【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

雨上がり

2019-09-24 07:26:14 | Weblog

 洗車後すぐに拭き上げないと、車体に付着した水球が自然乾燥して水の成分が濃縮したのが車体の上で点状のシミになる、と教わったことがあります。ずぼらな私は洗車そのものをあまりしませんが、そんなに熱心に拭き上げる人は、雨上がりにも即座に洗車して拭き上げているのでしょうか。雨粒って水球の中核はホコリできれいなものではないんでしょ?

【ただいま読書中】『江戸の女たちの湯浴み ──川柳にみる沐浴文化』渡辺信一郎 著、 新潮社、1996年、1068円(税別)

 江戸庶民は「風呂屋」は「遊女屋」、「湯屋(湯ゥ屋と記述されている例もあるので「ゆうや」が正式な発音でしょう)」は「入浴するところ」と区別していました。入れ込み湯(男女混浴)が基本でしたが、独立した女湯がある湯屋もありました。入れ込み湯での痴漢行為や立ち小便のふりをしての女湯の覗きなども横行し、それについての面白い川柳が次々紹介されます。
 水や燃料が潤沢に使えるわけではないので、江戸の湯屋稼業は大変です。また、火を使う商売なので火事を起こしてはいけないと気を遣います。
 江戸の「薬湯」は温泉のお湯を運んできて入浴させていましたが(通常の湯屋の入浴料は八文ですが、江戸の薬湯だと湯河原や熱海の湯は二十文、箱根芦の湯は三十二文だったそうです)、大坂では「薬湯」と称して、湯屋と料理屋兼業の商売がありました。温泉の湯を運ぶだけではなくて、薬草を煮出した「薬湯」で商売する人もいたそうです。現在広く売られている「入浴剤」の元祖ですね。
 物日(ものび、紋日とも)は特別なことが行われる日で、湯屋ではお茶を出したりし、客はそれに対して十二文をはずんでいました。江戸では特別に「菖蒲湯」「桃湯」「柚子湯」も提供していました(京阪ではこれは行われていたなかったそうです)。
 女性は生理の時には湯屋には行きませんでしたが、そろそろ終わりの時期には行きます。ただ、湯船には浸からず上がり湯だけで帰るのですが、それを見ている好色な男がいろいろ川柳を詠んでいます。
 昔の入浴では、男女とも入浴用の褌(湯ふどし)を着用しました。女性には湯帷子という下着もあります。これらを直接言わずに「もじ言葉(おしゃもじ、かもじ、そもじ、などの女房言葉)」で「湯もじ」と言ったのが「湯文字」の語源だそうです。
 江戸時代の「水風呂」は、冷水のお風呂、ではなくて、「蒸し風呂」に対して、湯船に「水」を入れた「風呂」(入れてから湧かす)のことでした。ということはそれまでは水を使わない風呂の方が主流だったわけです。
 江戸の女性は夏には行水を愛用しました。湯屋のお湯は汚れていることが多くそれを嫌ったようです。しかしそれは男どもにはかっこうの“娯楽(=覗き)"となりました。混浴に行けばいくらでも堂々と見ることができる女の裸を、わざわざこそこそと覗くのは、男の「性(さが)」なんですかねえ。