瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

瞑想合宿レポート14

2005年10月11日 | 瞑想合宿レポート
◆再び『フォレスト・ガンプ』
午後3時すぎにしばらく横になった。合宿では、眠気のなかでだらだらと冴えない瞑想を続けるよりは、眠気をとったうえで瞑想に集中した方がよいということで、ちょっとした仮眠は許されている。眼が覚めたのは4時近くだったから40分ほど眠ってしまったようだ。少し長すぎたかもしれない。

しかし疲れはすっかりとれていた。ゆったりした気持ちのなかで再び瞑想を始めた。瞑想に何かを求めようとする気持ちはもうなかった。今回の合宿のなかでいちばんピュアな瞑想だった。再び慈悲のバイブレーションに包まれている感じがした。そして、今回の合宿もまた結局は、私にもっとも必要な気づきが、予想もしなかった仕方でもたらされたのだと思った。

足をほどいて立ち上がろうとしたときに、ふと思った、「ああ、『フォレスト・ガンプ』は慈悲の映画だったんだ」と。それを「慈悲」と呼んでいいのかどうか分からない。少なくともそのときの私には、そう思えた。

IQが75しかなく身障者だったガンプ。無類のお人よしのガンプ。ガンプの幼なじみのジェニーは、つねにガンプの良き理解者であったが、幼いころから父の暴力がひどく、心に深い傷があった。やがてガンプのもとを去ってヒッピーとなり、反戦運動に身を投じてゆく。しかしその生活は自堕落で、裏切りと絶望が彼女の心身をむしばむ。そんな彼女が、傷ついた心の癒しを求めてか、故郷のガンプの元に舞い戻る。二人は結ばれ、ガンプはジェニーに求婚するが、その翌朝、彼女は黙って去ってしまう。

その時ガンプの子を孕んだ彼女は、ガンプに連絡もせずに一人で子供を生み育てる。しかしやがて、不治の病(エイズか)に犯されてしまう。彼女は、ガンプに連絡をとり、再開して求婚する。ガンプは、妻となった彼女を故郷の家で介護し、そのもとでジェニーは息をひきとる。

何度かガンプのもとを去っていったジェニーが、最後に病に犯されてガンプを頼るとき、彼は、その彼女をただひたすらな思いで受け入れ、愛し、最後まで世話をし続ける。そんなガンプの姿が私のなかで「慈悲」という言葉と重なったのだ。

合宿の直前に見た映画が、私に夢を見させた。合宿に遅れてでも自分の使命を果たすという夢だった。使命とは、家族関係のなかでの自分の行為の姿勢に関係していた。その姿勢は、深いところで「慈悲」に結びついていくのだろうか。
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