そしてその日のラヴノーだ。
80年代の後半に83年もののビュトゥーというプルミエを飲んだ時よりは熟成は進んではいなかった。
というのも、83年ものにはどこか貴腐化したかのようなニュアンスも見受けられたのだ。
それからもう一つ言えることは、これはラヴノーに限らず、シャブリの姿はグランクリュよりもプルミエクリュによってそのテロワを体現できる。
だから硬質のミネラリーに煌く、それこそシャブリ然とした味わいと香気はビュトゥーに軍配が上がるのは火を見るより明らかなのだ。
それでも、このヴァルミュールの凄みはワインとしての正統性にあるのだと思う。
それはシャブリというアペラシオンに限定しての凄みではない。
ユニヴァースと言えば語弊があるかと思うけれど、それだけ有無を言わせぬオーラがある。
ここまで言うと、分るかとも思うが、その日の寿司との相性がどうのとかではなくて、その造り手の気合いを感じながら飲んでいるのだ。
Wine Heatの皆さんを前にして、こんな事どもは、無用のハナシだと思うのだが、そんな記念日のラヴノーではあったのだ。
そうゆうワインもたまにはあってもイイのだろう・・・
正しくシャルドネの油、そんなラヴノーいただきました。
80年代の後半に83年もののビュトゥーというプルミエを飲んだ時よりは熟成は進んではいなかった。
というのも、83年ものにはどこか貴腐化したかのようなニュアンスも見受けられたのだ。
それからもう一つ言えることは、これはラヴノーに限らず、シャブリの姿はグランクリュよりもプルミエクリュによってそのテロワを体現できる。
だから硬質のミネラリーに煌く、それこそシャブリ然とした味わいと香気はビュトゥーに軍配が上がるのは火を見るより明らかなのだ。
それでも、このヴァルミュールの凄みはワインとしての正統性にあるのだと思う。
それはシャブリというアペラシオンに限定しての凄みではない。
ユニヴァースと言えば語弊があるかと思うけれど、それだけ有無を言わせぬオーラがある。
ここまで言うと、分るかとも思うが、その日の寿司との相性がどうのとかではなくて、その造り手の気合いを感じながら飲んでいるのだ。
Wine Heatの皆さんを前にして、こんな事どもは、無用のハナシだと思うのだが、そんな記念日のラヴノーではあったのだ。
そうゆうワインもたまにはあってもイイのだろう・・・
正しくシャルドネの油、そんなラヴノーいただきました。