瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

ラベリングの大切さ、そして怒り

2009年01月03日 | 瞑想日記
◆瞑想中のサティにとって死角になってしまうところが必ずといってよいほどある。瞑想合宿に出るたびに自分の死角にいやというほど苦労し、また死角に気づくことで、これまでの状態が嘘だったように瞑想が進むことが何度もあった。自分自身がいちばん強く狙ったり、願ったり、囚われたりしている部分は、それだけ強く同一化しているわけだから、サティが入りにくいのだ。

日々の瞑想の中でも、死角は出来やすい。とくに瞑想をしようとする動機は、それが強いほど死角になり、サティが入りにくい。ここ数日は、瞑想を開始してすぐに今まさに瞑想をしようとしている自分の動機をしっかりサティするようにしている。「あせり」「成果をあげたい」「劣等感」‥‥。自分の死角をしっかりサティしきってしまうと、それ以降、サティが安定していくような気がする。

◆午前中、40分ほど瞑想。今日は、ラベリングの大切さをつくづく思った。瞑想をし始めたとき、かなり思考に囚われていた。一度「思考」というラベリングが入っても、すぐにラベリングさえ入らない思考が続く。そんな時、「あ、ラベリングが入っていない」と気づくことも大切だ。「思考」とラベリングが入ってしまえば、それは思考する自分に気づきが入ったということであり、すぐにもとの集中(腹の動きなど)に戻れる。

15分ぐらい建ってからか、いくつかの思考をきっかけに、ある人物への強い怒りの感情がこみ上げた。からだ全体が怒りに囚われたような感覚があった。もちろん「怒り」とラベリングしながら燃える怒りにサティを続けた。そのうちにすっと怒りが引いた。その後は体がすっきりとし、腹の動きもごく小さくなり、その動きへのクリアなサティが続くようになった。最近、この怒りがかなり抑圧され、死角になっていた可能性がある。瞑想中に燃えがった怒りをサティし続けることによって、怒りが少しは解放された可能性がある。もちろん完全に解放されたとは思っていない。今後、瞑想によって怒りを解放し尽くすことが出来るだろうか。
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2 コメント

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アティテューディナル・ヒーリング (寧応)
2009-01-04 16:17:25
今、水島広子さんの「怖れを手放す」という本を
読んでいるんですが、怒りに効果ありますよ。
アティテューディナル・ヒーリング入門ワークショップというサブタイトルですが、「怒っている人は困っている人」という言葉にピーンときちゃいました。
なんといつもムカついている、年老いた父の非難めいた指摘を反発するでなく、無視するでなく、まともに
キャッチできましたよ。何事もなかったかのように会話のキャッチボールを続けられてビックリ!お薦めいたします。
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調べてみます。 (Noboru)
2009-01-05 21:49:53
寧応さん、本をご紹介いただき、ありがとうござます。アティテューディナル・ヒーリングというのは始めて聞きました。さっそく調べて見たいと思います。面白そうですね。
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