「説明責任を果たす」という政治家のことば(空約束)はもう不要です。単純に「説明」をして欲しい。「説明責任を果たす」と言って果たさなかった人には、罰を与えて欲しい。
【ただいま読書中】『コロンブスの図書館』エドワード・ウィルソン=リー 著、 五十嵐加奈子 訳、 柏書房、2020年、2700円(税別)
“太洋の提督”クリストファー・コロンブスの息子、エルナンド・コロンが1539年7月12日に亡くなるときの印象的なシーンから本書は始まります。彼の遺産のほとんどを相続したのは「図書館」だったのです。それも、立派な書籍(1万5000冊以上)だけではなくて、ゴミのような小冊子やバラッドが書きつけられた紙切れなどの膨大なコレクション。庭には世界各地から集められた植物(当時はまだ「植物園」という概念がありませんでした)。入り口の銘文は「この建物は糞の上に築かれた」。その膨大な蔵書のほんの一部(4000冊あまり)は現在セビーリャ大聖堂の「ビブリオテカ・コロンビーナ(コロンブス図書館)」に保存されています。
エルナンドの最も重要な作品は「コロンブスの伝記」でしょう。現在世界に残る「コロンブス像」は基本的にエルナンドが書き残したものです。エルナンドは「印刷」によって世界に何がもたらされるかを予見したかのように「リスト」にずいぶんこだわりました。爆発的に増える情報に対処するためには、まずそれを整理したものが必要になる、という発想でしょう(我々が直面している「デジタル」では、これまでの 印刷の世界とは別の対処法が必要になるはずですが、それはまた別のお話)。
「新大陸」からの帰還で一躍有名人となったコロンブスのコネで、息子のエルナンドは王子の小姓として6歳で宮廷に上がりました。王子の要望に応じて宮廷にある様々な備品を即座に取り出して用意するのは小姓の仕事ですが、そのためにはどこに何がしまわれているかの「リスト」を頭の中に作る必要があります。また、父のコロンブスがスペインにもたらす様々な新奇な品々についても「リスト」の必要性を誰もが感じていました。しかし3回目の航海でコロンブスは権威を失墜、半ば失明し手足を鎖に縛られた状態で帰国しました。「英雄の父」を持つ12歳の息子にとって、それはどれほど衝撃的な光景だったことでしょう。もっとも、このみじめな姿は、芝居っ気が多いコロンブスが望んでいたものでもあったようです。だからコロンブスはこの鎖を生涯大切に保存し、自分の葬式では棺に入れさせました。
コロンブスにとって重要なのは「世界が終末を迎える前にキリスト教の福音を広める必要があることの聖書の予言」が「自分の新大陸発見によって確実なものになった(まだキリストの福音に無知な人々が多数存在している)」と世界に知らしめることでした。エルナンドは、はじめは父の主張を『預言の書』として世間に広めるために協力をしていましたが、やがて「コロンブスは世界の終末を導いた」から「新大陸を発見した」に論調を変化させていきます。
1502年に4隻の船団がカディスを出港しましたが、エルナンドは父に同行し、詳細な記録を残しています。この時の航海は22日間、ヨーロッパとカリブ諸島を結ぶ最短記録で、蒸気船が登場するまで記録は残りました。磁石が指す北(磁北)が北極星が指す北とは食い違っていることは既に知られていましたが、これをきちんと記録して大西洋の場所によって大きくその方向がずれることからそのメカニズムを推定した(「地球は洋ナシ型に膨らんでいる」と考えた)のはコロンブスです。それをエルナンドは「磁北が存在する」と修正しました。
最終的に失意のまま父はスペインで死亡、1509年にエルナンドはまたエスパニョーラ島のサント・ドミンゴにいました。238冊の本と共に。これはおそらく「新世界初の図書館」です。彼は本だけではなくて、持ち込んだ工具等まで、詳細な目録を残しています。「リスト作成のための方法論」をエルナンドは編み出しました。そしてエルナンドは『スペインの描写』という、スペイン全土の情報をすべて集めた書籍を作ろうとします。このプロジェクトはフランドルからやって来たよそ者の新国王カルロス一世の支持を得て、公的な事業になります。
エルナンドは、「もの(財宝)」ではなくて「言葉(のシステム)」によっても世界を“支配”できると考えていたようです。ですから、長兄ディエゴとの遺産相続での争いでも、「財宝」はすべて譲りその代わりに知的な財産をすべて受け継ぐことが平気でできたのでしょう。エルナンドはセビーリャに屋敷を建てましたが、それは「本のための建物」でもありました。
「コロンブスの否定」をする勢力は根強く、エルナンドはその主張と戦い続けなければなりませんでした。そこで彼がおこなったのは「コロンブスは偶然ではなくて必然によって新大陸を発見したのだ」という主張です。そこで重視されたのは「コロンブスの人間像」。著者が見る限りそこにはエルナンド自身の人格が相当投影されているそうですが、ともかくこの作業によって「コロンブスの人間像」はある程度確定し、それが「歴史」に残ることになりました。さらにエルナンドは「言語や宗教に縛られない図書館」を構想します。彼は敬虔なクリスチャンでしたが、世界が与えてくれるすべての知識にとり組めば、世界を征服できる、という発想があったようです。
図書館には詳細な「目録」がありましたが、エルナンドはそれと同時に「自由閲覧」の重要性にも気づいていました。「目録」では「知っている本」にしか到達できません。しかし「これまで知らなかった知識との出会い」も重要なのです。インターネット検索では「知っている領域の知識にしか出会えない」を私も思います。新しい世界での「出会い」のためには、何か新しい方法論が必要そうです。