サイト「臨死体験・気功・瞑想」の
覚醒・至高体験事例集の「病とともにある場合」の中に
柳澤圭子氏の体験を収録してある。必要があってこれを読み返していた。彼女自身が自らの体験を、宗教学者・岸本英夫による神秘体験の特徴づけと比較している。
(一)特異な直観性
(二)実体感、すなわち無限の大きさと力を持った何者かと、直接に触れたとでも形容すべき意識
(三)歓喜高揚感
(四)表現の困難
の四つである。この特徴づけは、岸本英夫集・第二巻『神秘主義とヨーガ』のなかの「宗教神秘主義論」という論文の中に出てくる。書棚からこの本を引きずり出して確認しているうちに、面白くなって読み始めた。いくつかの意味で刺激になったり参考になったりした部分があった。
ひとつは、ヨーガの「修行に伴う心の沈潜の過程」が詳細に検討されていることである。少しは瞑想に取り組むようになった私にとっては、こういう深まりがあるのだなという意味で刺激になった。
もうひとつは、神秘主義に肯定的、否定的という二つの立場があるとしていることである。肯定的な立場では、「高い境地に到達した結果、心が開けていままで知られなかった深い意義を現実の中に見出し、深い意味で充実した生を味得する」、生の肯定である。これに対して否定的な立場もある。「いかに修行を重ねても、この現象界の中に生を享けている間は、究竟の理想は実現されない。それが実現されるためには現象界から消滅しなければならない」という。生の否定である。現象界における生の否定によってはじめて修行の完成はなるとする。これが、否定的神秘主義である。
『ヨーガ・スートラ』の体系は、否定的神秘主義の特徴を備えているという。私にとって重要なのは、大乗仏教と上座仏教とが、肯定的と否定的という、ほぼこの二分類に対応するだろうということだ。確かにそのとおりなのだろうが、これだけはっきりと言われてしまうと、あらためてその違いの大きさに、感じるものがある。
それは、それとして上述のようなきっかけで『神秘主義とヨーガ』を読んだことが刺激となり、今度はこの本の隣に並らべていた佐保田鶴治の『ヨーガの宗教理念』などを読みたくなった。