ロンドン地下鉄は1863年(日本では文久三年)に開業しましたが、最初は蒸気機関車が走っていました。私は蒸気機関車がトンネルに入ったらどうなるか実体験を持っていますが(煙が客車に入ってきてすごいことになるのです)、地下鉄は最初から「トンネルの中」です。一体どうやったんでしょうねえ(知らない人は調べると、面白いですよ)。
【ただいま読書中】『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド 著、 谷崎由依 訳、 早川書房、2017年、2300円(税別)
こちらの「地下鉄道」は、アメリカ南部から北部へ、奴隷を逃がすための秘密ルートのことです。特に19世紀前半に多数の奴隷の逃亡を助けました。もちろん本当に「地下」に鉄道を敷いてあるわけではなかったそうです。
奴隷の日々は悲惨です(「そうではない」と主張する人は、ぜひ自分で同じ生活を味わってみることをお勧めします)。重労働・暴力・強姦・不平等な扱いが、生活のほとんどすべてです(1930年代に「奴隷生活を体験した人」から証言を得るプロジェクトがあり、本書はその史料をベースにしています)。人権も自由もありません(「人間」ではなくて「所有物」ですから))。南北戦争はまだ数十年先、ジョージアには「地下鉄道」の支線や駅はできていないはずでした。しかし、それを作りたいという白人は存在していました。そして、逃亡したいという黒人奴隷も。
シーザーという男性奴隷に見込まれて逃亡に誘われたコーラ(15歳、女性)は、散々逡巡した上で決断。農場を抜け出した時点で指名手配(発見されたら私刑、その後持ち主によって極刑)となった二人は、「地下鉄道」の「駅」にやっとたどり着きます。そこで二人が見たのは「地下鉄道」でした。いや、ここ、笑う所なんでしょうね。単線ですが立派な地下トンネルの鉄路、そこを走るおんぼろの蒸気機関車。「地下鉄道」だから「地下鉄道」なんだよ、と著者がニンマリしている気がします。
逃げる者がいれば追う者がいます。逃亡奴隷追跡者です。自由州に逃げ込んでほっとしている黒人の寝込みを襲って無理やり奴隷州に連れ戻すプロです。もちろん裁判官や弁護士は文句を言いますが、こんどは自分(たち)が奴隷州に逃げ込めたらそれでゲームは“勝ち”なのです。ジャン・バルジャンを追うジャベール警部を私は思い出します。ただ、阿漕な連中は。自由黒人(奴隷から正式に解放された者)を捕まえて奴隷市場で売り払ってしまうそうですが(これはジャベール警部はやらないでしょう)。コーラを追跡するリッジウェイは、自分なりのポリシーを欲望に優先させるタイプの男でした。
サウス・カロライナは南部の中では進歩的で、コーラとシーザーは、偽装の書類でベシーとクリスチャンになります。書類上は二人とも政府によって購入された黒人です。しかしここでも、黒人は“奪われる存在”でした。
「このアメリカ」で一番問題になっているのは「黒人の人口増」でした。白人が少数派になってしまうのは困るのです。サウス・カロライナでは「説得による断種」で対応しようとします。ノース・カロライナは「ジェノサイド(黒人は殺し、綿花摘みは白人移民で代替)」。自分を追う追跡人から逃げようとして、コーラはそのノース・カロライナに逃げ込んでしまいます。袋小路、どこにも行きようがない罠の中へ。
ついにリッジウェイの手に落ちたコーラは、手枷足枷をかけられて馬車で運ばれます。まずはテネシーに。かつてチェロキーが住む土地だったのを白人があっさり奪ったのですが、コーラはそこが一面焼け野原になっているのを見ます。人々(白人)は難民となっています。さらに黄熱病の噂も。そして……
本書で州ごとに全く違う「世界」となっている「アメリカ」は、人種ごとに全く違う「世界」となっている「アメリカ」を象徴しているようにも見えます。「地下鉄道」はあるいは「タイムトンネル」なのかな。くぐるたびに「違う(時代の)アメリカ」が登場しますから。また、その「トンネル」を、最初は誰かと一緒に「乗せてもらう」だけだったコーラが、最後には独力で進むようになっていきます。この姿に私は感銘を受けます。
そういえばトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」の「アメリカ」は、「共和党のアメリカ」「白人のアメリカ」以外の意味を持っているのでしょうか?