「外出自粛なのに出歩いている人がいる」「休日にバーベキューをやっている人がいる」とマスコミはさかんに同調圧力をかけて回り、かけられた方は画面の中でなにかいろいろな言い訳を並べています。
ただその言い訳の中に「自己責任でやっている。だから2週間後に発熱したとしても、病院に駆けつけて医療崩壊を助長させるようなことはしない。自己責任できちんと処理する」と言っている人がいなかったことは、ちょっと気になります。結局、やりたいことは好き放題やって、その結末の責任は他人に押しつける気満々、ということ? それは「甘え」だと私は感じるし、いい大人がそんなことを言ってはいけないだろう、とも思います。
【ただいま読書中】『医師はなぜ治せないのか』バーナード・ラウン 著、 小泉直子 訳、 築地書館、1998年、2000円(税別)
原著「The Lost Art of Healing」の後半は、「高齢者」で始まります。ここに次々登場するエピソードがまあパワフルで抱腹絶倒のものばかり。著者自身が70台となり自分の老化に不安を感じているからこその、元気が出るエピソードを選択したのかもしれません。
そして次の章で扱われるのは「死」。ムードは一転、暗くなります。「死」は近代医学では「敗北」を意味します。もちろん医学以外の世界でも「死」は忌むべきものです。そういった悲しい死を著者はたくさん経験しています。しかし著者はあえて「よい死」と言えるケースも取り上げます。それもいくつも。避けられない死を、本人がどう受け止めるか、そしてその姿を見る回りの人間が、患者本人の死後に心にどのようなものが残るか、それがことの本質なのです。
病気は人を傷つけます。しかし、重い病になっていても、精神は生き生きしている人を著者はたくさん診てきました。これはもしかしたら、著者が「患者の内面を見る」ことに集中している医師だから見えたのかもしれませんし、「そういった医師」によって患者の内面から「精神の健康さ」が引き出されていたのかもしれません。医師と患者はお互いに関係し合うものですから。この「関係」について著者が書いていることを読むと、私はちょっと不思議な気分になります。「良い患者」である方が、「良い医者」に出会える確率が高まる、と書いてあるように読めたものですから。