瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

つかまず、狙わず

2004年12月18日 | 瞑想日記
12/15(水)のブッダのヴィパッサナー瞑想、「今日の一言」に次のような言葉があった。

「強烈な眠気がどうしても消えないまま、あと1時間半で今回の短期合宿も終る…という時点で、完全に諦めがついた。
 その瞬間、なんと昏沈睡眠は霧が晴れるように消失していった。
 良い瞑想に対する執着と渇愛が、執拗な昏沈睡眠の原因になっていたケースである。」

私も、前回の瞑想合宿で、良い瞑想、深い体験への「執着と渇愛」があった。合宿の前半、妄念にかき回されて瞑想にならなかったのは、そのためだろうと思っていた。上のような例を読むと、やはりそうだったのだという思いを深くする。そして、執着や渇愛がかくも深く瞑想に影響を与えてしまうということに何かしら感慨を覚える。

瞑想合宿が近づいてやはり「期待」は高まっている。「何もつかまず、何も狙わず、ただ淡々と観ていくだけ」は、難しいかも知れないが、自分のなかのどんな執着をもただそういう事実として手放しで見ていけるよう、瞑想していこう。
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