瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

慈悲の瞑想

2007年03月29日 | 瞑想日記
◆今日も「慈悲の瞑想」やそのバリエーションを、時間があれば繰り返した。外を歩いている時だけではなく、廊下を歩いたり、階段を昇り降りしたり、そのほかちょっとした時間は、思い出すかぎり心のなかで繰り返していた。

◆以前の職場で、取れる単位だけとって学校をやめていく意志を固めた生徒がいた。学校の指導には従わず、態度が悪かった。立場上、その生徒に説教をしなければならなかった。彼と話すのはじめてであった。顔をあわせた瞬間に彼に対してひそかに「慈悲の瞑想」をした。

「○○が幸せでありますように。○○の悩み・苦しみがなくなりますように。○○の願いが叶いますように。○○にさとりの光があらわれますように。」

言葉を交わすうちに、彼は自分の内面を見つめるかのように、確かめるかように語りはじめた。学校をやめるのは、彼なりに真剣に悩み、迷い、考えた末の結論だったが、まだ迷いも残っていた。自分の見つめながら語る姿に感動した。彼の話はとめどもなく1時間続いた。彼の真実の姿に触れたかのように感じた1時間だった。

彼があの時、あれほど率直に自分を語りはじめたのはなぜだろうか。もしかしたら誰かに語りたいという思いがたまっていたのかも知れない。しかし、もしかしたら、出会った瞬間の「慈悲の瞑想」も何かしら関係していたかも知れない。
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