瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

■日常の行為に気づきを

2004年12月05日 | 瞑想日記
夕方は少し眠気があった。そのせいか半分夢のようなイメージにしばしば心を奪われた。その時々の条件によって瞑想の状態が違う。やはり食事量も重要なファクターだろう。

一日を振り返り、日常の行為は気づきのなかで行われただろうか。掃除は完全に妄念の中で行っていた。洗濯物の取り込みは、少しは意識して気づきの中で行おうとした。

『「集中力を生み出す」とはどういうことなのでしょうか。マインドフルネスは自分のしていることに注意を集め、それをはっきりと知ることを助けてくれます。‥‥気づきのともしびがともるとき、われわれの存在全体が明るく照らされます。過ぎ去っていく思考や感情にも光があてられます。自分に対する尊敬と自信が回復し、根拠のない幻のような思いに圧倒されるようなことも、もはやなくなります。そして集中力は最高度にまで発達します。私たちは以前と同じように、手を洗ったり、服を着たり、その他の日常の行為をしますが、いまや自分の行為、言葉、思考にはっきりと『気づいて』いるのです。」(ティク・ナット・ハン『禅への鍵』)

ラベリングによるサティは、生活の中の気づきへの足がかりを作ってくれた。本当の意味で生活全体を気づきの瞑想とすること。上に抜書きしたような状態に、自分も少しでも近づけるかもしれないと思えるようになった。
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■朝の座禅

2004年12月05日 | 瞑想日記
昨日は、午前中40分、就寝前30分くらいと2回の座禅。今朝35分ほど座禅。昨日の影響が残っているのか、今朝の座禅は最初から腹の動きに集中し、思考が非常にすくない。思考が出てもすぐにサティし腹に戻った。朝は、胃もカラで睡魔に襲われることもないという条件の良さも多分にあるだろう。と同時に、継続して行くことで浄化が進んでいくという面もあるだろう。

後半、一人の人物のイメージが浮かんだ。最近その態度に若干傷つき、怒りを感じていた。イメージの中でその男の表情が優しくなり、淡い光の中に消えていった。もう一つは、昨日食事のときにたまたま見ていたテレビ出演した男のイメージが何度か浮かんだ。養護施設で育ち、両親に会ったこともなかった男が母親と再会した。一緒に出演した多くの子どもとともに幸せそうな母の隣で複雑な表情を見せる青年の姿が、何度か浮かんだ。
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■エポケーなど

2004年12月05日 | 読書日誌
さるさる日記で「精神世界と心理学:読書日誌」だけのときは、日に多くて5~6だったアクセス数が、ライブドアでブログを借りて『エポケー:精神世界と心理学を中心とした読書日記』として公開しはじめると、記入をしなかった昨日でも73のアクセスである。記入する頻度が格段に高くなったのも一つの理由ではあろう。

自分自身の読書ノートのつもりだが、公開にしておくと、やりがいが出て動機付けにもなるし、自分の他のサイトへのリンクもできるので一石二鳥だ。問題があるとすれば、まとめは時間がかかるので、つい遅れてまとめるべき本がたまってしまい、読んだ直後の感動も薄れて「まとめ」をしようとする意欲も減退するところだ。唯識の本『知の体系』で輪廻の問題を考察しようと思ったが、今はかなり意欲が薄れている。『フィールド 響き合う生命・意識・宇宙』の印象も薄くなり、当初ほどにしっかりまとめておこうという気持ちはなくなった。

今は、古東哲明の『〈在る〉ことの不思議』(勁草書房)を読んでいる。久しぶりにハイデッガーを中心とした哲学プロパーの本だが、予想に違わず面白い。平行して Swallowing the River Ganges も読んでいる。『清道論』に基づいたヴィパッサナー瞑想の実践ガイドといった趣だが、マハーシ方式とは若干違う。それにしても修行の発展段階の精緻なガイドマップには驚く。

明日はできればメルマガ『読書の旅』を発行したい。今回はどの本にするか思案中。
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