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GHQ焚書図書開封 第118回:加藤陽子 半藤一利 北岡伸一 徹底批判1[桜H25/1/16]

2019-09-22 15:43:13 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第118回
-加藤陽子 半藤一利 北岡伸一 徹底批判1[桜H25/1/16]-
 東京裁判史観で日本教育界をミスリードしてきた歴史学者。加藤陽子、半藤一利氏。
「それでも日本人は戦争を選んだ」加藤陽子
加藤陽子はこの本の中で、日本がやった謀略は「悪」で、支那のやった謀略は「善」という善悪二元論的見方をしている。日本軍と国民党軍を戦わすために、共産党軍による盧溝橋事件の弾は、日本軍と国民党軍の両方に打ち込まれていることを書いていない。蒋介石も承認した塘沽停戦協定を無視している。英米ソの悪事は一切書かず、何が何でも日本の軍国主義が張本人であるとの結論を導きたい意図がみえる。日本切腹、中国介錯論の胡適を腹の座った立派な思想家と評価している。国民を犠牲にしておいて平気な中国には政治があると言っている。この特別講義によって、栄光学園の生徒たちが感動したというから、恐るべき反日洗脳教育だったと思う。
「昭和史」半藤一利
半藤一利はこの本の中で、昭和天皇、西園寺公望、山本五十六を平和主義者と高く評価している。また、戦争を好む悪い勢力と平和を好む良い勢力のせめぎあいが昭和史であり、陸軍統制派、海軍艦隊派、議会の民族派を悪とする善悪二元論者である。そして、日本では、悪が善を圧倒し、支那を侵略する暴挙を侵し、英米ソの平和愛国諸国と激突するという馬鹿な道を歩み、国家を破滅させたという紙芝居的論理で昭和史を説明している。西安事件、盧溝橋事件の重要な意味について書いていない。日露戦争から柳条湖事件に始まる満州事変、そしてそれが塘沽協定で一段落したこと。その後に起きた西安事件、盧溝橋事件とを区別していない。ソ連に通じていた米国内のスパイ活動、コミンテルンについても触れていない。むしろ、支那一撃論を必要以上に強調して、日本侵略論にすり替えている。英米が従属国として日本を永久に釘付けにする工作のために創作した「太平洋史観」の受け売りにすぎない。西安事件、ゾルゲ事件を故意に無視している。日米通商条約の破棄後の影響についても触れていない。
アメリカに根強い「ルーズベルト神話」では、あの戦争は日本が悪かったという歴史認識が正しいとしている。
日本の出版界においても、先の戦争は日本が悪かったという内容の本(有害図書)を書くと売れる状態である。
知日派ジョセフ・ナイは、安倍総理の日本を取り戻そうとする動きに対して、日本が従軍慰安婦問題など、韓国よりの歴史認識を重視しろとの批判や、尖閣で日本と中国に戦争をさせ、漁夫の利(石油利権)を得ようとする内容の暴言を吐いている。
民主主義国アメリカには孤立主義派と帝国主義派が存在しているが、日本は孤立主義派と手を組んでいくべきだ。
ルーズベルトと蒋介石のような米中接近は危険で、米中冷戦時代が日本にとって安定的で、アメリカから日本が独立するのチャンスでもある。
参考文献:「自ら歴史を貶める日本人」西尾幹二、福地惇、柏原竜一、福井雄三
2013/01/16 に公開


-支那事変と英・ソの暗躍「大東亜戦争調査会」叢書14-(GHQ焚書図書開封 第117回)

2019-09-18 15:24:12 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第117回
支那事変と英・ソの暗躍「大東亜戦争調査会」叢書14-
 戦後昭和史は、なぜ戦争が起こったのか、相手がどう考えていたか、日本の国外の動きがどうだったのかを詳細に分析して書かれていないので欠陥がある。戦後の歴史書は、中立的立場で書かれているものでも、半分はアメリカ、GHQの立場で書かれている。
 盧溝橋の一発は、日本と国民党を戦わすための、支那共産党毛沢東の指示で行われた挑発の芝居であった。しかし、それを知らない支那国民党は、第18回総会で日本の侵略を訴えた。国連は19か国にカナダ、オランダ、アメリカを加えた23か国会議の日支諮問委員会で解決を図ろうとした。アメリカを加えようとしたのは、非加盟国アメリカを国連に巻き込むため、アメリカ提案で開かれたワシントン会議の国連での援用を期待したからである。国際連盟を隠れ蓑にして独裁色を高めようとしたイギリスの意図が感じて採れる策動であった。

 国連の参加国でなくなった日本は支那事変を自衛と主張し、9か国条約違反でない、またワシントン会議と国連は別物であると主張し、国連からの招請を拒否した。日支諮問委員会がイタリアの反対で失敗すると、今度は、支那とソ連と手を組ませ、英、仏、ソ連、支那の4か国の策動を英米は行う。これもポーランド、エクアドルから異論が出され、全会一致とならず失敗に終わる。
 後に、この時の侵略戦争を取り扱った9か国条約違反を金科玉条にして東京裁判につながっていくことになる。
 この時期、イギリス、アメリカがいつの間にかソ連と手を組んでしまったのは謎であったが、今日、ロシア革命はイギリス、アメリカの金融資本が資金援助をしていたことや、アメリカがコミンテルンの影響を受けていたことが明らかになっている。
 スペインの内乱はイギリスとソ連の支持するコミンテルン赤色政府とイタリアとドイツの支持するファッシズムの戦いであった。
赤色政府側にはソ連とイギリス、ファッシズム側にはイタリヤ、ドイツが支援した。
 日本の国際連盟脱退という潔さが果たして良かったのか?、残留し、正々堂々と英、仏、ソ連、支那からの攻撃に反論をし続けるのが良かったのか?。現在の北朝鮮のようなしたたかさが必要だったのかも知れない。
英米可分の考えが日本にあったし、日本にとって、2000年以上の歴史をもつ皇室の存在を否定(国体を毀損)するコミンテルンのソ連は脅威であった。
 戦争は相手があって起こるもの。{日本の歴史」大内力、「大系 日本の歴史」江口、「政党から軍部へ」北岡伸一など通史は日本のことだけしか書かれておらず、16世紀からのアジアの侵略など古い時代からの外国との関係が書かれていない。
 東京裁判の対象期間(昭和3年以降)だけに限定し書かれた昭和史は、GHQの立場から書かれた戦後歴史と言ってもよかろう。
 16世紀からの欧米侵略史の延長線上にある大東亜戦争であったとの視点から書かれるべきだし、清朝時代から内乱状態にあった支那をまともな主権統一国家と見做して歴史を書くべきでない。 
 かって、スペイン、ポルトガルが世界を2分したこと。オランダ、フランス、イギリスが西から東に侵略開始したこと、イギリス、ロシアがユーラシア大陸を2分しようとしたこと、アメリカが太平洋を西進したことなどを前提に昭和史を見つめなければならない。
参考文献:「日本の歴史24 ファシズムへの道」大内力、「大系 日本の歴史 二つの大戦」江口圭一、「政党から軍部へ」北岡伸一、「英米の東亜攪乱」大東亜戦争調査会
2016//9/28に公開


-松岡 洋右の大演説の役割「大東亜戦争調査会」叢書13-(GHQ焚書図書開封 第116回)

2019-09-15 19:55:57 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第116回
-松岡 洋右の大演説の役割「大東亜戦争調査会」叢書13-
 中ソ紛争の後に勃発した満州事変(1931.9.18)は世界に反響を呼び起こした。イギリスの傀儡であった国際連盟において、イギリスは、加盟国でないアメリカ、ロシアを利用して日本に不利な「リットン調査報告書」(1932.10.2)を作成した。その内容は、満州は支那の領土との前提に、日本の満州における権益は認めるが、満州政策は否認、満州事変は自衛手段とは認められないというものであった。
 1933年の連盟総会報告書も、支那に満州を委ねるとか、場合によって国連の警察隊を派遣するとか、中国に大幅に譲歩する内容でまとめられた。
 イギリスの外交の重点は、「第一に諸国をして日本を圧迫せしめること。第二にそれをして、日本に時にして利あらずとの考えを起こさせ、大譲歩を強要すること、第三にイギリスがとりなす体裁で、日本の脱退という破局を救おうとした」ことであった。
 ナチス党の台頭に驚いた英仏は、ベルサイユ条約を金科玉条のごとく守らせんがため、日本に過酷な経済制裁を科すことにした。日本は、提案国アメリカが加盟していない国際連盟に、最初から加盟する必要がなかったのである。
 1933年2月24日の軍縮会議で6,500万の日本国民の期待を裏切ったイギリス主導の国際連盟の提案(①日支両国の利益と両立すること②ソ連の利益を尊重せよ③現存条約と抵触しないこと④日支間に新条約を締結すること⑤将来における紛争に対する有効な処置を講ずること⑥満州における日本の利益を認めること⑦満州における自治を認めること⑧満州の日本の兵を撤退すること⑨日支間に新通商条約を締結すること⑩国連軍が満州を管理する)が42:1で可決された。なお、タイは棄権、アルゼンチン、ドミニカ、チリなど10数か国は採決に参加せず退席した。そして、松岡洋右による脱退宣言がなされることになる。
 自らの主権を捨て、国際連盟管理下に安住することを望んだ支那の顔恵慶代表は英米の走狗となりはてた。
 国際連盟脱退の2年前の1931年12月8日の国際連盟での松岡全権の名演説は1.5時間に亘り、満州における実情を切々と訴えた。演説後、会場に拍手が巻き起こった。英仏の代表が握手を求める場面もあった。これにより、一時的に日本に同情的な雰囲気が出来上がり、総会から19か国会議に付託され、脱退がペンデングになったが、時間とともに、これも薄れていった。
 現代日本人に失われてしまっている「興亜の大業」(1941年刊行)に書かれた松岡洋祐の情熱あふれる主張〈檄文〉。(48:15~)
 祖国日本の風光は實に明媚であり、気候は実に温和である。米は水晶の如く麗しく、野菜は新鮮潤沢に、河海の魚類は美味である。土地広からずといえども、人口の増殖を抑え、軍備を制限し、原始共産生活にでも帰ったならば、豊かにまた安楽に子孫を養うにはことかかない。否、トルストイの寓話の如く世界に率先して軍備を撤廃し、絶対無抵抗主義の楽園を築き上げて、この小さく美しい御伽噺の島だけを温順無害な善い子の褒美として分けて頂いて満足するならば、日本国民は現世ながらの極楽世界を享楽することができるであろう。
 野に咲く花、空を飛ぶ鳥の幸福を以って満足し得るものはその虚しき平安を選ぶがよい。他人のお情けに縋って安逸を楽しむことの出来るものはそれに満足するが宜しい。小日本主義の道は、トルストイの寓話の様な縁遠い架空談杯を要しない。現に満州事変前の日本の歩んだ道は、それにやや近かったのであるが、日本皇国がバルカン諸邦以下の小国なり下り、大和民族が第四流民族に堕することを厭わないならば、それは明日からでも直ちに実現し得るのである。即ちベルサイユ平和会議に於いて、勝手に英米本位に築き上げられた世界地図を絶対的、最終的に、そして唯神意的に決定された万古不易なものとして承認し、九カ国条約を遵奉し、国家の勢力には消長があり、民族の生命には成長と老衰があるという事実を否定し、満州国は解消せしめ、支那全土からは撤兵し、そして、支那は英米諸国の共同管理なり、分割にまかせてしまい、三国同盟を離脱し、徳川時代の版図に朝鮮、台湾、南樺太を加えた地域に引っ込んでしまって、英米の頤使に甘んじ、そのお情けに縋って生きる道がすなわちそれである。もし、それを敢えてし得たならば、日本人は明日から平和愛好民族、人道主義の民族として、英米の絶賛を博することが出来るに違いない。
経済封鎖もまたたちどころになくなるであろう。米国の名家の出で優れた閨秀人類学者であるルスベネディクト夫人は、近著「人種」の中で「日本は西欧世界に対比を見ないような平和と非侵略の歴史をもっている。その記録的歴史の始まってからの最初十一世紀の間に日本は唯一対外戦争に携わったのみである。實にこの唯一の戦争は西暦1598年に終わり、それ以来1853年外部世界に対して交通の門戸を開くまではその独立政策の確保を目的とする幕府の命令によって外洋航海向けの船舶の建造が禁止されていたのである。日本人の儀礼の正しいこと、明朗快活なこと、美的鑑賞の高いこと等は、その民族素質の真髄として久しく認められた処である。
日本は、1853年以来5回の対外戦争に携わり、そして世界中における最も侵略的、好戦民族の一に立派になりつつある。云々」と謂っている。ルス・ベネディックトは冷静な学者として第三者の眼に映じた客観的事実を有する儘に記述しているのであって、少しも感情的なものを交わえてはいない。外国の者の眼から見れば実にそのとおりであろう、私はむきになってこれを否定しょうとの意思はない。また彼の支那贔負の女流作家パール・バック・・・告白した。・・・サクラと、ゲイシャ・ガールと、藁の家、紙の障子と、茶の湯、活花との日本である。鑑賞に適する日本であり、愛玩に値する日本人である。それは外から眺める者の眼にこそ、何時までも斯くてあらま欲しきロマンスであろうが。我々日本人は自らを矮小優雅、賞美すべき鉢植えの花弁たらしめる訳にはいかぬ。
アングロサクソンの為にあるのではない。かっての日本は彼らの後塵を拝し糟糠を嘗め、彼らに追随し精神的には彼らに隷属していたでもあろう。満州事変後の日本は全くその面目を改めた日本である。満州事変後の日本は彼自身を自覚し、彼自身の本質を取り戻した日本である。満州事変後の日本はアングロサクソンの従属者どころか、彼らをもってその代表とし、支配とする堕落せる西欧文化の山賊から世界人類を救済する・・・大和民族は・・・青年諸君・・・諸君・・・大陸へ大陸へと進まなければならぬ・・・

現代日本人は、当時の人々の 情熱のいっぺんをとりもどさなければならない。
参考文献:「英米の東亜攪乱」大東亜戦争調査会
2016/09/14 に公開