瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

インド思想史と仏教

2005年06月24日 | 瞑想日記
◆インド思想史とテーラヴァーダ仏教
最近、インド思想史に関心がある。今は島岩著『シャンカラ』を読んでいる。他には玉城康四郎の大著『近代インド思想の形成』を少しづつ読んでいる。一方でテーラヴァーダ仏教も少しづつ勉強したい。最近、Matthew Flickstein の Swallowing the River Ganges を読んだ。『清浄道論』へ実践的なガイドとのことだった。すぐもう一度読み直してみるつもり。

シャンカラは、不二一元論を唱え、現象世界の多様性が無明に起因するとし、現象界の幻(マーヤー)を説いた。この思想は仏教の説に似ており、「仮面の仏教徒」とも呼ばれたという。思想史的には、彼により、仏教がバラモン教に吸収される結果となった。

インド思想史と大乗仏教との関係ということなら、何となく相互の影響関係がわかるのだが、テーラヴァーダ仏教の方は、インド思想史とのかかわりの中でどう位置づけることができるのだろうか。その辺がほとんど分からない。そんな関心もあって、両方を少しづつ学んでいきたい。

◆小食を始めた背景
おそらくヴィパッサナー瞑想の合宿に参加していなければ、小食をここまでやる気になったかどうか分からない。瞑想合宿そのものが小食の実践であり、そこで小食と瞑想との関係を体感した。そして並々ならぬ小食に徹し、しかも睡眠時間も2・3時間、驚くほど健康で精力的な地橋先生に間近に接していたことも大きい。

そういう背景があった上で、甲田光雄などの本を読み、その主張にすっかり納得してしまったのだ。理論的、実践的に「これま間違いない」と得心した。

たとえば、現代栄養学が必要だという一日のカロリー摂取量そのものが、あまりしっかりした根拠のない間違った数字であり、むしろ過食を招き、体にいろいろな弊害をもたらす。これが理論的にも、実践的な研究報告からも、そして瞑想合宿での経験や地橋先生の姿からも納得できた。さらに日常生活の中での自分の実践からも、ますます間違いないと思うようになっている。
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4 コメント

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「シャンカラ」と「清浄道論」 (便造)
2005-06-25 00:10:20
Noboru様



島岩著『シャンカラ』はいかがですか。

私も二度ほど通読したのですが、内容がうまく自分の中に入ってきませんでした。



でも、『清浄道論』は面白いですね。

現在中断中ですが、南伝大蔵経所収のものを少しずつ読んでいます。
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あまり胸に響かず (Noboru)
2005-06-25 13:52:12
便造さま、こんにちは。



『シャンカラ』は、私も、24日の日記に書いたように、あまり面白くありません。それほど興味を惹かれない議論に頭をつかいたくない、という感じですね。前半、インド思想史の中での位置づけは、それなりに勉強になりました。



『清浄道論』は、面白いですか。私も南伝大蔵経所収のものは購入したのですが、漢文を読むような文章に、いまのところ読書欲が湧きません。でもいずれは何らかの形で読みたいですね。
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『清浄道論』 (便造)
2005-06-28 01:00:35
>漢文を読むような文章



確かにそうですね。

中村元先生がいらっしゃらなかったら、いつまでそういう伝統が残ったか知れませんよね。



でも、『清浄道論』の内容には、「なんか面白い」と感じるようです。
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『清浄道論』 (Noboru)
2005-06-29 22:10:46
『清浄道論』、他の本の下の方に積んであったのを見つけ出して、ほんの少し読んでみました。やはり、たいへん読みにくいですね。英語で読んだ方が分かりやすいのでは、と思ったくらいです。それも含めて考えてみようと思います。
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