◆エックハルト・トール『Stillness Speaks: Whispers of Now
』(訳書は、『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え
』)より
A simple but radical spiritual practice is to accept whatever arises in the Now ―― within and without.
「単純だが根源的なスピリチュアルな実践は、「今」において――心の内側にであろうと外部にであろうと――あらわれるすべてを受け入れるということだ。」
ここにエックハルト・トールからのメッセージの一切が集約されているといってもよい。これをひとつの言葉でsurrender(降伏、明け渡し、放下)と置き換えてもよい。与えられた現実への、自我による一切のあらがいを止めてしまうこと。そのまま受け入れてしまうこと。
現実には、私の内側にも外側にもささやかな苦しみがある。それらへのあらがいを一切、放下してしまうことができるか。苦しみが、もっと大きな、たとえば深刻な病だったらどうか。一切を放下することができるか。しかし、悟りとはそういうことなのだろう。「今」あるすべてを受け入れ、それ以上を望まないこと。
それは、常に死を自覚する生き方でもあろう。死の前で、自我によるすべてのあらがいは虚しい。その虚しさに徹するとき自我は放棄されるのだろう。そして、自我が放棄されたとき、自我を超えたところで生きるようになるのだろう。
私にとっては、こうしたことを書かないよりは、書いて確認することで、自我や日常の虚しいあらがいに埋没する生き方から一瞬でも目覚めることを可能にする。その意味でも書くことが大切だと思う。
A simple but radical spiritual practice is to accept whatever arises in the Now ―― within and without.
「単純だが根源的なスピリチュアルな実践は、「今」において――心の内側にであろうと外部にであろうと――あらわれるすべてを受け入れるということだ。」
ここにエックハルト・トールからのメッセージの一切が集約されているといってもよい。これをひとつの言葉でsurrender(降伏、明け渡し、放下)と置き換えてもよい。与えられた現実への、自我による一切のあらがいを止めてしまうこと。そのまま受け入れてしまうこと。
現実には、私の内側にも外側にもささやかな苦しみがある。それらへのあらがいを一切、放下してしまうことができるか。苦しみが、もっと大きな、たとえば深刻な病だったらどうか。一切を放下することができるか。しかし、悟りとはそういうことなのだろう。「今」あるすべてを受け入れ、それ以上を望まないこと。
それは、常に死を自覚する生き方でもあろう。死の前で、自我によるすべてのあらがいは虚しい。その虚しさに徹するとき自我は放棄されるのだろう。そして、自我が放棄されたとき、自我を超えたところで生きるようになるのだろう。
私にとっては、こうしたことを書かないよりは、書いて確認することで、自我や日常の虚しいあらがいに埋没する生き方から一瞬でも目覚めることを可能にする。その意味でも書くことが大切だと思う。