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日常生活の中で思ったこと、感じたことを気の向くままに書き綴っています。

-山田孝雄 国体の本義を通して見る日本-(GHQ焚書図書開封 第38回)

2017-03-30 17:08:36 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第38回
-山田孝雄 国体の本義を通して見る日本-
 イザナギノミコトとイザナミノミコトが大八洲(本州、九州、四国、淡路、壱岐、対馬、隠岐、佐渡)を生んだ国生(くにうみ)物語。
「作る」と「生む」の違い。日本は生まれた国で作られた国ではない。
生まれた国だから親がある。親は神様。神道には、親は子を守る、子は親に感謝する思想がある。
神道は祈らずとも守ってくれる、感謝するだけでよい。
祈りには、期待、邪心があり、救われようとするものがある。
お祓いは、身についた罪や穢れを払ってくれ、神に近づくことができる。
しめ縄より内側は神の領域(範囲は大八洲)である。
人間には罪(原罪)があると考えるキリスト教、仏教などは国境を越える普遍宗教。
人間は神と同じように罪はないと考える神道は閉鎖的、消極的、静的であり国境を越えて伝搬しない。
ヨーロッパ全体は自然発生的にできたが、ヨーロッパ諸国は契約によって近代国家(人工国家)となった。
日本は自然発生的にできた国家のまま近代国家になった。
自然発生的に生まれた国家は、警戒心がなく、外国を師とみており敵としてみていないことが、国際外交において弱点となっている。
参考文献:「国体の本義」山田孝雄 「個人主義とは何か」西尾幹二 「日本とは何か」網野善彦
2013/02/13 18:00に公開



古事記 イザナキ

闘病日記22

2017-03-25 13:19:03 | 暮らし
2月28日から24日目の昨日、首の根元と左背中が時々痛いので、整体院に行った。間を3週間置くと、背中のこりがひどくなる。メンタムの擦りこみで背中が赤くなる部分が広がっている。今回は、左、右背中全体が赤い。毎週行っていた時は、わずかに赤みを帯びる程度であった。最大でも2週間以内に瀉法(しゃほう)の指圧治療を受けないと悪化するようだ。昨年5月から数えて25回目だ。

-山田孝雄 国体の本義から学ぶもの-(GHQ焚書図書開封 第37回)

2017-03-25 11:50:16 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第37回
-山田孝雄 国体の本義から学ぶもの-
 易姓革命の国支那は、前王朝を徹底的に否定、前王朝の印のついた皿まで破壊し、現王朝を正当化する。従って、王権、歴史、文化の断絶がある。
支那は、前漢~後漢は漢民族、隋、唐は鮮卑族、宋は漢民族、元はモンゴル、明は漢民族、清は満州族と他民族に支配された歴史をもっている。
一方、日本は、万世一系、天壌無窮(天地とともに永遠に続くさま)、2000年以上の皇室、歴史、文化を維持している。
江戸時代は、中原を満州国に奪われた清朝は尊敬するに値せずとの考えから、勘合貿易から一転して信牌貿易(しんぱいぼうえき)となった日本優位の対支那政策。
「1」の哲学的考察を重視した山田孝雄。(昭和11年当時の価値観)
国歌、国旗掲揚に反対したマルクス主義者網野善彦を重用したNHK教育テレビ。(東北人は日本人でないと主張した反日主義者)
皇室典範では養子、二系を否定、男系男子。
支那は誰でも皇帝になれる可能性があったし、アメリカは誰でも大統領になれる夢(アメリカンドリーム)があった。
1つしかなく他と区別する必要のない日本の皇室に「苗字」「姓」はない。宮城のある場所に番地はない。
支那の漢は劉氏、唐は李氏、宋は趙氏、明は朱氏、清は愛親覚羅と姓があった。
イギリスはハノーバ家、ロシアはロマノフ家、ドイツはホーヘンツオルレン家など「姓」がある。
国家を駒に例えると、「国体」は駒の中心の心棒で静的、「政体」は駒の周辺の回る部分で動的といえる。中心が安定しているとき国家は安定する。中心は皇室である。
平成になってから、北朝鮮が日本を侮り、韓国が日本を侮蔑し、支那が日本を威嚇するようになった。威厳のあった昭和超帝のいた時代はなかった現象である。中心(皇室)がぐらついている証拠である。
参考文献:「国体の本義」山田孝雄(やまだよしお)
2012/12/26 18:00に公開



-山田孝雄 国体の本義について-(GHQ焚書図書開封 第36回)

2017-03-25 11:46:58 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第36回
-山田孝雄 国体の本義について-
 著者は、国粋主義者で言語学者であり、平田篤胤の神代文字の存在説を否定した。最近、教科書名が、「日本語」「日本史」になったが、「国語」「国史」が正しい。(日本人としてのアイデンティティを否定し、客観性、普遍性を重視する風潮の弊害)
国体の精神の表れる場所は国民性。国民性の表れるところは言語(国語)と歴史(国史)である。
日本人らしさは、「明き」「浄き」「直き」「まこと」のこころ。
日本国家は天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇位を中心とし、万世一系の皇統をもって充たされる。
「世」とは、竹の節と節の間を意味する。この世とは過去と未来の真ん中。朝廷の歴史書の続日本紀(しょくにほんぎ)の冒頭にある「中今(なかいま)」の意味は過去と未来の真ん(中)の現在(今)が永遠に続く。つまり、現在の皇室制度が永遠に続く。
参考文献「国体の本義」山田孝雄

2012/12/12 18:00公開



-歴史に顕れる国体-(GHQ焚書図書開封 第35回)

2017-03-21 22:06:46 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第35回
-歴史に顕れる国体-
 天皇を中心とした我国の歴史の基本を基にして考えた国の基本精神、淵源が国体。神話と歴史がつながっており、2000年以上一貫して続いてきた日本の建国精神は他国に類をみない。
革命や滅亡で国家の命脈が断たれる他国の建国精神は、抽象的な理性の一般法則(カトリック文明、キリスト教など)をたてるしかなかった。13世紀頃まではヨーロッパは教会国家であり、共通言語はラテン語であった。国民国家は存在せず、ドイツ語、イタリア語、フランス語は蛮族の言語、地方語であった。
一方、日本は6世紀頃から国民国家らしきものが出来上がっていた。
日本には下から上を倒す革命はなく、改新、維新があった。それが、大化の改新、建武の中興、明治維新である。
9世紀以降、権(威)権(力)二元体制(争いは武家が勝手にやる)となり皇室が安定的に長く続くことになった(国家的には政教分離状態)。
「国体の本義」では、天皇が前面にでてきた歴史(大化の改新、建武の中興、明治維新)に多くのページを割いている。この皇国史観が偏りを生んでいた。
国学が国家意識を与えたように書かれているが、むしろ儒学が国家意識を育てた。
中国(なかつくに)とは、天子のいる国、世界の中心という意味で、支那のことではない。
天皇は祭祀役であり、皇室の原点は没我の精神。君民がひとつになる家族的国家。
明き、浄き、直き、誠のこころが日本人らしさ。
「しきしまの大和心のをゝしさは  ことある時ぞあらはれにける 」
「海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草むす屍 大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ」
我国の国民性には没我・無私の精神と包容・同化の精神の働きが強く顕れている。
日本においては、公(=天皇)に対して私がある。従って、他国のように対立軸がないことが、主語が省略され、敬語が多い日本語の特徴となっている。
日本人の良さは皇室と一体化していることである。
参考文献:「国体の本義」文部省  GHQ焚書図書開封4 第三章255P~375P
https://www.nicovideo.jp/watch/so19451248


日本の帝国ホテルの神対応に有名な黒人運動家が感動!

眼科受診(2/2)

2017-03-21 21:35:56 | 日記
3月18日、予約してあった視野検査を受けた。前回の検査で、左目と右目の白い部分に差があるので、緑内障の検査もしておきましょうと言われたからである。検査機に写る赤い点をみて、その状態でランダムに周囲に点灯する小さいスポットがどの範囲までみえるか、否かの検査だ。結果は、良好であった。飛蚊症が気になる程度に増えるとか、何か異常を感じるようになったら、来院してくださいとのことであった。定期的に6カ月か1年ごとに定期健診を受けてくださいとのアドバイスもあった。

-「国体の本義」の光と影-(GHQ焚書図書開封 第34回)

2017-03-18 00:14:55 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第34回
-「国体の本義」の光と影-
 国体とはお国がらのこと。神話から始まり、古事記、日本書紀につながり、綿々と2000年に亘って、形成されてきた国民の持っている観念、地理、風土、民族、民族性、日本人的性格など幅広い概念。
西洋は個人主義社会であり、智、徳、力を備えたものが君主になる。徳や智は相対的なものであり、人の力によって定められる。
一方、日本は和の社会で、君主は血統世襲で自然と徳を備えたものがなっている。
キリスト教は、隔絶した絶対的な神。中国の皇帝は天命を受けたもので、天を拝めるのは皇帝だけ、民衆は道教、指導者は儒教を信じていた。
日本の神の観念は、身近なもの(古木、洞窟、山の上の白鹿のような動物)に神が宿るというもの。
菅原道真は学問の神様、乃木大将は軍国の神様、天皇陛下が神様であっても何の不思議もない。
日本において王権の根拠は天孫降臨の神話。中国には神話がない(孔子がなくした)、ヨーロッパの神話は王権につながらない。
和の社会は、マーケット至上主義から生まれた格差社会とは相容れない。
集団で強くて、個人で弱い日本人は、個人主義国家に騙されやすい性格をもっている。(集団で負けると、個人まで駄目になってしまい、立ち上がれない)
「日本との出会い」を書いたドナルドキーン氏によると、日本人は捕虜になると祖国に帰ることは恥ずべきことと死を選び、自分から国家機密を漏らす。ドイツ人は捕虜になると祖国に戻りたがる(生命への執着心が非常に強い)が、国家機密、軍事機密は簡単には漏らさない。
「反劇的人間」を書いた安部公房氏によると、満州でのこと、トラブルで日本人の仲間がやられると、それをみていた日本人は、一人減り、二人減り、最後には仲間を置き去りにして逃げていった。同じようなことが朝鮮人の場合だと、仲間がやられるのをみていた朝鮮人は仲間を呼び、助けるために集まってくる違いがある。
国内の「和」と「誠」だけでは、国際社会では戦えない。他者に対する心の武装化が必要。
参考文献:「国体の本義」文部省  「騙されやすい日本人」宮脇磊介
https://www.nicovideo.jp/watch/so19346453



【NHK・JAPANデビュー】NHKの稚拙な「国体論」[桜 H21/5/9]

-消された名著 菊池寛「明治大衆史」Part2-(GHQ焚書図書開封 第33回)

2017-03-16 20:23:20 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第33回
-消された名著 菊池寛「明治大衆史」Part2-
 日本に短剣を突き刺すような形の朝鮮半島。日本の安全保障をめぐる問題は、明治6年の征韓論から始まり、今日まで、全て朝鮮半島問題として尾を引いている。日本を西洋の猿まねと侮り、侮蔑する朝鮮は、ひたすら強い国(清、ロシア)に頼ろうとする事大主義勢力が幅を利かせていた。それに対し、清国は、朝鮮半島を中途半端に属国として扱ってきた。
日本は、ロシアからの侵略を防止するために、朝鮮を緩衝地帯として独立させることを望んでいた。
清国李鴻章(56歳)と森有礼(30歳)の朝鮮独立をめぐる交渉。(日本は朝鮮半島を独立国と認める、清国は朝鮮半島を属国と見做すとの主張)
日本は朝鮮の近代化をめざす独立派・親日派を支援することに力を注いだ。
近代化をめざす親日派「金玉均」を日本でかくまった福沢諭吉。上海に誘き出され暗殺された金玉均を「凌遅の刑」に処した朝鮮政府。そして、日清戦争勃発。
三国(露、仏、独)干渉で屈服し、遼東半島への他国介入禁止という外交上の歯止めをかけなかった日本。軍事で勝って、外交で負けた日本。そして日露戦争勃発。
 北清事変(義和団事件)で仏、英、独、露から鎮圧を依頼された日本。日本は広島第5師団を派遣。
鎮圧後、北京城内で金銀財宝の略奪、蛮行の限りを尽くした仏、英、独、露(戦争は日本にやらせ、自分たちは宝物のぶんどりに専念したのである)。掠奪した品々は、イギリスの大英博物館、ドイツのペルガモ博物館、その他ヨーロッパの至る所の博物館で所蔵されている。日本が欧州各国の掠奪から守ったものは、現在、台湾の故宮博物館に保存されている。
通州での仏の蛮行・虐殺はすさまじいものであった。この時、日本軍は軍規厳正、清廉、勇敢であり、諸外国に誇るべき態度をとっていた。日本は支那人の保護者役でもあったのである。
 ロシアからの脅威に対し、外務省、陸軍大臣、参謀総長が無関心な時期、日本防衛の意気に燃え、仁川にロシアの海軍根拠地が建設されることを妨害した林権助公使と若き佐官クラスの活躍。
外相小村寿太郎の部下の豪傑外交官山座円次郎と重鎮伊藤博文のやりとり。
伊藤博文から、日露戦争の調停役をセオドア・ルーズベルトに頼む役目を任された外交官金子堅太郎。
日露戦争で軍事費を貸してくれたのはリーマン・ブラザーズであった。
セオドア・ルーズベルトは調停役を終えた後、強くなった日本に脅威を感じ、反感をもつようになっていった。
参考文献:「明治大衆史」菊池寛 『GHQ焚書図書開封3』第9章557~621P
https://www.nicovideo.jp/watch/so19245242



-消された名著 菊池寛「大衆明治史」Part1-(GHQ焚書図書開封 第32回)

2017-03-15 12:39:22 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第32回
-消された名著 菊池寛「大衆明治史」Part1
 菊池寛の人物像を描いた明治の歴史書。武力の集中を目指した廃藩置県、廃仏毀釈、神仏分離など急激な変革を苦々しく思う西郷隆盛。
戦うのは武士階級で、平民、農民階級は兵士になってはならないと言うのが武士階級の西郷の考えであった。
征韓論で大久保と西郷の決裂は決定的なものとなった。沖縄領土化問題で化外の地の台湾へ出兵した大久保の矛盾した行動(征韓論に反対していた大久保が外国に出兵した行動)。
スペインのマリア・ルース号事件(捕らえられていた清国クーリーを二百数十名を救い清国に帰した)と副島種臣の対応。
大久保利通、木戸孝允、西郷隆盛の三傑亡き後、伊藤博文(長州)、薩長以外の大隈重信の時代。
不平、不満武士の支持を得、野党側にたった大隈。そのあとに、自由民権運動の板垣退助が続く。
庶民が士族の特権を得ることは、皆兵を意味していた。四民平等とは国のために戦うことにおいても士族と平等でなければならない。同時に、江戸時代の町民のような自由さはなくなっていったのである。
古来、ヨーロッパの王家間の戦い方は傭兵によっていたため、傭兵を確保する「金」と「金」との戦いであり、「金」を確保するために、植民地から財宝、資源を搾取する侵略が常態化するようになった。
日本では、明治以降、傭兵に相当する武士階級への金が不必要になり、徴兵制度で兵士が容易に確保でき、大規模化できるようになった。
自由民権論の政府攻撃の矛先は藩閥政府に向かい、皇室には向かわなかった。300年程度のフランスの王家の歴史に比べ、日本の皇室の歴史の長さによる尊い権威の観念が国民に定着していたためである。
庶民に人気のあった後藤象二郎と板垣退助。岐阜遭難事件で傷を負った板垣を治療した後藤新平(後の台湾総督)。NHKの捏造放送「ジャパンデビュー」では後藤新平を悪者扱いにしている。
愛国野党の大隈は不平等条約(最恵国条款、治外法権、関税自主権なしの片務条約)に対し、法的解決に苦心した。
参考文献:「大衆明治史」菊池寛 昭和17年刊行、『GHQ焚書図書開封3』第8章 489~557P
https://www.nicovideo.jp/watch/sm7776783


-忘れられている日本軍部隊の「人情」-(GHQ焚書図書開封 第31回)

2017-03-12 09:35:21 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第31回
-忘れられている日本軍部隊の「人情」-
 「分隊長の手記」に書かれた晩秋の山東省における行軍風景。
戦後の文学では暗黒の軍隊生活ばかりが強調され書かれているが、この本では人情味あふれる描写が多い。
戦場での一体感のある会話と行動。常に国家のことを考え、心の中にはふるさとがあった日本兵。.
常に逃亡ばかり考え、匪賊(盗賊団)になりたがっていた農民支那兵。
決死隊の前夜の情景。慰問袋に喜ぶ兵士。浪花節的な涙もろい分隊長。済南陥落に歓喜する兵隊。
怪我をし、内地送還された棟田伍長が戦場から平和な日常生活に戻った時のやり場のない心の亀裂は相当なものであった。
参考文献:「分隊長の手記」棟田博


-匪賊になって生き延びた中国逃亡兵-(GHQ焚書図書開封第30回)

2017-03-08 13:53:45 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第30回
-匪賊になって生き延びた中国逃亡兵-
 支那は、清朝以前から、疫病発生、イナゴ害、水害、旱魃、餓死、森林がなくなるなど、荒れ放題で、法の支配なく、匪賊(盗賊団)が跋扈し、内乱を絶え間なく繰り返してきた。
清朝時代は、太平天国の乱(1851年)で人口4億の内1/5が死亡、回乱では10%の4000万人が死亡している。文化大革命までに150件以上の動乱があり、現在でも、年間10~20万件の暴動が発生している。
日本は、人道的、道義的介入をした結果、愚かにも裏切られ、支那の内乱に引き込まれたのである。一方、欧米は、利口にもそこから逃げ出した。
督戦隊が逃亡する味方の兵を銃殺。死体の山の奥へと逃げ込む兵。人間の肉を食べた野犬を食べる餓狼の兵士。
軍服の下に平服を着て常に逃亡の用意をしていた支那兵。日本軍は連戦連勝(日本兵:支那拉兵=1:10)
支那は多政府(汪兆銘:日本、蒋介石:米英、毛沢東:ソ連)で国家の体をなしてなかった。
支那人にとって「租界」だけが安全地帯であった。
食物を求めて赤十字の旗の立っているテントを襲い略奪を繰り返す敗残兵。彼らは、傷病兵収容所専門の匪賊と化した。
参考文献:「アサヒグラフ(敗走万里)」支那事変1周年記念特別増大号、「敗走千里」陳登元

-中国兵が語った中国戦線-(GHQ焚書図書開封 第29回)

2017-03-07 17:37:46 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第29回
-中国兵が語った中国戦線-
 「敗走千里」は中国軍内部の赤裸々な事実を暴露した本。
日本と支那との戦いは、一国対一国の戦いではなかった。(支那に散在する複数盗賊・匪賊との戦いだった)
戸籍のない支那では、人狩りによる徴兵が行われた。
支那兵が斥候を志願したのは、略奪、強姦などが許されたからである。
支那の土地では、支那人による支那人からの掠奪が日常化していた。(掠奪は給料のうちとの考え)
支那人は、軍隊を逃げ出し匪賊(盗賊)になることを望んだ。
濁水の中に混ざった清水は濁水となる。これが、支那の文化、支那の軍隊の実体である。
常に、便衣を持ち、逃亡することを考えていた支那兵。
支那督戦隊は、戦場から死に物狂いで退却する支那兵を狙い撃ちした。(南京虐殺事件の捏造問題とも関係がある)
女性慰労隊の存在とその役割は何だったのか。
慰労隊の色仕掛けに落ちて決死隊に加わった兵士のその後の運命。

参考文献:「敗走千里」陳登元


-開戦直後に真珠湾のそばをすり抜け帰国した日本商船-(GHQ焚書図書開封 第28回)

2017-03-06 15:30:13 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第28回
-開戦直後に真珠湾のそばをすり抜け帰国した日本商船-
昭和16年12月8日に真珠湾攻撃。 
昭和16年11月30日に南米チリを出港し、日本に向かう鳴門丸は、ホノルル~バングーバ航路、ホノルル~サンフランシスコ航路、ホノルル~パナマ航路を北に向かって横切る航路を進んだ。
アメリカ軍に遭遇した場合の対応、自沈する方法等々の準備、船員、乗客は拿捕を潔しとしていなかった。
鳴門丸は昭和16年12月13日に海軍長官ノックスがホノルル~サンフランシスコに向かう飛行機の真下を航行していたが、運よくシケで発見されることはなかった。
昭和17年1月1日に太平洋上で初日の出を迎え、遥拝式をし、正月休み中に無事、横浜港に到着した。
田母神氏の真珠湾攻撃陰謀説、それを否定する秦郁彦氏と保坂正康氏。
山本五十六の愚将説と尾崎秀美及びゾルゲの関係。
参考文献:「開戦 太平洋脱出記」四至本八郎

-空の少年兵と母-(GHQ焚書図書開封 第27回)

2017-03-05 10:12:03 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第27回
-空の少年兵と母-
 予科練の募集は15歳~17歳の少年が対象であった。
「若鷲雛鷲」:ボルネオから帰還した飛行兵が後輩に語るマレー沖海戦の模様。イギリス新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ及び巡洋艦レパルスの撃沈。この撃沈を横目でみて、航空母艦の必要性(戦艦重視→航空機重視への戦術変換)に気付いたアメリカ。イギリスのチャーチルもショックを受けた撃沈であった。これによってイギリス海軍は壊滅状態に陥った。
「少年飛行兵と母」:成長した飛行兵を見送る母の思い。亡き倅の同級生に団子を届け、国を思う心を告げる母。
国民がこぞってその気にならないと戦争はできなかった。
自己犠牲なくしては、戦争はできなかった。
かって、日本が、多くの血であがなってイギリス、フランス、オランダの暴圧から植民地解放した地域、その地域を今日、支那が自国の領土化を企んでいるとは・・・・。

【帝國政府聲明】原文
昭和16年12月8日午後0時20分
大日本帝国政府発表

恭しく宣戦の大勅を奉載し、茲に中外に宣明す。
抑々東亜の安定を確保し、世界平和に貢献するは、帝国不動の国是にして、列国との友誼を敦くし此の国是の完遂を図るは、帝国が以て国交の要義と為す所なり。
然るに殊に中華民国は、我が真意を解せず、徒に外力を恃んで、帝国に挑戦し来たり、支那事変の発生をみるに至りたるが、御稜威(みいつ)の下、皇軍の向ふ所敵なく、既に支那は、重要地点悉く我が手に帰し、同憂具眼の十国民政府を更新して帝国はこれと善隣の諠を結び、友好列国の国民政府を承認するもの已に十一カ国の多きに及び、今や重慶政権は、奥地に残存して無益の交戦を続くるにすぎず。
然れども米英両国は東亜を永久に隷属的地位に置かんとする頑迷なる態度を改むるを欲せず、百方支那事変の終結を妨害し、更に蘭印を使嗾(しそう)し、佛印を脅威し、帝国と泰国との親交を裂かむがため、策動いたらざるなし。乃ち帝国と之等南方諸邦との間に共栄の関係を増進せむとする自然的要求を阻害するに寧日(ねいじつ)なし。その状恰も帝国を敵視し帝国に対する計画的攻撃を実施しつつあるものの如く、ついに無道にも、経済断交の挙に出づるに至れり。
凡そ交戦関係に在らざる国家間における経済断交は、武力に依る挑戦に比すべき敵対行為にして、それ自体黙過し得ざる所とす。然も両国は更に余国誘因して帝国の四辺に武力を増強し、帝国の存立に重大なる脅威を加ふるに至れり。
帝国政府は、太平洋の平和を維持し、以て全人類に戦禍の波及するを防止せんことを顧念し、叙上の如く帝国の存立と東亜の安定とに対する脅威の激甚なるものあるに拘らず、堪忍自重八ヶ月の久しきに亘り、米国との間に外交交渉を重ね、米国とその背後に在る英国並びに此等両国に附和する諸邦の反省を求め、帝国の生存と権威の許す限り、互譲の精神を以て事態の平和的解決に努め、盡(つく)す可きを盡し、為す可きを為したり。然るに米国は、徒に架空の原則を弄して東亜の明々白々たる現実を認めず、その物的勢力を恃みて帝国の真の国力を悟らず、余国とともに露はに武力の脅威を増大し、もって帝国を屈従し得べしとなす。
かくて平和的手段により、米国ならびにその余国に対する関係を調整し、相携へて太平洋の平和を維持せむとする希望と方途とは全く失はれ、東亜の安定と帝国の存立とは、方に危殆に瀕せり、事茲に至る、遂に米国及び英国に対し宣戦の大詔は渙発せられたり。聖旨を奉体して洵(まこと)に恐懼感激に堪へず、我等臣民一億鉄石の団結を以て蹶起勇躍し、国家の総力を挙げて征戦の事に従ひ、以て東亜の禍根を永久に排除し、聖旨に応へ奉るべきの秋なり。
惟ふに世界万邦をして各々その處を得しむるの大詔は、炳(へい)として日星の如し。帝国が日満華三国の提携に依り、共栄の実を挙げ、進んで東亜興隆の基礎を築かむとするの方針は、固より渝(かわ)る所なく、又帝国と志向を同じうする独伊両国と盟約して、世界平和の基調を糾し、新秩序の建設に邁進するの決意は、愈々牢固たるものあり。
而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こすのやむを得ざるに至る。何等その住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に復し、相携へて共栄の楽を分たんと祈念するに外ならず、帝国は之等住民が、我が真意を諒解し、帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足を期すべきを信じて疑わざるものなり。
今や皇国の隆替、東亜の興廃は此の一挙に懸かれり。全国民は今次征戦の淵源と使命とに深く思を致し、苟(かりそめに)も驕ることなく、又怠る事なく、克く竭(つく)し、克く耐へ、以て我等祖先の遺風を顕彰し、難儀に逢ふや必ず国家興隆の基を啓きし我等祖先の赫々たる史積を仰ぎ、雄渾深遠なる皇謨(こうぼ)の翼賛に萬遺憾なきを誓ひ、進んで征戦の目的を完遂し、以て聖慮を永遠に安んじ奉らむことを期せざるべからず。
引用元:安濃豊氏のブログ帝国政府声明文「戦勝国は日本だった
・レファレンスコード:C12120377700
 件 名:昭和16年12月8日 帝国政府声明 (1画像目から)
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C12120377700?IS_KIND=RefSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=d2&IS_KEY_S1=C12120377700

参考文献:「空の少年兵戦記 -灯-」倉町秋次


-戦場の生死と「銃後」の心-(GHQ焚書図書開封 第26回)

2017-03-04 13:44:38 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第26回
-戦場の生死と「銃後」の心-
 小泉元総理が靖国神社参拝時「心ならずも死地に赴いた将兵を悼む」と発言したことに対して、故小野田少尉が、激怒していた理由が、この動画で分かった。
平凡で、気の小さいうどん屋佐久間一等兵の名誉の戦死。吾が子「明」の病死について哀惜の念を訴える両親の思いと、観世音菩薩の境地でその訴えをじっと聞き入る作者。
「つわものは今日も死にてあり菖蒲節」の句について、「国家とともにある運命」を甘受している人に対して無礼と批判する作者。
参考文献:「一等兵戦史」松村益二、「生死直面」石丸梧平