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-『弘道館記』『弘道館記述義』の暼見-(GHQ焚書図書開封第150回)

2021-08-28 14:25:25 | 近現代史

GHQ焚書図書開封第150回

-『弘道館記』『弘道館記述義』の暼見-

弘道館とは、水戸藩の藩校で水戸學の中心の場所。(米沢・・興譲館、会津・・日新館、岡山➗・閑谷学校、萩・・明倫館)

◆九代藩主 徳川斉昭『弘道館記』(1838年)・・・491文字の漢文よりなっている。

 

 ■弘道館記

 弘道者何、人能弘道也、道者何、天地之大経、・・・・・、而聖子神孫尚不背自足、楽取於人以為善、・・・・備中納言従三位源朝臣斉昭也、設斯館以統治教者誰

 天保九年歳次戊戌春三月 斉昭撰文井書及篆額

 

◆藤田東湖『弘道館記述義』(1846年)・・・『弘道館記』を詳しく論述したもの。

■ 弘道館記述義

 弘道トハ何ゾ。人能く道ヲ弘ムルナリ。道トハ何ゾ。天地の大経ニシテ、而シテ生民の須臾ヲ離ルベカラザル者ナリ。弘道の館ハ何ノ為ニ設ケタルカ。極ヲ立テ恭シク准ミルニ、上古神聖、極クヲ立テ、統ヲ唾シタマヒ、天地位シ、萬物育ス。其ノ六合照臨二・・・其ノ館ニ出入シ、神州ノ道ヲ奉ジ、西土ノ教ヲトリ、忠孝ニ旡ク、文武岐レズ、学問事業、其のコウヲ殊ニセズ・・・・備中納言従三位、源朝臣斉昭ナリ。

然らばすなわち唐虞三代の道は、ことごとく神州に問ふべきか。曰く否。治教の資るべきものは粗善に述べたり。而して決して用ふべからずもの二あり。曰く、禅譲なり。曰く、放伐なり。虞・夏は禅譲し、殷・周は放伐す。而して、秦・漢以降、孤児・寡婦を欺きて、その位を奪う者は、必ず口を舜・禹に藉り、宗国を滅ぼして、旧主を殺し、以て天下を奪う者は必ず名を湯・武に託す。歴代の史、すでに二十を過ぐ。ただに上下位を変ふるのみならず、或いは内外の分を侍してこれを失ふ。所謂拓抜・耶律・完顔・奇渥温・愛新覚羅なる者は、何等の種類にして、何等の功徳かある。しかも、九州の臣民はその角を崩すがごとく、また従ってその美を賛揚し、ややもすれば、唐・虞に比す。また憫笑すべからずや

赫々たる神州は、天祖の天孫に命じ給ひしより、皇統一姓これを無窮に伝え天位の尊きことなほ日月の諭ゆべからざるがごとし、すなはち万世の下、徳、舜・禹に匹び、智、湯・武にひとしき者ありといえども、またただ一意上に奉じて、以て天功を亮くるあるのみ、万一、その禅譲の説を唱ふる者あらば、およそ大八州の臣民は、鼓を鳴らしてこれを攻めて可なり。況んや口を藉り、名を託するの後に、  種を神州に遣さしむべけんや。また況んや  犬羊の類、あに辺海に垂涎せしむべけんや。故に曰く「資りて以て皇獣を賛く」と。もし彼の長ずるところを資り、併せてその短なるところに及びて、遂に数の万国に冠絶する所以のものを失はば、いづくにかその賛獣たること在らんや。

政治上の主権者は万世一系の現人神であり、即ち信仰上の中心たる天皇であらせられるのであるから、我国固有の精神を堅持する者にありては、政治も宗教も道徳もその中心の一点に帰納することができるのであるが、キリスト教や仏教にありては、政治上の主権者を神とするのではなく、その外に神や仏を立てるのである。そこに理宗から大統を受け継ぎ給ふ天皇を絶対の中心生命として、人情の自然に従って報恩反始の至誠  するを最高の道徳とする我國體観念との相違があり、人生観も倫理観も異なってくるのである。天皇以上に尊敬すべき神や仏があると観念する以上、天皇は宇宙唯一の神聖なる現人神であらせられると観念する絶対的な信念と相違する思想があるから、ややもすれば、その神聖を冒涜する行為となって現れるのである。

大日本中心主義を唱え皇道を四海に及ぼさんと考えふる者が神を敬ふることは当然であるとしtも、仏教を糾弾しながら儒教を崇めることは私見の偏執であり、不覚であると論ずる者がある。賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤等は国学の振興をはかり共に儒仏思想を清算しようと努めた。

国学派は、儒者が孔孟の空言に欺かれて、支那の堯・舜・禹・湯・文・武・周公の類を聖人視する醜態であると指摘した。孔孟の教訓なる儒教は放伐禅譲を称揚し、徳を以て本と為すところの民主主義的功利観念から出発する道徳論で易姓革命をこじつける屁理屈である。

真の道徳なるものは、他の強制を待たず、『中庸』にあるが如く『天の命を性といひ、性に率ふを道といふ』といふ、しかるに「徳を以て王と為る」といふ口実のもとに、天下を簒奪する者は国民の円福を求めんがために、或いは民心を拘束せんが為に仁義を強制し、そうした道徳の説明を正当とするのは言語道断といふにあった。

 参考文献:「藤田東湖の生涯と思想」大野慎  「水戸學」今井宇三郎、瀬谷義彦、尾藤正英

2017/10/25公開

 

 


-後期水戸學 『新論』と現代グローバリズム-(GHQ焚書図書開封第149回)

2021-08-07 21:03:43 | 近現代史

GHQ焚書図書開封第149回

-後期水戸學 『新論』と現代グローバリズム-

『新論』1825年 ただし、藩主に公刊を差し止められ1830年(天保元年)に憂国の志士たちの手によって筆写され広まった1857年刊行

 【上】國體(上)形勢(世界の情勢を論じたもの) 

     國體(中)虜情(欧米諸国が日本をどうみていたかを論じたもの) 

     國體(下) 

 【下】守禦(シュギョ)防衛・国防、 長計(チョウケイ)・国のおおもおと 教育)

 

 謹んで按ずるに、神州は太陽の出づる所、元氣の始まる所にして、 天日の嗣、世々宸極に御し、終古易らず、固に大地の元首にして万國の綱紀なり。
 誠に宜しく、宇内を照臨し、皇化の曁ぶ所、遠邇ある無かるべし。今、西荒蠻夷は脛足の賤を以て、四海に奔走し、諸國を蹂 躙し、眇視跛履、敢えて上國を凌駕せんと欲す。
 何ぞそれ驕れるや。

・文化の優位性を主張せずして、文化の独自性を主張するのが日本である。

・会澤正志齋のナショナリズムは唯我独尊であったのか?

・グローバリズムは美しい言葉ではない。アメリカが自分の国のナショナリズムをいうときにグローバリズムという言葉を使う。

・グローブとは地球。地球上に経度、緯度の線を引くことから出てきた言葉がグローバリズムの始まり。

・なぜ、イギリスに経度0の線が引かれたのか。グリニッジ標準時となったのか?

・イギリスの前は、スペイン、ポルトガルがトルデシリヤス条約で地球の線引きをした。

 

 庸俗は又謂へらく、夷教は淺陋、蠢愚を欺くべくして、君子罔くべからず。 憂ふるに足らずと。夫れ、天下の民は蠢愚甚だ衆して、 君子は甚だ鮮し。蠢愚の心一たび傾かば、則ち天下固治むべからず。
 故に聖人の造言、乱民の刑を設くること甚だ巌なるは其の愚民を惑わすを悪んでなり。
 昔、夷教の西辺に入るや愚民誑惑して所在に蔓延す、未だ百年ならずして、詿誤、戮に陥るもの二十八万人。その民に入るの速なること、此の如し・・・

 ・文明開化と尊王攘夷は矛盾しない。

・危ないものをも取り込んで自分のものにする。

・外に出て力をつけ、戻ってきて、日本のためといったときには強くなる。

 

 【長計】

 後、中国は多故に属して、遠人至らず、廟堂遠大の略なく、土彊は日に蹙まり、神聖の天下を経営する所以の意は熄みめ。近世の若きは、則ち夷狄の強梁も亦、大勢に見ることあり。素定の略を挟み以て其の呑誓噬を逞うすること三百年、傲然として敢へて糠を神州に舐む。
 神聖の夷狄 を御する所以の略を倒用し、反って以って中國を謀らんと欲す。未だ一定の策を畫せず。
 朝野の論は、一是一非、因循苟且にして、以て姑息の慮をなすを免れず。赫赫神明の邦を以て座ながら腥羶異類をして、我が辺陸に陲梁せしむ。亦羞ずべからずや。
 夫れ、億兆に君師として、其の氣、世を蓋ふに足り、匈億、四海を容れるるに足り、從容として天下の事を処して余りある者は人を制する者なり。見る所、目前の利害に過ぎざる者は、事、多くは思慮の外に出て、天下を胸下に運ぶにあたはず、人に制せらるる者なり。海外のこと、目の未だ嘗て見ざるところなり。故に黠虜の、吾が思慮の未だ及ばざるところの者を以て、之を侮弄するを得るもの、怪しむるに足らざるなり。
 今、夫れ、一定の策を決せんと欲せば、宜しく、天下の大勢を観、以て彼此の虚実を審祭すべし。
 四海万国の形勢は臣既に粗ぼ、之を言えり。今、既に其の大勢に観る。即ち、宜しく八州を以て城となし、滄海を池となし、天下の全形に因り、以て戦守の略をなすべし。
 彼是の虚実を察せんと欲せば、即ち宜しく主客を審にし、以て、操縦の権を制すべきなり。

・アメリカの覇権失墜と安倍外交の貢献

 【守禦】

 夫れ、迭楽を去りて憂苦に就くは、本、人情の欲する所にあらず。安きに習ひ、居を懐ふ、滔々として皆、是なり。攘夷の令は布くと雖も、世は未だ実に夷を壌ふものにあらず。守禦の策も亦、未だ大いに釐革、創立する所あるを開かず。即ち民は未だ号令の必ず信ずべきを知らず。其の衆の心は未だ戦に決せずして、天下の兵士未だ甚だ陥らざるも亦、宜しならずや。兵法に曰く、兵士甚だ陥るときは、即ち懼れず。故に北條氏の元使を刎ねるや、天下の兵士は一朝にして甚だ陥る。
 其の之をして已むを得ざらしむる所以の者は、卒然に出づればなり。
 今、実に、一たび夷を壌へば、即ち天下の泄泄たる者は、聳然として、警むる所を知る。然る後に、歳月を玩弄する者をして、高きに上り、其の梯を去るが如くならしむ。 之を往く所なきに投ずる所以、而も兵士をして懼れざらしめんと欲すれば、これより要なるはなし。
 且つ、古の人君、大いになすあらんと欲せば、必ず赫然として震怒し、身を以て天下に先んじ、蚤夜、外朝に坐し、日に天下の大計を謀議し、或は、屯営を巡視し、躬親から撫修し、或いは布衣を引き、庭に謀猷を陳べ、慨然として肝膽を漓歴し、天下に示すに大いになすあるの志を以てし、天下と其の憂戚を共にす。 夫れ、是の如くんば、即ち天下知勇の士も亦、皆、奮然として赤誠を諭し、忠力を宣し、誓って虜と生きず。
 東西に馳聘し、争うて自ら報効せん。天下の知勇を廟堂に萃めば、廟堂一揮して、令の行わるること、響きの如く、義気は天下に溢れん。然る後に以て大いに振起作興するところあるべきなり。

・戦争を最も嫌がるのは、一番困難さを知っている軍人である。

・支那事変の場合でも、戦争に駆り立てたのは、時の政府であり、メディア(マスコミ)が戦争拡大を煽ったのである。

・アメリカが戦争に対して慎重なのは、軍事国家からである。

 

 参考文献:「會澤正志齋集」高須芳次郎

2017/10/11に公開