冷たい幸福
【ただいま読書中】『祈りの階段』ミッシェル・フェイバー 著、 林啓恵 訳、 アーティストハウス、2002年、1700円(税別)
ドラキュラ伝説で知られるウィットビーの修道院で発掘作業をしているシーアン(ウェールズ語。英語ならジェーン)は、この町にやって来てから、誘惑された男に首を切断されて殺されるという悪夢に毎晩襲われるようになりました。修道院までの199段の石段を登っている途中知り合った男性マグナス(ラテン語でグレートの意味)が連れている犬はハドリアヌス(古代ローマの皇帝の名前)。どちらも男性の父親がつけた名前です。シーアンはその両者に強く惹かれます。そして、マグナスは、シーアンのところに、1788年の日付がついたガラス瓶入りの巻物を持ち込みます。シーアンが修復士としての腕をフルに活かすことで、巻物はしぶしぶと開かれます。それは、18世紀の告白でした。父親が、娘の頸を掻き切ったことを書き残していたのです。
マグナスは「20世紀のイギリスの常識に生きる男」ですが、シーアンは「過去の常識を是として生きる(現在の「常識」で過去を断罪しない)女」です。しかもシーアンの肉体にはもう一つ別の「過去」がひそんでいました。そして、単純な殺人の告白に思えた告白録にも、もう一つ別の「過去」がひそんでいたのです。
短い作品ですが重層的で「ゴシック」の香りが充満しています。そして、美しい女と美しい男と美しい犬。しかしその「美しさ」はすべて異質なのです。見た目通りとは限りません。本書は、“異質”の香りが“裏側”や“過去”から立ち上る実に美しい作品です。