朝、40分どの瞑想、夕方25分の瞑想、それぞれに深まりを感じる。やはり朝の瞑想は条件が良いのか、静まりが深い。時々家族のものが出入りしたり、妻に話しかれられたりするのはいたしかたない。現実には、若干のいらつきや怒りはあるが、それはそれで、それに反応する自分の心をしっかりとサティすればよい。
ブッダのヴィパッサナー瞑想の「今日に一言」に次のようにあった。
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12/11(土) 「…どうしても妄想が止まらないんです」
「止めようとしないで、『サティを入れても妄想が止まらない状態』とサティを入れてください。
止まってもいいし、止まらなくてもいいのです。どちらもただの状態だから、そうなんだ、と確認を続けていくのです」
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こうして、あるがままの状態をサティしていくことは、ヴィパッサナー瞑想にとってもっとも大切なことなのだが、哀しいかな、人間は様々な期待をするようにできているので、期待した状態に至らない自分をついつい否定してしまう。その結果、何度も何度も同じ失敗を繰り返す。だから、こういう言葉を読むたびにハッとして、「そうだった」と思い直す。私も何度も、そんなことをやってきた。
平成16年12月25日~平成17年1月3日まで、八王子のグリーンヒル瞑想研究所でまた10日間の瞑想合宿に参加する予定である。正月はちょっといろいろな意味で厳しいかなと思っていたが、運よく参加できることになった。否が応でも、また期待が高まっている。そんな自分の気持ちも、またたんたんとサティしていこう。
妻が出勤だったので掃除をしたり、洗濯物を干したりもしたが、生活瞑想のほうは、ほとんどサティができていなかった。「サティができていない」とすらも。