【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

薬物に頼る態度

2020-07-04 07:25:08 | Weblog

 私たちは、自分の健康を維持するためには、薬やサプリに平気で頼るのに、スポーツ選手が能力や記録向上目的で薬を使うと、非難します。

【ただいま読書中】『スポーツと薬物の社会学 ──現状とその歴史的背景』アイヴォン・ウォディングトン、アンディ・スミス 著、 大平章・麻生亨志・大木富 訳、 彩流社、2014年、3700円(税別)

 まず登場するのは「後援」の問題です。スポーツ界最大のスポンサーは「アルコール」と「煙草」です。人類の健康を害する二大巨頭が揃っているわけ。そのために発生した社会的にいろいろと不適切な事例が紹介されます(私が一番笑ったのは、煙草メーカーがスポンサーのヨットレースからヨットの「ニコレット(禁煙治療の補助剤の名前)」号が締め出されたこと)。イギリスでは「薬物のないスポーツの美徳と重要性を激賞する人が、同時に、タバコ会社がスポンサーから撤退することで生じる損害を憂慮する」という現象が生じ、そういった動きを「スポーツ団体とタバコの『永遠の中毒』」と揶揄する論評も出ました。
 スポーツ界で薬物がすべて違法なわけではありません。「合法的な薬物(たとえば痛み止め、局所麻酔剤など)」もあります。ところがこれらにも重大な健康障害の副作用があります。さらには「鎮痛剤をまるでお菓子のように頬張る」なんて選手も登場。おいおい、大丈夫か?
 1988年ソウルオリンピックまでIOCは「マリファナ」を無視していました。多くの国で違法とされていましたが、「能力を人工的に上げる薬物」ではない、と見なされていたのです。当時のウィンブルドン大会では「コカイン」も同様の扱いでした。多くのスポーツ団体が「社会的(娯楽目的の)薬物」に不寛容になってきたのは、1990年代半ばからだそうです。
 私たちはスポーツでの「フェアプレーの精神」を「常識」としていますが、実はそれは現代スポーツの発展に伴って発展した概念なのだそうです(たしかに古代ギリシアのオリンピックは、今とはまったく違う価値観の中で施行されていたでしょうね)。その中でルールはより詳細になり、罰則もきちんと与えられるようになりました。そして「アンフェア」「選手の健康を害する」点で薬物を禁止していたスポーツ団体は「社会的に問題とされている(アンフェアでもなければ健康を害しもしない)薬物を使用したら、スポーツのイメージが損なわれる」点でマリファナなどを禁止するべき、という論点を採用しました。
 これに対して「マリファナ禁止はスポーツではなくて法律の問題で、IOCが警察の代理をする理由はない」という反論がありました。たしかにそうだ、と私は思います。この「第三の論点」の導入で、「反ドーピング」の根拠が曖昧になってしまった、と感じるのです。
 第二次世界大戦中、アンフェタミンの研究で「能力向上薬」という分野が開拓されました。戦後しばらく日本でも「覚醒剤」が合法的に市中の薬屋で売られていました。さらにステロイドホルモン剤も筋力増強目的で使用されるようになります。70年代だったかな、ソ連や東ドイツの「ステート・アマ」が大活躍をしていましたが、それは国の支援があったからだけではなくて、薬物のおかげもあったようです。ただ、選手の側の薬物使用の動機として「過剰適応」があるのではないか、という指摘にはちょっとびっくり。ただそれがあるとしたら、いくら叩いてもドーピングが根絶できない理由の一部がわかる気がします。
 過去半世紀にエリートスポーツは「脱アマチュア化」の過程を辿り、同じく過去半世紀に発展した「スポーツ医学」がそれを支えました。さらにスポーツは「政治化」「商業化」もしており、現在の姿になってきました。金メダルはかつては「栄誉」でしたが、現在は「巨大な報酬のシンボル」なのです。同時に「スポーツそのもの」も、たとえばアメリカ社会では「ロマンティシズムのかおり」や「生活のゆとりの一部」から「真剣に取り組むべきもの」へと変化しました。当然「真剣な取り組み」の一部にスポーツ医学が存在しているわけです。
 私たちの社会でも医学の存在はどんどん大きくなっています。スポーツも社会の一部である以上、そこだけ医学とは無関係、というわけにはいかないでしょう。すると単純に「禁止薬剤のリスト」を作って「アスリートから禁止薬剤が検出されるかどうか」だけに注目していたら「スポーツ」の全体像を見逃すことになりそうです。世界は複雑だ、と私はつくづく思います。