【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ボランティア大国

2020-07-25 07:18:20 | Weblog

 日本でボランティア活動が広まったのは、阪神淡路大震災から、と聞いたことがあります。たしかに「ボランティア」という言葉はそのあたりからよく聞くようになりましたが、その前から、たとえば町内会の役員とかPTAとか、日本に「ボランティア」はたくさん活動をしていませんでしたっけ?
 そういえば少し前まで「ボランティアは無償であるべき」と変な主張をする人が多くいましたが、ボランティアの本来の意味は「義勇兵(志願兵)」ですから、無償有償は無関係です。「人を安く使いたい人」は「無償」を強く主張するかもしれませんが。

【ただいま読書中】『小笠原が救った鳥 ──アカガシラカラスバトと海を越えた777匹のネコ』有川美紀子 著、 緑風出版、2018年、2000円(税別)

 2000年頃に環境省は「小笠原のアカガシラカラスバトの推定生息数は40羽」としました。2001年8月8日の讀賣新聞では「30羽」となりました。国指定天然記念物が絶滅の危機ですが、ほとんどの小笠原の人たちは興味を示しませんでした。ほとんど見たことがない鳥のことですし 自分と何か関係があるとも思わなかったのです。
 小笠原は「海洋島」で、どこの大陸とも接触したことがありません。そのため、独自の生態系をもっています。陸鳥はかつては15の固有種・固有亜種がいましたが、その内6種はすでに絶滅しています。そして“次の絶滅候補”がアカガシラカラスバトでした。
 海洋島の生態系は脆弱です。種の数は限定されており、天敵は存在しません。そこに、人間が“外来種”を持ち込んだら、容易に生態系は破壊されてしまいます。
 2005年母島にあるカツオドリの営巣地が、ネコに襲われました。はじめ人々は信じません。ネコが自分より大きな鳥を襲って食べるだろうか、と。鳥は次々殺されます。NPO法人小笠原自然文化研究所(アイボ)は危機感を持ち、ネコがカツオドリを襲っている証拠写真を撮ります。人々は動きません。環境省は「許可を出すから捕獲しても良いですよ」。他の機関も動きません。中には「ネコじゃなくてイタチじゃないです?」と言うところも。
 動く人もいました。特に母島にある村の連絡事務所の職員たち。環境省もバックアップしてくれることになります。次は村民との話し合い。これが紛糾します。「信じられない」「一匹捕まえてもすぐ次がくるだろう」「島の問題だから外の人間に入って欲しくない」「時期尚早だ」……要するに「やりたくない」ですね。新しいことを拒絶したいとき、人はフルに知恵を働かせて言い訳をひねり出します。だけど、営巣地のカツオドリはすでに全滅状態。残っているのは一組のペアだけになっていたのです。ここでまるで映画のような逆転の展開で、野生状態となった猫を捕獲する作戦がスタートします。
 捕獲したネコをどうしましょう? 小笠原では鳥を守りたい。ではネコをどこかに送り込みますか? どこに? 送る場所がなかったら、殺処分? 「猫を殺すべきではない」と言う人はいます。だけどそういった人がノネコ(野生化したネコ)を引き取ってくれるでしょうか? 野生化してますから、ちっとも可愛くないです。それどころかとっても凶暴で、近寄るのも危険です。
 ここにも「引き受けよう」と覚悟を決めて言ってくれる人が登場。ここでのネコの運命がまた印象的です。これだけでたぶん一冊の本になるんじゃないかな。
 ただ、「蛇口をしめる」必要もあります。ノネコを捕獲するのも重要ですが、ノネコを作らないようにする、つまり、人が猫を捨てて野生化させてしまうことの予防です。
 アカガシラカラスバトの生態はほとんど知られていませんでした。そこでじっと観察。足音や鳴き声だけの存在が、時々目の前に現れるようになり、普段地面を走り回って「飛ばない鳥」と思われていたのが、実は海を越えて別の島に行くこともできる「飛ぶ鳥」であることがわかるようになります。
 やがて、アカガシラカラスバトとノネコの危険な関係が人々の目に見えてきます。見えたら放置はできません。島民や公務員は、ボランティアで猫の捕獲を始めます。無償どころか、時間と金の持ち出しですが。「ボランティア」では活動に限りがあります。もし継続的に行うなら「事業」にする必要があります。このとき重要なのは「住民の現状認識と意思決定」です。「見たことがないものを、守りたいと思うか」という禅問答のような設問に、住民に答えてもらわなければなりません。活動の中心となっていた人たちがここで参考にしたのが、対馬(ツシマヤマネコ)と沖縄本島(ヤンバルクイナ)の活動でした。そして、最初は不可能とも思われた島での国際ワークショップ。島外の人たちと島の住民たちが3日間熱心に話し合い、ここでアカガシラカラスバトの運命が決せられました。そして、おそらく島の運命もここで大きく変わったはずです。日本でもこういった政治色抜きのボトムアップの地域に関する決定ができるんだ、と私は感銘を受けます。感動した、と言っても良いです。
 ノネコ捕獲隊が山中に入り、ネコと知恵比べを始めます。捕獲されたネコは東京に送られますが、その送料は1万円。事務局は(また)頭を抱えます。そこに(また)助け船が。いや、文字通り、船会社から。
 アイボの人たちは「ノネコは『外来種』問題ではない」と言います。「外来種」を悪者にして排除したらすむ、という単純な問題ではない、と。「問題」があるとしたら、飼い猫をきちんと管理できない人間と猫の「関係」にあるのです。そういえば「外来種」として「悪者」となっているブラックバスも、彼らが独力で日本のため池や河川に侵入してきたわけではありません。ここでも「人」「ブラックバス」「環境」の「関係」が問題なのです。
 環境問題は、なかなか一筋縄では片付きません。何しろ「生態系(=システム)」ですから複雑なのです。その複雑さゆえ、アカガシラカラスバトの物語も、あちこちに「驚き」が散りばめられていました。この「驚き」を原動力に、小笠原(とそれを取り巻く“環境”)の人々は毎日励んでいるのかもしれません。そして、同じことは、私たちにもできるはずです。