瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

■再び唯識へ

2004年10月24日 | 輪廻説
ブッダの悟りの根本に無我があった。仏教の教えの中心に無我があった。だとすれば輪廻するものは何なのか。その後の仏教は、無我であるにもかかわらず輪廻するのはなぜか、という問いをめぐって展開したとすら言えるようだ。

唯識でいう阿頼耶識も、この問いに対する解答のひとつだった。だから、無我と輪廻の矛盾を問おうとすればどうしても唯識にも触れていかなければならない。

しかし唯識は、仏教哲学のなかでも難関中の難関と言われる。そうかんたんに分け入ることはでいないが、心理療法や深層心理学に深い関心をもつ私にとっては、仏教の深層心理学として、もともと唯識にも関心が深かった。自分にできる範囲で、輪廻という新たな関心から、再び少しづつ学んでいくことになるだろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■ダイアリーとして新たな出発 | トップ | ■何が輪廻する? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

輪廻説」カテゴリの最新記事