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 -蘭領東印度の地理と東インド会社-(GHQ焚書図書開封 第160回)

2022-04-19 05:15:49 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第160回 

-蘭領東印度の地理と東インド会社-

大スンダ列島のスマトラ島の北部は40年間、オランダと戦った勇敢なアチエ王朝があった。中部はナンガバン王朝の中心地で油田があった。南部パレンバンは商業都市でコーヒー、綿、カボック、魚、胡椒を輸出しており、マラッカ海峡に面したゴム生産地でイギリス資本が支配していた。昭和17年、日本の落下傘部隊が急襲降下したところである。

ジャバ島の中心地はバタビア(ジャカルタ)でオランダ東インド会社があった。インド人、ペルシャ人、支那人、ビルマ人が流入し、ヒンズ教、回教(イスラム教)が混在し、西側はイスラム教スンダ人が多く居住していた。東側はヒンズ教のインド人が多く住んでいた。

 世界で3番目に大きい島と言われるボルネオは、密林に覆われた秘境の地で、北の1/4はイギリス、南の3/4は阿蘭陀が支配していた。西側は支那人、マレー人が、南側はジャワ人、東側はセレベス島のブギン人が住んでいた。バリックパパン、パンジェルマシンが有名な都市である。支那人華僑がダイヤ族と組んで西ボルネオ(金、ダイヤの採掘地)を支那領としようと企んだ経緯がある。

セレベス(スラウェシ)島は、ボルネオに次ぐ4番目に大きい島で、マカッサル、アンボイナは香料、シナモンの生産地で、香料の争いであったアンボイナ事件において、多数の日本人、イギリス人が阿蘭陀人によって殺された。

 日本は、イギリス、阿蘭陀の植民地であったこれらの島々をイギリス、阿蘭陀から解放するために大東亜戦争を起こし、3000人の兵士によりその目的を達成した。インドネシアのために最後まで戦った日本兵の一人が92歳で最近亡くなった。

ポルトガル人による東洋進出は、15世紀後半、バスコダガマによりマラッカ海峡までに達したが、アラビア人マラッカ王により阻まれた。16世紀に入り、今度は19隻、1400人に及ぶ大船団を率いたアルプケルによりモルッカ諸島のアンボイナにまで達した。

スペインに支配されていたオランダ人による東洋進出は、4隻、248人を率いたコルネリウス・ホウトマンにより始まった。その時期は秀吉の征韓出兵の1595年である。

 当時の、東インド会社オランダ(1602年)、イギリス(1600年)、フランス(1604年))は、軍事的能力を有する商船を保有した国家内国家でもあった。この時期、日本では関ケ原の戦い(1600年)があり、また、伊達藩支倉常長が自前の商船でヨーロッパに辿り着いたのは1613年であった。

17世紀はオランダの時代と言われたのは、スペイン、ポルトガル、イギリスのように宣教を第一の使命とする侵略でなく、ユダヤ資本の提供を受け、政教分離の重商主義をとったことで、イスラム教徒など他宗教の国々の反発を和らげたためである。それが、オランダがユダヤ系商業民族と言われる所以である。

 参考文献:「蘭印・仏印史」大江満雄、「蘭印現状読本」石橋豊、「大東亜戦争の開戦目的は植民地解放だった」安濃豊、「アジアを解放した大東亜戦争」安濃豊、「THE ROTHSCHILD」林 千勝

2018/02/28 に公開


-真夏の夜の歴史放談 その2-(GHQ焚書図書開封 第159回)[桜H26/8/20]

2022-04-17 13:41:16 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第159回

-真夏の夜の歴史放談 その2-

「反日」という言葉はいつから使われだしたか?少なくとも21世紀になるまでは使われていなかった。

 「国防」、「国益」という言葉も使えなかった時期が長かった。

 GHQにより「我が国」、「国民」という言葉が禁止された時期もあった。

 世の中が反米容共の時代に、反米愛国(故赤尾敏)は受け入れられなかった。従って、著者は親米保守(アメリカの妾でなく正妻になる/福田恆存)でいたかった。

 反日の徒とは? 

・石破茂、前原誠司氏はアメリカ占領軍の歴史観そのままである。

・小泉進次郎氏はアメリカべったりの歴史観で日本の過去のことを全く知らない幼稚さがある。

・橋下徹氏は日本を侵略国家と呼んで憚らない。これに反対する石原氏とは世代の差と公言するほど知性が欠落している(知能はあるけど知性が欠落)。

・オリバー・ストーンはアメリカのやった原爆投下を非難しておりながら、戦前の日本と中国の歴史とアメリカの不当な介入について知ろうとせず、日本に対しては中国に謝れと強要する。

・東大教授藤原帰一氏は、アメリカの威を借りて日本の攻撃をする中韓と同じで、日本の右傾化について攻撃をする。(反米平和主義から親米平和主義に変わった左翼運動家)

・中韓以外のアジアの国々の人々に救いを求め、日本は中韓以外のアジアでは良いことをやっていたと日本人を喜ばす人は、自分たちは中韓で悪いことをやっていたと認めることである。外国系の黄 文雄(こう ぶんゆう)、呉 善花(オ・ソンファ)、石平さんが言う分には支障ない。

 洗国(せんこく)とは?

・農耕民族に対する侵略方法で、強制的に奥地へ民族大移動をさせ元の農耕民族の土地を奪ってしまうこと。この方法はスターリンも毛沢東も行っていた。 

 八代三期説とは民族浄化をするのに要する期間をさしている。具体的には600年をさしている(25年×8代×3期=600年) 

 自らのナショナリズムをグローバリズムと称するアメリカは、ドルによる金融支配方式と飛行機とミサイルによる制空権の支配という脱領土的植民地支配方式で世界を侵略している。

 参考文献:「天皇と原爆」西尾幹二、「アメリカと中国はどう日本を侵略するのか」西尾幹二、「同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた」西尾幹二

2014/8/20に公開


-真夏の夜の歴史放談その1-(GHQ焚書図書開封第158回)

2022-04-01 19:50:37 | 近現代史

GHQ焚書図書開封第158回

-真夏の夜の歴史放談その1-

世界史観の転換(正論に連載中)

第1章 アメリカとはそも何者か

第2章 ヨーロッパ500年遡及史

第3章 近世ヨーロッパの新大陸幻想

第4章 ヨーロッパの太平洋侵略と江戸時代の日本

第5章 ヨーロッパを超えよう!の旗をかかげたアメリカとロシアそして日本の国体の自覚

第6章 第1次世界大戦を機に変わった戦争史観 人類の名における「正しい戦争」

第7章 古代・中世ヨーロッパの闇を背後に抱かえる現代アメリカ像

第8章 地球規模でのフロンティアの消滅と資本主義の死

 

 日本は、ジュネーブ条約、ハーグ陸戦法ができる前の法意識、国際法がめばえた近世(18~19世紀)のヨーロッパの安定期からヨーロッパ文明を採り入れた。
国際法に基づく戦争の仕方から学んだのである。これが、今日、国際法に違反する南京大虐殺と言われるようなものは行っていないと主張する所以である。

アメリカはヨーロッパ以上に宗教を重視している国家。日本は、原理主義の宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、韓国儒教)を受け入れない。それは、強固な宗教的感情と意識の文化があるからである。神を信じている人はアメリカでは92%、ドイツでは60%、フランスでは50%、毎週教会へ礼拝に行く人はアメリカでは4割、イギリスでは1割、ドイツでは2割ぐらいいる。

 日米戦争の背景に宗教があるとの見方。

 清教徒VS水戸学。

 文明開化と尊王攘夷が日本人の国家意識を高めた。

 教会が政治的な力をもっていたヨーロッパでは、宗教権力から国家権力を守るために政教分離の考え方が出てきた。

 日本では、国家権力から宗教を守る考え方であったが、オーム真理教事件からその考え方に疑問をもつようになった。

 宗教には、個人の心との関係と公との関係があり、キリスト教は両方をもっている。

 日本では個人の心との関係は仏教が担っており、公けとの関係はは天皇・神道が担っていた。

 10世紀以降、中国文明に対して鎖国(遣唐使の廃止、元会儀礼の廃止)していたが、14世紀頃か西洋文明が接近してきて、江戸時代には第一の開国、明治時代には第二の開国をし始めた。

 戦国時代はイタリアのルネッサンスに似ていた。

 縄文以来、日本にはシベリア、朝鮮半島、ポリネシアなどあらゆる地域から多様な民族が集まり、多様な人種国家だった。いわゆる劇場型国家だった。これが、ヨーロッパの文明と似ている点で、中国文化と異なる点である。

 

 参考文献:「天皇と原爆」西尾幹二、「アメリカと中国はどう日本を侵略するのか」西尾幹二、「同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた」西尾幹二

2014/08/06に公開