【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

汚染水

2020-05-15 07:01:29 | Weblog

 それほど科学的に安全なのだったら、「安全だ」と主張する人の地元のお城のお堀に大量に流し込んでも“科学的には安全”ですよね?

【ただいま読書中】『蘭学事始』杉田玄白 著、 緒方富雄 校注、岩波書店(岩波文庫)、1959年(82年28刷改版、96年47刷)、398円(税別)

 著者が83歳の時、約50年前に数人の輩(ともがら)と始めた事業について著した回想録です。世間では「蘭学」が大人気ですがその風潮を「志を立つる人は篤く学び、無識なる者は漫(みだ)りにこれを誇張す」とちょっと厳しい見方をしています。
 蘭方(オランダ式医術)は、長崎出島でオランダ人医師の医術を実際に見ていた日本人通詞(通訳)が見よう見まねで始めました。杉田玄白は、小浜藩の「見よう見まねの蘭方医」の家の出身です(ただし子供時代から江戸屋敷にずっといるので、小浜にどのくらい愛着があったのかはわかりません)。通詞の言語能力は低く(たしか幕府によって「書き残すこと」を禁じられていて記憶だけで仕事をしそれを口伝で子供に伝えていたはずです)、そもそも「解剖」の概念が東洋医学と西洋医学では全然違うので、当時の蘭方医の実力は大したものではなかったはずです。
 江戸幕府は「西洋の本」の輸入を禁止していました。それを緩めたのが八代将軍吉宗。ただし「中国で漢訳されたもの」に限定されていましたが。だからうっかり挿絵の部分にでも「横文字」があったら、奉行は大騒ぎをしました。まるで呪われたものを見つけたかのように。しかし吉宗はさらにもう一歩進め、野呂元丈(幕府の医官)と青木文蔵(書物方の儒者)に「オランダ語を学べ」と命じました。といっても学べるチャンスは年に1回、長崎出島から将軍に挨拶に来るオランダ商館長に付きそう通詞から単語を教わるのがせいぜいでした。それでも二人は、アルファベット25文字と日常会話レベルの単語をいくつも記録しています。
 さて、ここで前野良沢が登場。杉田玄白は彼のことを「天性奇人」「天然の奇士」と言っています。たぶん褒め言葉です。で、その「奇を好む性」から漢方医学・音楽・猿若狂言などを熱心に稽古し、とうとう青木文蔵に弟子入りしてその知識を習得してしまいました。
 その良沢が、ある日突然玄白の家にやって来て「これからオランダ人に会いに行こう」と誘ったのが事の発端、と玄白は述べています。オランダ人の江戸での定宿は日本橋の「長崎屋」で、そのときたまたま将軍挨拶にやって来る時期で江戸のオランダ語愛好家がわっと押し寄せる、というわけでした。幕府は、長崎では出島に厳しく隔離しているのに、江戸では一般人が長崎屋に入ることを別に気にしていなかったようです。珍しいオランダの物産を見学できたり、瀉血のデモンストレーションを見ることができたりするので、人気は沸騰。その一座の末席に、平賀源内もいて、すぐに「奇才」で頭角を現すことになります。
 長崎屋で会った西善三郎という通詞は、語学習得の難しさを嘆き、そのため玄白はやる気をなくしてしまいました。しかしある年、「ターヘル・アナトミア」「カスパリュス・アナトミア」の2冊の解剖書を見せられ、もちろん言葉は全然わかりませんが、その図譜が東洋医学で言う「五臓六腑」とあまりに違うことに玄白は驚きます。
 さて、ここで玄白の心に火が付きます。どうしてもこの本が欲しい、と思いますが、金はない。そこで江戸家老に泣きつき「絶対にこの世の役に立ててみせる」と大見得を切って藩の金で買ってもらいます。買ってもらったは良いけれど、持てあまします。なにしろ一文字も読めないのですから。しかしそこから千住骨が原での腑分け、前野良沢もまた同じ「ターヘル・アナトミア」を入手していたという偶然、そこから「同志」を募って怒濤の翻訳作業が始まります。
 江戸時代の常識だったら、三十才過ぎていたらもう立派な「大人」のはずですが、まるで「青春群像」の物語となっています。のちに福澤諭吉が、『蘭学事始』を何度も読み感動したわけもわかります。「自分の知らない世界」を知った感動と、そこに青春のエネルギーをぶつける激しさと、そういったものは福澤諭吉にとって「自分の物語」でもあったのでしょう。
 平賀源内は、翻訳作業には関わりませんが、秋田から和蘭画の絵師小田野直武(西洋画の師匠は平賀源内)を江戸に連れてきて、彼が『解體新書」の絵師となります。このへんの人の繋がりも奇跡的なものを私は感じます。これが浮世絵式の木版画だったら、『解體新書』はあそこまでのインパクトを世間に与えなかったことでしょう。
 本文はわずか数十ページの薄い本ですが、この中には「歴史(の転換点)」がコンパクトに収納されています。地域おこしには「よそ者」「若者」「バカ者」が必要だ、と言いますが、歴史を変えるにも似たことが言えるのかな、なんてことも感じました。