ある知人の誘いにより、東京都内のある短大で今年の9月より半期15回にわたって、実践コミュニケーションという講義を持つことになった。講義といってもコミュニケーションをめぐる実習が中心であり、参加学生は20名弱である。
すでに15回のうち11回の講義(というより実習中心)を終えている。この講義については、友人二人とともにやっている別のブログ「忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす
にアップしていくつもりで、その第一回目はすでにアップした。
瞑想や精神世界とは直接かかわりのあるテーマではないが、一種の心理療法的な手法も用いた実習を試みているので、アップしたときにはこちらにもリンクしていくつもりである。
すでに15回のうち11回の講義(というより実習中心)を終えている。この講義については、友人二人とともにやっている別のブログ「忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす
にアップしていくつもりで、その第一回目はすでにアップした。
瞑想や精神世界とは直接かかわりのあるテーマではないが、一種の心理療法的な手法も用いた実習を試みているので、アップしたときにはこちらにもリンクしていくつもりである。
瞑想合宿レポートを読んでいただきありがとうございました。今、私もそれほど熱心な瞑想者ではなく、人にアドバイスできる立場ではないと思いますが、地橋先生にアドバイスいただことや、自分のわずかな経験からお答えできる範囲でお答えします。
〉毎日、どのくらいの時間続けていけば、上達するものでしょうか。
自宅でひとりになる時間がなかなか取れないため、通勤時間を利用して歩く瞑想(駅まで)や座る瞑想(電車の中で)をしていますが、これはあくまで「日常生活のサティ」で、「歩く瞑想」や「座る瞑想」にはなっていないのでしょうか。
お返事いただけましたら、大変ありがたく存じます。
「日常生活のサティ」が大切な要素になっていることが、ヴィパッサナー瞑想の魅力のひとつであることは間違いありませんね。しかしそれはあくまでも本格的な歩く瞑想や座る瞑想の準備的な意味のものとして、というのが地橋先生の見解だと思います。きめの細かさが違います。中心対象を設けるか設けないかという大きな違いもあります。私自身の経験からしても、日常生活のサティは大切だけれども、本格的な瞑想とは深まりにおいて大きな差があると感じます。日常生活でのサティをおろそかにしないことが、座る瞑想や歩く瞑想をより深めるための大切な要素になっているとは思います。
ということでたとえ毎日10分でもよいから座るなり歩くなりの本格的な瞑想を行うようにということは、地橋先生も繰り返しおっしゃっていました。
どれぐらいの時間続ければ上達するかというのはなかなか難しい質問です。それぞれの資質もあると思います。私もなかなか上達しません。それぞれ自分の生活の中で許される限り、精一杯修行を続けていくほかないのではないでしょうか。
ご質問いただいて私自身への刺激にもなりました。私も、できる範囲で怠けがちな自分を励ましつつ、瞑想していきたいと思います。ありがとうございました。
地橋先生の本などを読んで、瞑想を始めたのですが、なかなか集中できない&続かないといった状況から進歩がなく悩んでいます。
毎日、どのくらいの時間続けていけば、上達するものでしょうか。
自宅でひとりになる時間がなかなか取れないため、通勤時間を利用して歩く瞑想(駅まで)や座る瞑想(電車の中で)をしていますが、これはあくまで「日常生活のサティ」で、「歩く瞑想」や「座る瞑想」にはなっていないのでしょうか。
お返事いただけましたら、大変ありがたく存じます。