)と交換可能」なわけ。だったら、紙や金属でなくて「デジタルデータ」でも「貨幣と同等」の存在として扱うことには、それほどの無理はありません。あとは「管理」の問題です。誰が発行し誰が保証するか。
「国(または君主)」でなければ貨幣を発行できないと思ったら、それは間違いです。たとえば「手形」は個人や法人が勝手に発行可能ですし、それは貨幣と同等の価値を持っています。リスクは国家のものよりは高くなっていますが。
多種多様な通貨は、扱うのが煩雑です。両替所で払う料金は純然たる損失です。だから「世界共通通貨」だったら経済には便利そうです。「通貨と通貨の交換計算」はひたすら面倒ですから。しかし、コンピューターが「どんな計算でも引き受ける」となったら話は変わってきます。かくして現在の社会では様々な仮想通貨が大量に流通するようになりました。
では、仮想通貨の未来は? 著者は「通貨」を「制度」と規定し、制度の変化は「進化」の概念で取り扱える、と主張します。生物と同様、そのときの環境に適応しているものが生き残る、と。つまり「多くの人が使う通貨は生き残るし、使われないものは淘汰される」のです。つまり、グレシャムの法則「悪貨は良貨を駆逐する」です。著者に言わせれば「政府保証の通貨」は「悪貨」そのものです。コインも紙幣も現物は額面通りの価値を持っていませんし、その価値は(長期的に見たら)どんどん落ちて行っています(物価が上昇しています)。金との兌換も保証されていません。しかし、民間会社が発行する仮想通貨は、基本的に「良い通貨」です(必ず“何か”と交換可能であることを保証していますから)。例外は国が保証する仮想通貨だけ。これは何との交換も保証されていません。ただ、とりあえず「国の通貨」では「交換するもの」に制限がないため、使いやすいから市場では喜ばれます(アマゾンコインでは近くのスーパーでは(まだ)買い物はできませんから)。
「リアル」と「ヴァーチャル」の境界は揺らいでいます。通貨に関して、将来必ず大きな変化が起きますが、それが急激なものか緩慢なものかはわかりません。ただ、テクノロジーによってヴァーチャルは容易にリアルになるようになりました。だから「変化」は必ず起きます、というか、おそらく現在その「変化」は進行中です。