◆12月28日、29日、30日と昼食を少なめにとっただけの「半断食」であった。31日の午前1時半ごろに就寝したときも空腹感はなく、むしろ体がすっきりして爽快であった。3時ごろには頭が冴えてしまい、寝床の中でサティを続けたが、そのうち眠ったようだ。31日の昼食を普通にとって復食したが、その後は少し食べ過ぎた。少食で体が慣れてしまえば、そちらの方がはるかに体が喜んでいるのもわかる。今日も、昼食の雑煮一食のみで「半断食」に入るつもりだ。
読みかけてそのままになっていたsayadaw u panditaのIn This Very Life : The Liberation Teachings of the Buddhaという本を30日に開いた。また読んでみようかという気になったのだ。しおりが入っていた110ページあたりを読み始めると、偶然か、リトリート中の食事のことが書かれていた。瞑想者は、充分にマインドフルになると舌の味覚を感じなくなってショックを受けるというようなことが書いてあった。私は、まだそこまでマインドフルではないが、その前後の食事についての記述に刺激を受けたのは確かだ。
◆最近は、慈悲の瞑想をする時間が増えていることは何度か触れた。レジの前の列に並んで待っているときなど、以前ならサティをしていることが多かったが、最近はほとんど慈悲の瞑想をしている。昨日、郵便局で年賀状を買い足した。帰宅し印刷しようと確認したら、千円出して20枚買ったつもりが10枚しか入っていなかった。何やっているんだと怒りを感じながら郵便局の窓口に並んだ。さっき応対した若い男性局員が、女性の客に対応しており、かなり待たされた。それで余計にいらいらしたが、その局員を見ながら慈悲の瞑想をすることにした。誠実で優しそうな人柄が伝わり、怒りも消えた。静かに用件を伝えると、実は渡したあと足りなかったことに気づき後を追ったが、間に合わなかったとのことだった。気持よく郵便局を後にすることが出来た。
読みかけてそのままになっていたsayadaw u panditaのIn This Very Life : The Liberation Teachings of the Buddhaという本を30日に開いた。また読んでみようかという気になったのだ。しおりが入っていた110ページあたりを読み始めると、偶然か、リトリート中の食事のことが書かれていた。瞑想者は、充分にマインドフルになると舌の味覚を感じなくなってショックを受けるというようなことが書いてあった。私は、まだそこまでマインドフルではないが、その前後の食事についての記述に刺激を受けたのは確かだ。
◆最近は、慈悲の瞑想をする時間が増えていることは何度か触れた。レジの前の列に並んで待っているときなど、以前ならサティをしていることが多かったが、最近はほとんど慈悲の瞑想をしている。昨日、郵便局で年賀状を買い足した。帰宅し印刷しようと確認したら、千円出して20枚買ったつもりが10枚しか入っていなかった。何やっているんだと怒りを感じながら郵便局の窓口に並んだ。さっき応対した若い男性局員が、女性の客に対応しており、かなり待たされた。それで余計にいらいらしたが、その局員を見ながら慈悲の瞑想をすることにした。誠実で優しそうな人柄が伝わり、怒りも消えた。静かに用件を伝えると、実は渡したあと足りなかったことに気づき後を追ったが、間に合わなかったとのことだった。気持よく郵便局を後にすることが出来た。