夕方は少し眠気があった。そのせいか半分夢のようなイメージにしばしば心を奪われた。その時々の条件によって瞑想の状態が違う。やはり食事量も重要なファクターだろう。
一日を振り返り、日常の行為は気づきのなかで行われただろうか。掃除は完全に妄念の中で行っていた。洗濯物の取り込みは、少しは意識して気づきの中で行おうとした。
『「集中力を生み出す」とはどういうことなのでしょうか。マインドフルネスは自分のしていることに注意を集め、それをはっきりと知ることを助けてくれます。‥‥気づきのともしびがともるとき、われわれの存在全体が明るく照らされます。過ぎ去っていく思考や感情にも光があてられます。自分に対する尊敬と自信が回復し、根拠のない幻のような思いに圧倒されるようなことも、もはやなくなります。そして集中力は最高度にまで発達します。私たちは以前と同じように、手を洗ったり、服を着たり、その他の日常の行為をしますが、いまや自分の行為、言葉、思考にはっきりと『気づいて』いるのです。」(ティク・ナット・ハン『禅への鍵』)
ラベリングによるサティは、生活の中の気づきへの足がかりを作ってくれた。本当の意味で生活全体を気づきの瞑想とすること。上に抜書きしたような状態に、自分も少しでも近づけるかもしれないと思えるようになった。
一日を振り返り、日常の行為は気づきのなかで行われただろうか。掃除は完全に妄念の中で行っていた。洗濯物の取り込みは、少しは意識して気づきの中で行おうとした。
『「集中力を生み出す」とはどういうことなのでしょうか。マインドフルネスは自分のしていることに注意を集め、それをはっきりと知ることを助けてくれます。‥‥気づきのともしびがともるとき、われわれの存在全体が明るく照らされます。過ぎ去っていく思考や感情にも光があてられます。自分に対する尊敬と自信が回復し、根拠のない幻のような思いに圧倒されるようなことも、もはやなくなります。そして集中力は最高度にまで発達します。私たちは以前と同じように、手を洗ったり、服を着たり、その他の日常の行為をしますが、いまや自分の行為、言葉、思考にはっきりと『気づいて』いるのです。」(ティク・ナット・ハン『禅への鍵』)
ラベリングによるサティは、生活の中の気づきへの足がかりを作ってくれた。本当の意味で生活全体を気づきの瞑想とすること。上に抜書きしたような状態に、自分も少しでも近づけるかもしれないと思えるようになった。