GHQ焚書図書開封第150回
-『弘道館記』『弘道館記述義』の暼見-
弘道館とは、水戸藩の藩校で水戸學の中心の場所。(米沢・・興譲館、会津・・日新館、岡山➗・閑谷学校、萩・・明倫館)
◆九代藩主 徳川斉昭『弘道館記』(1838年)・・・491文字の漢文よりなっている。
■弘道館記
弘道者何、人能弘道也、道者何、天地之大経、・・・・・、而聖子神孫尚不背自足、楽取於人以為善、・・・・備中納言従三位源朝臣斉昭也、設斯館以統治教者誰
天保九年歳次戊戌春三月 斉昭撰文井書及篆額
◆藤田東湖『弘道館記述義』(1846年)・・・『弘道館記』を詳しく論述したもの。
■ 弘道館記述義
弘道トハ何ゾ。人能く道ヲ弘ムルナリ。道トハ何ゾ。天地の大経ニシテ、而シテ生民の須臾ヲ離ルベカラザル者ナリ。弘道の館ハ何ノ為ニ設ケタルカ。極ヲ立テ恭シク准ミルニ、上古神聖、極クヲ立テ、統ヲ唾シタマヒ、天地位シ、萬物育ス。其ノ六合照臨二・・・其ノ館ニ出入シ、神州ノ道ヲ奉ジ、西土ノ教ヲトリ、忠孝ニ旡ク、文武岐レズ、学問事業、其のコウヲ殊ニセズ・・・・備中納言従三位、源朝臣斉昭ナリ。
然らばすなわち唐虞三代の道は、ことごとく神州に問ふべきか。曰く否。治教の資るべきものは粗善に述べたり。而して決して用ふべからずもの二あり。曰く、禅譲なり。曰く、放伐なり。虞・夏は禅譲し、殷・周は放伐す。而して、秦・漢以降、孤児・寡婦を欺きて、その位を奪う者は、必ず口を舜・禹に藉り、宗国を滅ぼして、旧主を殺し、以て天下を奪う者は必ず名を湯・武に託す。歴代の史、すでに二十を過ぐ。ただに上下位を変ふるのみならず、或いは内外の分を侍してこれを失ふ。所謂拓抜・耶律・完顔・奇渥温・愛新覚羅なる者は、何等の種類にして、何等の功徳かある。しかも、九州の臣民はその角を崩すがごとく、また従ってその美を賛揚し、ややもすれば、唐・虞に比す。また憫笑すべからずや
赫々たる神州は、天祖の天孫に命じ給ひしより、皇統一姓これを無窮に伝え天位の尊きことなほ日月の諭ゆべからざるがごとし、すなはち万世の下、徳、舜・禹に匹び、智、湯・武にひとしき者ありといえども、またただ一意上に奉じて、以て天功を亮くるあるのみ、万一、その禅譲の説を唱ふる者あらば、およそ大八州の臣民は、鼓を鳴らしてこれを攻めて可なり。況んや口を藉り、名を託するの後に、 種を神州に遣さしむべけんや。また況んや 犬羊の類、あに辺海に垂涎せしむべけんや。故に曰く「資りて以て皇獣を賛く」と。もし彼の長ずるところを資り、併せてその短なるところに及びて、遂に数の万国に冠絶する所以のものを失はば、いづくにかその賛獣たること在らんや。
政治上の主権者は万世一系の現人神であり、即ち信仰上の中心たる天皇であらせられるのであるから、我国固有の精神を堅持する者にありては、政治も宗教も道徳もその中心の一点に帰納することができるのであるが、キリスト教や仏教にありては、政治上の主権者を神とするのではなく、その外に神や仏を立てるのである。そこに理宗から大統を受け継ぎ給ふ天皇を絶対の中心生命として、人情の自然に従って報恩反始の至誠 するを最高の道徳とする我國體観念との相違があり、人生観も倫理観も異なってくるのである。天皇以上に尊敬すべき神や仏があると観念する以上、天皇は宇宙唯一の神聖なる現人神であらせられると観念する絶対的な信念と相違する思想があるから、ややもすれば、その神聖を冒涜する行為となって現れるのである。
大日本中心主義を唱え皇道を四海に及ぼさんと考えふる者が神を敬ふることは当然であるとしtも、仏教を糾弾しながら儒教を崇めることは私見の偏執であり、不覚であると論ずる者がある。賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤等は国学の振興をはかり共に儒仏思想を清算しようと努めた。
国学派は、儒者が孔孟の空言に欺かれて、支那の堯・舜・禹・湯・文・武・周公の類を聖人視する醜態であると指摘した。孔孟の教訓なる儒教は放伐禅譲を称揚し、徳を以て本と為すところの民主主義的功利観念から出発する道徳論で易姓革命をこじつける屁理屈である。
真の道徳なるものは、他の強制を待たず、『中庸』にあるが如く『天の命を性といひ、性に率ふを道といふ』といふ、しかるに「徳を以て王と為る」といふ口実のもとに、天下を簒奪する者は国民の円福を求めんがために、或いは民心を拘束せんが為に仁義を強制し、そうした道徳の説明を正当とするのは言語道断といふにあった。
参考文献:「藤田東湖の生涯と思想」大野慎 「水戸學」今井宇三郎、瀬谷義彦、尾藤正英
2017/10/25公開