◆エックハルト・トール『Stillness Speaks: Whispers of Now
』(訳書は、『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え
』)より
Ultimately you are not taking responsibility for life until you take resuponsibility for this moment---Now. This is because Now is the only place where life can be found.(P42)
「結局のところ、この瞬間に――「いま」に責任をとらないかぎり、あなたは自分の人生に責任をとっていないのだ。「いま」こそが人生が発見される唯一の場だからだ。」
「いま」に責任をとるということは、「いま」に絶対的な重きを置くということだろう。たとえば、自分の命があと10時間しかないと知ったらなら、「いま」は絶対的な重さを持つ。「いま」が、かけがえのないものとなる。しかし、私たちの日常的な意識にとっては、「いま」は未来へと向かう手段に堕してしまう。
日常的な意識に生きる私たちにも可能なことはある。ハッとわれに返ることだ。思考に埋没している自分に、そのつど気づくことだ。そのつど気づき返すことによって「聖なるいま」を自覚することだ。
そして、もう一つは日常的な意識に埋没してしまう私を、一瞬でもわれに帰らせてくれる言葉に接することだ。
Ultimately you are not taking responsibility for life until you take resuponsibility for this moment---Now. This is because Now is the only place where life can be found.(P42)
「結局のところ、この瞬間に――「いま」に責任をとらないかぎり、あなたは自分の人生に責任をとっていないのだ。「いま」こそが人生が発見される唯一の場だからだ。」
「いま」に責任をとるということは、「いま」に絶対的な重きを置くということだろう。たとえば、自分の命があと10時間しかないと知ったらなら、「いま」は絶対的な重さを持つ。「いま」が、かけがえのないものとなる。しかし、私たちの日常的な意識にとっては、「いま」は未来へと向かう手段に堕してしまう。
日常的な意識に生きる私たちにも可能なことはある。ハッとわれに返ることだ。思考に埋没している自分に、そのつど気づくことだ。そのつど気づき返すことによって「聖なるいま」を自覚することだ。
そして、もう一つは日常的な意識に埋没してしまう私を、一瞬でもわれに帰らせてくれる言葉に接することだ。