瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

恐れと愛

2007年04月21日 | 読書日誌
『愛への帰還』(とその基盤となっている『奇跡の学習コース』A Course In Miracles)を読んで感じるのは、クリシュナムルティやエックハルト・トール、最近読んだ本ではガンガジらが語ることと、その底に流れているものは同じだということである。違うところは、同じことを愛という側面から語っており、それゆれより実践的であるということである。

「恐れとは、愛が共有されていない状態であり、個人的にも人類にとっても地獄です。恐れは、私たちの内部から、そして外部から私たちにのしかかり、愛の無意味さについていつも嘘の証言をします。恐れが表現される時、それは、怒り、虐待、病気、苦痛、貪欲、中毒、利己主義、妄想、腐敗、暴力、戦争といった形で認識されます。
 愛は私たちの中に在ります。愛は破壊されることはありませんが、隠すことはできます。」p29

ここで「愛」という言葉が使われているが、仏心や仏性あるいは悟りという言葉と置き換えても同じであろう。仏心は、私たちの中にあり、破壊されることはないが、隠すことはできるのである。

「『奇跡の学習コース』によれば、愛を探すのは私たちの仕事ではなく、愛がやって来るのを妨げるべく私たちが築いた壁を探すことが私たちの仕事であるのです。」p139

これも、仏性を探すのが仕事ではなく、仏性を妨げる壁を探すのが私たちの仕事だと置き換えても言わんとすることの本質は変わらない。壁、それは「自我」と呼ばれる限定である。

「自我」に囚われているから恐れがある。どうせ消えてしまう小さなものにこだわっているから、「自我」を超えて流れているはるかに大きな「何か」を感じられないのだ。一瞬一瞬、「自我」に基づいて行為するのではなく、「自我」を忘れて滅びることのない「何か」に従って行為すればよい。そこに恐れはなく、無限に流れ出る輝きがあるのだろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 恐れは幻想 | トップ | 降伏 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読書日誌」カテゴリの最新記事