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日常生活の中で思ったこと、感じたことを気の向くままに書き綴っています。

-世界史的立場と日本-(GHQ焚書図書開封 第51回)

2017-04-30 21:53:55 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第51回
-世界史的立場と日本-
 戦後、GHQにより追放された西田学派の悪名高き4人の哲学者(高坂正顕、西谷啓次、高山岩男、鈴木成高)。
第二次世界大戦は、第一次世界大戦までの国と国との一時的戦争(限定戦争・パーシャル ウォ)と違い、継続的な戦争(全体戦争・総力戦)、つまり、それぞれが、大東亜圏秩序、米国州広域圏みたいなものの秩序、ナチスの秩序、ソ連の秩序を求め、相手に自国の唱える秩序を承認させたほうが勝利となることを予言していた4人の哲学者。
(当時、欧米が終戦後、戦争裁判を起こし、復讐を遂げるため、相手国を秩序を乱したものとして徹底的に犯罪国家にしたてることまで考えているとは見抜けなかった
平和のために戦争を行うというのは偽善。ベルサイユ条約で民族自決を叶えたのはオーストリア=ハンガリー帝国のみであった。アジアの植民地は植民地のまま放置された。それどころか、イギリス、フランスなどにより新たに中近東への侵略が始まった。不戦条約違反は欧米自らが破っていたのである。
創造的、建設的戦争が新しい戦争形態となった。つまり、思想戦ということ。
日本には、「開戦の詔勅」及び「帝国政府声明」にあるように自存自衛、アジアの植民地解放という戦争目的があった。英米はドイツに対しては、開戦2年後、ユダヤ虐殺というものに対する抗議の開戦理由を見つけた。しかし、米英には日本に対して正義の開戦理由がなかった。その後も見つけることはできなかった。強いてあるとすれば、アジアの植民地の白人側権益を守ることしかなかった。これは、日本の正義(自存自衛、アジア解放)を超えるものではなかった。
大東亜戦争により昭和18年にビルマ、フィリッピン、ラオス、カンボジアの独立、昭和20年にインド自由仮政府樹立、インドネシアの独立が達成されたことをみれば、英米仏蘭は植民地をほとんど失った。戦後、欧米は、ふたたびこれらの国を植民地化しようとしたが、日本軍の訓練を受けた現地人の抵抗にあい失敗した。その意味で日本は戦争目的を達成した戦勝国ともいえる。 武力戦が終わると、戦後も戦時と平時の区別なく戦いは継続し、経済戦、外交戦が永遠と続いた。武力戦に負けた日本は、アングロサクソン的秩序が日本的秩序(大東亜圏秩序)を圧倒したことから、アングロ・サクソン秩序の思想の指導を受ける破目に陥った。
1980年代に経済戦に勝利した日本(JAPAN AS NO.1)は、1990年代(海部首相から、宮澤、細川、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉首相まで)には米国(クリントン)・支那(江沢民)の復讐により規制緩和、市場開放を迫られ強かった経済基盤を徹底的に破壊された結果、経済戦に負けることになった。
日本には「善の思想」しかなく、欧米や支那のように「善の思想」と「悪の思想(ホップス・韓非子)」が共存していないことが弱点となっている。
アメリカのように「焚書」「日本経済の解体」「トヨタ叩き」、江沢民の反日愛国方針への政策転換のような徹底した「悪」を実行する力も欠如している。

【帝国政府声明文】現代語訳
昭和16年12月8日午後0時20分発表

このたび宣戦布告が発せられました。そこで大日本帝国として、国の内外に声明を発表します。
東アジアの安定を確保し、世界平和に貢献するのは、日本の不動の国是です。そのために日本は列国と友誼を厚くしてきました。国是を完遂することこそ、日本国の外交の要(かなめ)です。
ところが蒋介石率いる重慶政府は、我が日本の真意を理解せず、いたずらに外国の力をたのんで、日本に敵対し、この結果、支那事変が起きましたが、天皇陛下の御威光の下、日本軍の向かうところに敵はありません。支那の重要地点は、いまやことごとく日本軍の手に帰しています。さらに日本と思いを同じくする人々と、南京に国民政府が生まれ、いまや南京政府と日本は、良好な隣国としての諠(よしみ)を結ぶに至っています。また、その南京政府を国家政府として承認する国も、すでに11カ国に及んでおり、いまやこれに敵対する重慶政府は、支那の奥地に残存して無益の交戦を続けているだけの状態となっています。
こうしてようやく支那に平和が戻ろうとしている情況ができつつあるのに、米英が日本を含む東アジア諸国を未来永劫植民地として隷属させようとする態度を改めていません。米英両国は、さまざまな奸計を用いて支那事変の終結を妨害し、更にオランダをそそのかし、フランスに脅威を与え、日本とタイ国との親交までも裂こうとして策動しています。その動きは、日本とこれら東アジアの南方諸国との間に共存共栄の関係を築こうとする、ごくあたりまえな民衆の欲求を阻害し、東アジアの民衆に永遠に「安らかな日」を与えようとしないものです。
こうした米英両国の動きは、日本を敵視し、日本に対して計画的に攻撃を実施しつつあるものです。
そしてついに彼らは、無道にも「経済断交」という暴挙を打ち出してきました。およそ交戦関係にない国家間において「経済断交」というのは、武力による挑戦に匹敵する敵対行為といえます。国家として黙視できるようなものではありません。しかも米英両国は、さらに他の国々を誘い込んで、日本の四方で武力を増強し、日本の自立に重大な脅威を与えつつあります。
上に述べたよう米英が日本の存立と東アジア諸国の安定に対して重大な脅威を与えてきているにもかかわらず、日本国政府はこれまで、太平洋の平和を維持し、全人類に戦禍の波及することがないよう堪忍自重し、米国と外交交渉を重ね、背後にいる英国並びに米英両国に附和する諸国に反省を求め、日本の生存と権威の許す限り、互譲の精神をもって事態の平和的解決に努めてきました。つくすべき手をつくし、為すべきことを為しつくしてきたのです。
けれど米国はいたずらに架空の原則を弄して東アジア諸国の現実を認めず、日本の真の国力を悟ろうともせず、物量だのみで武力による脅威を増大させ、日本を屈従させようとし続けました。日本は、平和的手段で米国ならびにその他の国に対する関係を調整し、ともに手をたずさえて太平洋の平和を維持しようとする希望と方途を全く失うことになってしまったのです。
こうして東アジアの安定と帝国の存立とは、まさに危機状態に瀕することになりました。そしてことここに至って、ついに米国及び英国に対し宣戦の詔勅が発せられたのです。詔勅を承り、まことに恐懼感激に堪えないものがあります。
私たち帝国臣民一億人は、きわめて強固な団結で決起し、勇み立ち心を躍らせ、国家の総力を挙げて戦い、もって東アジアの禍根を永久に排除し、天皇陛下の考えに応えるべきときとなりました。
思うに、世界各国が各々その所を得るべしという詔勅は、「世界各国にあるさまざまな民族は、肌の色も違えば民族の伝統や文化もそれぞれ異なるけれど、その異なる文化を持つもの同士が、対立したり、片方が片方を隷属させたりするのではなく、互いに互いを尊重しあい、それぞれの民族がそれぞれの伝統や文化を守り、それぞれの国を守り、生きる。現代社会では、あたりまえの現実となっているその事が、まるであたりまえではなかった時代に、日本はこれを現実にしようと立ち上がったのです。なぜなら、私たち日本人にとって、それはあたかも太陽と星がこの世にあるのと同じくらいあたりまえのことだったからです。炳(へい)として日星の如し。とは、そういう意味です。(人種の平等と東アジア諸国の独立を謳っている)
日本が日満華三国の提携によって共栄の実を挙げ、進んで東亜諸国の興隆の基礎を築こうとしてきた方針は、もとより変るものではありません。また日本は、志を同じくするドイツ、イタリア両国と盟約し、世界平和の基調を糾(ただ)し、新秩序の建設に邁進する決意をますます牢固にしています。
このたび日本は、南方諸地域に対して、やむを得ず新たに行動を起こすことになりましたが、何等そのアジア地域の住民たちに対して敵意を持つものではありません。
ただ米英をアジアから追い出し、植民地になる前のアジアに戻すため、手を携(たずさ)えて共栄の楽をわかちあおうと祈念するものにほかなりません。互いに手をとりあって、共に栄える楽しみを分かちあうことを願い、達成しようとしているのです。日本は、これらアジア地域の住民が、日本の真意を了解し、日本とともに、アジアの新天地の新たな発足を期していただけることを信じて疑いません。(大東亜戦争の戦争目的を謳っている)
今や日本の栄衰と東アジアの興廃は、この一挙にかかることとなりました。(今や皇国の隆替、東亜の興廃は此の一挙に懸かれり)全国民は、このたびの戦いの原因と使命に深く思いをはせてください。
そして、どんなときにもけっして驕ることなく、また怠ることなく、よく尽くし、よく耐え、それによって私たちの祖先の教えを称えて広く世間に知らしめ、困難にあったら必ず国家興隆の基を築いた私たちの祖先の輝かしい歴史と業績を思い、内容が計り知れないほど奥深く、力強く、淀みのない天皇陛下の統治計画を思い、万事(全て)に手抜かり・手落ちがないように心に誓い、進んで征戦の目的を完遂し、もって天皇陛下の御心を永遠にありのままに受け入れ、最善をつくして努力することを約束します。
参考文献: 『世界史的立場と日本』高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高
参考文献: 国立公文書館 アジア歴史資料センター
・レファレンスコード:C12120377700
 件 名:昭和16年12月8日 帝国政府声明 (1画像目から)
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C12120377700?IS_KIND=RefSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=d2&IS_KEY_S1=C12120377700

引用元:安濃博士のブログ(帝国政府声明文 「戦勝国は日本だった」)、Karion168のブログ(Karionのつぶやき)



#限定戦争 #総力戦 #傀儡政府 

日本家族国家論(-GHQ焚書図書開封 第50回)

2017-04-30 19:56:47 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第50回
-日本家族国家論-
 明治憲法の背景には、国全体を一つの家族(父が天皇、国民は子)とみる概念があった。熊襲、隼人、アイヌは皇化に浴し天孫族(ヤマト民族)と同化した。
日本は、皇室を宗家と仰ぐ家族のような国家である。
國譲りの神話にあるように出雲族とは和解し、比較相対的に一言語、一民族を成しているといえる。この一言語、一民族説に異論(東北人は、大和朝廷に反抗した民族の子孫で日本人でない)を唱える学者に網野善彦氏がいた。
戦後の民法改正、夫婦別姓は日本人の家族制度の感性、感覚を破壊してきている。
日本には他のものと取り替え可能な「君主制(モナーキー)」という観念はなかった。「皇室」という言葉はあったが、「天皇制」という言葉はなかった。コミンテルンが「君主制を倒せ」と日本共産党に指令を出したが、日本には君主制がなかったことから、日本共産党は、君主制を天皇制と置き換え、打倒する対象として使いだしたのである。
アメリカカルフォルニアにおける日本移民排斥運動(人種差別運動)が大東亜戦争の原因のひとつとも言われている。
支那は秦の時代から郡県制度が続いており家産国家(領土や人民などがすべて君主の私有物となされる国家)。日本は律令時代と明治以降が郡県制度。武士の時代は封建制度で、徳川家が家産国家。
日本の家の長所は、①自然性、②中心帰一性、③親和性、④永遠性である。神道の精神は、清らかで澄んだものを好む日本人の特質を表している。
公平、公正を旨とする日本人の性格は、格差社会になじまない。日本人の家意識は他人同士の間でも醸成されるが、中国人の場合は、身内同士、血縁同士でしかつくられない。
世界を凌駕した日本の家族主義的経営が破壊され始めたのは1993年の米クリントン政権の時代からである。
天皇と国民の関係は家産国家にある主君と臣下の関係ではない。こういった家族主義的概念は、唯物主義の諸外国を相手にする場合、弱点ともなる。
参考文献:「日本国體の理論」牧健二


-日本史を特色づける「急変」「漸変」「不変」の相-(GHQ焚書図書開封 第49回)

2017-04-29 06:48:12 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第49回
-日本史を特色づける「急変」「漸変」「不変」の相-
 京大滝川事件の時、グループに属せず、辞表を撤回し、残留した学者牧健二の書いた「日本国体の理論」。
ルネッサンスのないイタリア、カント、ヘーゲルのいないドイツのような日本。
普遍的文化が生まれる基礎には国民文化の基礎がある。
明治以降、日本は欧米から多くの文明を学んだが、同時に欧米のダークサイド(悪辣なアジア侵略)を見抜いた。
人間が自然を支配する文化が西洋文化。西洋文化は、文明をもたらすと同時に野蛮をもたらした。
自然と調和した生活をなすことを第一とする文化が東洋文化。
東洋の閉鎖性から脱しきれなかった中国とインド、一方、東洋文化圏にありながらも、聖徳太子時代より外国から学ぶ力を持っていた日本。
日米経済同盟がEUを作り上げるのに貢献した。
イスラムをアメリカ風の民主主義国家にしようとしているアメリカの行為は内政干渉である。
民衆が奴隷でありたいと叫んでいるロシアは皇帝を持たないと国家として機能しない。
砂のようにありたいとバラバラに自分勝手に生きている支那には、独裁者が必要。
急変の相(大化の改新で古代中国の文明をとりいれ、明治維新で近代西洋文明をとりいれた)、
漸変の相(支那から最初律令制度、氏族制度などをとりいれるが、時間とともに崩れ日本流のものに変えてしまう(王朝の易姓革命⇒武士階級の易姓革命)、
不変の相(万世一系の天皇)が日本文化の基礎にある。
片目をつぶりながら、用心深く眺めて、深呼吸する文明が日本の文明。

参考文献:「日本国體の理論」牧健二 「国民の歴史」西尾幹二


-開戦前の日本の言い分(2)-(GHQ焚書図書開封 第48回)

2017-04-28 00:47:58 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第48回
-開戦前の日本の言い分(2)-
 19世紀末、太平洋の島々は欧米の狩場と化し、小笠原諸島はイギリスに、沖縄はアメリカに、ハワイはフランスに狙われていた。
アメリカからの侵略に対して、明治天皇に救いを求めてきたハワイ王国カラカウア国王。それに応えられなかった明治政府。
1900年には、アリューシャン~ハワイ~フィリピン~マレー半島~中国まで完全包囲され、対日経済封鎖網をつくられてしまった日本。
日本は、それに対し、逆経済封鎖手段として欧米からのアジア植民地解放と独立を目指して対抗した。アメリカを除き、資源のないイギリス、オランダ、フランスは資源供給国であった植民地を日本に奪われ、戦後、イギリスはGDPの30%、オランダは60%を失い貧乏国家に陥った。
アメリカはイギリスの凋落にあわせるかのようにモンロー主義を捨て、太平洋に進出してきた。そして、ベルサイユ条約(1919年)が敗戦国ドイツを封じ込めるものであったのと同様に、ワシントン条約(1921年)では戦勝国の一員の日本に対し封じ込めを開始。
 日米開戦前1935年から、すでに、アメリカ軍退役兵士はフライングタイガース社の社員に偽装して中国で戦闘行動に従事していた。
 近衛文麿首相は、松岡外相の対ソ戦略(当初、日独伊ソで米に対抗しようとしたが、ドイツのソ連侵攻により意味をなさなくなったため、日ソ中立条約を破棄し、ソ連をドイツと日本とで挟み撃ちし、米ソからの脅威に対抗する戦略である北進政策)を理解できず、南進政策をとった。
 今もなお、南部仏印進駐(1941.7.28)に対し、日本が自国を守るために進駐したことについては一切触れず、米側の言い分のみを擁護する反日親米の東大歴史学者北岡伸一。
アメリカは、開戦前年には、日米通商航海条約破棄を通告(実質的宣戦布告)していた。
在米ソ連スパイ(コミンテルン)の言いなりになっていたルーズベルト。(ベノナ文書開封より)。
アメリカは、戦争準備が整うまでアメリカからの重油、くず鉄の一部の輸出を容認し、日本を欺いていた。
ハルノートを受け入れ戦わずして負け、植民地となっている他のアジア諸国と同様にアングロサクソンに隷属するか、それとも、アジアの植民地を解放し、アジアに自由貿易圏をつくるために戦うかそのいずれしか道はなかった。日本は究極の選択であるアングロサクソンと戦う道を選んだのである。
 由来日本民族は笑いを知らぬ民族である。悲しみあれば泣き、喜びあれば泣く。我らが先覚の歩んだ道・・・・始まる開戦に臨む決意。
 太宰治、武者小路実篤でさえ、12月8日の思いは格別なものであった。
参考文献:『英米包囲陣と日本の進路』齋藤忠、日本の近代5 『政党から軍部へ』1924-1941」北岡伸一、GHQ焚書図書開封6 第8章

【帝國政府聲明】原文
昭和16年12月8日午後0時20分
大日本帝国政府発表

恭しく宣戦の大勅を奉載し、茲に中外に宣明す。
抑々東亜の安定を確保し、世界平和に貢献するは、帝国不動の国是にして、列国との友誼を敦くし此の国是の完遂を図るは、帝国が以て国交の要義と為す所なり。
然るに殊に中華民国は、我が真意を解せず、徒に外力を恃んで、帝国に挑戦し来たり、支那事変の発生をみるに至りたるが、御稜威(みいつ)の下、皇軍の向ふ所敵なく、既に支那は、重要地点悉く我が手に帰し、同憂具眼の十国民政府を更新して帝国はこれと善隣の諠を結び、友好列国の国民政府を承認するもの已に十一カ国の多きに及び、今や重慶政権は、奥地に残存して無益の交戦を続くるにすぎず。
然れども米英両国は東亜を永久に隷属的地位に置かんとする頑迷なる態度を改むるを欲せず、百方支那事変の終結を妨害し、更に蘭印を使嗾(しそう)し、佛印を脅威し、帝国と泰国との親交を裂かむがため、策動いたらざるなし。乃ち帝国と之等南方諸邦との間に共栄の関係を増進せむとする自然的要求を阻害するに寧日(ねいじつ)なし。その状恰も帝国を敵視し帝国に対する計画的攻撃を実施しつつあるものの如く、ついに無道にも、経済断交の挙に出づるに至れり。
凡そ交戦関係に在らざる国家間における経済断交は、武力に依る挑戦に比すべき敵対行為にして、それ自体黙過し得ざる所とす。然も両国は更に余国誘因して帝国の四辺に武力を増強し、帝国の存立に重大なる脅威を加ふるに至れり。
帝国政府は、太平洋の平和を維持し、以て全人類に戦禍の波及するを防止せんことを顧念し、叙上の如く帝国の存立と東亜の安定とに対する脅威の激甚なるものあるに拘らず、堪忍自重八ヶ月の久しきに亘り、米国との間に外交交渉を重ね、米国とその背後に在る英国並びに此等両国に附和する諸邦の反省を求め、帝国の生存と権威の許す限り、互譲の精神を以て事態の平和的解決に努め、盡(つく)す可きを盡し、為す可きを為したり。然るに米国は、徒に架空の原則を弄して東亜の明々白々たる現実を認めず、その物的勢力を恃みて帝国の真の国力を悟らず、余国とともに露はに武力の脅威を増大し、もって帝国を屈従し得べしとなす。
かくて平和的手段により、米国ならびにその余国に対する関係を調整し、相携へて太平洋の平和を維持せむとする希望と方途とは全く失はれ、東亜の安定と帝国の存立とは、方に危殆に瀕せり、事茲に至る、遂に米国及び英国に対し宣戦の大詔は渙発せられたり。聖旨を奉体して洵(まこと)に恐懼感激に堪へず、我等臣民一億鉄石の団結を以て蹶起勇躍し、国家の総力を挙げて征戦の事に従ひ、以て東亜の禍根を永久に排除し、聖旨に応へ奉るべきの秋なり。
惟ふに世界万邦をして各々その處を得しむるの大詔は、炳(へい)として日星の如し。帝国が日満華三国の提携に依り、共栄の実を挙げ、進んで東亜興隆の基礎を築かむとするの方針は、固より渝(かわ)る所なく、又帝国と志向を同じうする独伊両国と盟約して、世界平和の基調を糾し、新秩序の建設に邁進するの決意は、愈々牢固たるものあり。
而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こすのやむを得ざるに至る。何等その住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に復し、相携へて共栄の楽を分たんと祈念するに外ならず、帝国は之等住民が、我が真意を諒解し、帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足を期すべきを信じて疑わざるものなり。
今や皇国の隆替、東亜の興廃は此の一挙に懸かれり。全国民は今次征戦の淵源と使命とに深く思を致し、苟(かりそめに)も驕ることなく、又怠る事なく、克く竭(つく)し、克く耐へ、以て我等祖先の遺風を顕彰し、難儀に逢ふや必ず国家興隆の基を啓きし我等祖先の赫々たる史積を仰ぎ、雄渾深遠なる皇謨(こうぼ)の翼賛に萬遺憾なきを誓ひ、進んで征戦の目的を完遂し、以て聖慮を永遠に安んじ奉らむことを期せざるべからず。

参考文献: 国立公文書館 アジア歴史資料センター
・レファレンスコード:C12120377700
 件 名:昭和16年12月8日 帝国政府声明 (1画像目から)https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C12120377700?IS_KIND=RefSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=d2&IS_KEY_S1=C12120377700
引用元:安濃博士のブログ(帝国政府声明文 「戦勝国は日本だった」)、Karion168のブログ(Karionのつぶやき)


-開戦前の日本の言い分(1)-(GHQ焚書図書開封 第47回)

2017-04-20 15:17:28 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第47回
-開戦前の日本の言い分(1)-
 読売新聞160万の読者を涙しめ、奮わしめ、立つの覚悟を固らしめた佐藤忠著「米英包囲網」。その中に書かれた、ルーズベルトとチャーチルの洋上会談。その内容は、欧米列強が世界の植民地化を達成した後の領土保全条項等であった。
 日本は、9か国条約以降、欧米の主張する「領土保全」、「機会均等」、「門戸開放」の偽善に気付いていた。
 米国は、第一次世界大戦で、力尽きた英国の遺産を奪い取ることを画策していた。
 日本人の反英感情は、米英の植民地の既得権維持(南京条約、天津条約、北京条約による権益)を第一に考えている帝国主義にがまん出来なかったことから生まれた。
 日独伊三国同盟後の対日ABCD網を突破するには海軍方針の南進をしないで、ドイツを支援するため北進しソ連と戦うべきであった。
 英・米・独・伊・ソ連は支那民衆を抑圧していた欧米への反感を日本に向けさせることに成功した。
 支那は長年にわたり屈辱感を与え続けていた白人国に逆らわず、日本を敵視し、白色人種側についた。
 日本は、重慶政府(蒋介石政府)に武器貸与、借款等で支援する英米ユダヤ金融資本とは戦わざるを得ないほど追い込まれていた。
また、アジアの欧米列強からの植民地解放を主張する日本と植民地維持を主張する欧米とはもともと戦う運命にあった。
19世紀初頭北米の移民人口は500万であったが、19世紀末には8000万に増えていた。80年間の間に16倍に増えたエネルギーが東亜侵略へと向かっていった。
参考文献:「米英包囲網」斎藤忠、 GHQ焚書図書開封6 第7章 427~489P

 昭和16年12月8日午後0時20分全国紙発表「帝国政府声明」<現代語訳文>
このたび宣戦布告が発せられました。そこで大日本帝国として、国の内外に声明を発表します。
 東アジアの安定を確保し、世界平和に貢献するのは、日本の不動の国是です。そのために日本は列国と友誼を厚くしてきました。国是を完遂することこそ、日本国の外交の要(かなめ)です。
 ところが蒋介石率いる重慶政府は、我が日本の真意を理解せず、いたずらに外国の力をたのんで、日本に敵対し、この結果、支那事変が起きましたが、天皇陛下の御威光の下、日本軍の向かうところに敵はありません。支那の重要地点は、いまやことごとく日本軍の手に帰しています。さらに日本と思いを同じくする人々と、南京に国民政府が生まれ、いまや南京政府と日本は、良好な隣国としての諠(よしみ)を結ぶに至っています。また、その南京政府を国家政府として承認する国も、すでに11カ国に及んでおり、いまやこれに敵対する重慶政府は、支那の奥地に残存して無益の交戦を続けているだけの状態となっています。
 こうしてようやく支那に平和が戻ろうとしている情況ができつつあるのに、米英が日本を含む東アジア諸国を未来永劫植民地として隷属させようとする態度を改めていません。米英両国は、さまざまな奸計を用いて支那事変の終結を妨害し、更にオランダをそそのかし、フランスに脅威を与え、日本とタイ国との親交までも裂こうとして策動しています。その動きは、日本とこれら東アジアの南方諸国との間に共存共栄の関係を築こうとする、ごくあたりまえな民衆の欲求を阻害し、東アジアの民衆に永遠に「安らかな日」を与えようとしないものです。こうした米英両国の動きは、日本を敵視し、日本に対して計画的に攻撃を実施しつつあるものです。
 そしてついに彼らは、無道にも「経済断交」という暴挙を打ち出してきました。およそ交戦関係にない国家間において「経済断交」というのは、武力による挑戦に匹敵する敵対行為といえます。国家として黙視できるようなものではありません。しかも米英両国は、さらに他の国々を誘い込んで、日本の四方で武力を増強し、日本の自立に重大な脅威を与えつつあります。
 上に述べたよう米英が日本の存立と東アジア諸国の安定に対して重大な脅威を与えてきているにもかかわらず、日本国政府はこれまで、太平洋の平和を維持し、全人類に戦禍の波及することがないよう堪忍自重し、米国と外交交渉を重ね、背後にいる英国並びに米英両国に附和する諸国に反省を求め、日本の生存と権威の許す限り、互譲の精神をもって事態の平和的解決に努めてきました。つくすべき手をつくし、為すべきことを為しつくしてきたのです。
 けれど米国はいたずらに架空の原則を弄して東アジア諸国の現実を認めず、日本の真の国力を悟ろうともせず、物量だのみで武力による脅威を増大させ、日本を屈従させようとし続けました。日本は、平和的手段で米国ならびにその他の国に対する関係を調整し、ともに手をたずさえて太平洋の平和を維持しようとする希望と方途を全く失うことになってしまったのです。
 こうして東アジアの安定と帝国の存立とは、まさに危機状態に瀕することになりました。そしてことここに至って、ついに米国及び英国に対し宣戦の詔勅が発せられたのです。詔勅を承り、まことに恐懼感激に堪えないものがあります。
 私たち帝国臣民一億人は、きわめて強固な団結で決起し、勇み立ち心を躍らせ、国家の総力を挙げて戦い、もって東アジアの禍根(米英が日本を含む東アジア諸国を未来永劫植民地として隷属させようとする態度を改めていません)を永久に排除し、天皇陛下の考えに応えるべきときとなりました。
 思うに、世界各国が各々その所を得るべしという詔勅は、「世界各国にあるさまざまな民族は、肌の色も違えば民族の伝統や文化もそれぞれ異なるけれど、その異なる文化を持つもの同士が、対立したり、片方が片方を隷属させたりするのではなく、互いに互いを尊重しあい、それぞれの民族がそれぞれの伝統や文化を守り、それぞれの国を守り、生きる。」現代社会では、あたりまえの現実となっているそのことが、まるであたりまえではなかった時代に、日本はこれを現実にしようと立ち上がったのです。なぜなら、私たち日本人にとって、それはあたかも太陽と星がこの世にあるのと同じくらいあたりまえのことだったからです。炳(へい)として日星の如し。とは、そういう意味です。(人種の平等と東アジア諸国の独立を謳っている)
 日本が日満華三国の提携によって共栄の実を挙げ、進んで東亜諸国の興隆の基礎を築こうとしてきた方針は、もとより変るものではありません。また日本は、志を同じくするドイツ、イタリア両国と盟約し、世界平和の基調を糾(ただ)し、新秩序の建設に邁進する決意をますます牢固にしています。
 このたび日本は、南方諸地域に対して、やむを得ず新たに行動を起こすことになりましたが、何等そのアジア地域の住民たちに対して敵意を持つものではありません。ただ米英をアジアから追い出し、植民地になる前のアジアに戻すため、手を携(たずさ)えて共栄の楽をわかちあおうと祈念するものにほかなりません。(何等その住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に復し、相携へて共栄の楽を分たんと祈念するに外ならず)、日本は、これらアジア地域の住民が、日本の真意を了解し、日本とともに、アジアの新天地の新たな発足を期していただけることを信じて疑いません。(大東亜戦争の戦争目的を謳っている)
 今や日本の栄衰と東アジアの興廃は、この一挙にかかることとなりました。(今や皇国の隆替、東亜の興廃は此の一挙に懸かれり)全国民は、このたびの戦いの原因と使命に深く思いをはせてください。
そして、どんなときにもけっして驕ることなく、また怠ることなく、よく尽くし、よく耐え、それによって私たちの祖先の教えを称えて広く世間に知らしめ、困難にあったら必ず国家興隆の基を築いた私たちの祖先の輝かしい歴史と業績を思い、内容が計り知れないほど奥深く、力強く、淀みのない天皇陛下の統治計画を思い、万事(全て)に手抜かり・手落ちがないように心に誓い、進んで征戦の目的を完遂し、もって天皇陛下の御心を永遠にありのままに受け入れ、最善をつくします。

参考文献: 国立公文書館 アジア歴史資料センター
・レファレンスコード:C12120377700
 件 名:昭和16年12月8日 帝国政府声明 (1画像目から)
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C12120377700?IS_KIND=RefSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=d2&IS_KEY_S1=C12120377700
引用元:安濃博士のブログ(帝国政府声明文 「戦勝国は日本だった」)、Karion168のブログ(Karionのつぶやき)


-城山三郎が夕暮れのキャンパスで国体をみた-(GHQ焚書図書開封 第46回)

2017-04-17 23:24:48 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第46回
-城山三郎が夕暮れのキャンパスで国体をみた- 
国家が背負っている運命は、個人が背負うことを知っていた(自覚していた)当時の日本人。それが、極端な形ででたのが、山岡荘八著の「軍神 杉本中佐」。
 戦後、「官僚たちの夏」「乗っ取り」「価格破壊」「落日も燃ゆ」などを書いた国民作家城山三郎。少年時代、杉本五郎中佐遺著「大義」に熱狂した城山三郎の失望体験。
天皇制度是非論で否定派が有利となった時代背景。
「天皇制」という言葉は、日本共産党が共産革命をめざした「32年テーゼ」で初めて使いだした左翼用語。
帝政ロシアの絶対君主制(皇帝による専制政治)の「帝制」を、日本共産党が「天皇制」と置き換えた。
軍隊生活での過酷な訓練、理不尽な殴打などのいじめに嫌気をしていた軍隊生活経験者が、無慈悲な10数年間の獄中生活に耐え、解放された共産党幹部に劣等感と尊敬心を持つという自虐的歴史観が蔓延した。
その結果、苦しみや、嫌な思い出だけが残るという、パラダイムシフトが起きた。戦後の敗戦自虐史観しかり。
しかし、一橋大学のキャンパスに訪れた少年皇太子を身近にみて、人擦れしていない素朴なお姿に呪縛されそうな親愛感(もし、ここに暴漢があらわれたら命がけで皇太子を守りたいという気持ち)を覚えた時、国体=大義を疑った自分を否定できて安堵感を感じた。
戦後も何も変わっていない信仰の原型の皇室。それ以降、「大義」に続く超えた世界を見いだせずに今日に至っている。
人間に身体があるように、国家には国体が必要ということになる。
参考文献:「大義 杉本五郎中佐遺著」杉本五郎、 「軍神 杉本中佐」山岡荘八、 「大義の末」城山三郎

GHQ焚書図書開封4第7章 697~755


-小説「軍神 杉本中佐」-(GHQ焚書図書開封 第45回)

2017-04-17 21:03:00 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第45回
-小説「軍神 杉本中佐」-
杉本中佐の5訓
1.己を忘れて大義に殉す
2.1の利己なく私心なく
3.敢えて権勢に阿らず
4.而して下を蔑まず
5.明朗闊達、自己の信念を進む底の意気を持つ 
 昭和6年(1931年)当時、世界の90%が4か国(英・米・ソ連・仏)の白人植民地であった。白人の人口4億、植民地の人口16億。日本は世界の人口の1/20で1/100の領土しかなかった。当時の日本人は地政上の認識をもって欧米の脅威を感じていたのである。
柳条溝事件(昭和6年9月18日)からはじまった満州事変。世界各地で起こる武力衝突・戦争は、謀略から始まる。
515事件、225事件には参画せず警戒していた杉本大尉の同志達の会合では、ユダヤ資本(武器商売)の陰謀によって、蒋介石、宋美齢、張学良が踊らされていると分析していた。
当時、世界の郵便、新聞・通信網の80%は英米金融資本が握っていた。
当時、ユダヤ国際金融資本VS国粋主義の戦いの構図が出来上がっていた。死の中隊の出征情景。
戦後、パラダイムが変わった影響を受け、山岡荘八も昭和44年に出版された「太平洋戦争」では、題名を「大東亜戦争」としなかったように、「軍神 杉本中佐」を書いた当時と比べ戦争に対する認識が変わっていた。
参考文献:「軍神 杉本中佐」山岡荘八 、「大義 杉本五郎中佐遺著」杉本五郎、小説「太平洋戦争」山岡荘八
GHQ焚書図書開封4 第6章 1~3節 569~575P、635~639P~695P
#股肱 #赤子 #皇道 #大義 #臨済宗佛通寺 #軍国主義 #天ちゃん #五訓 #ユダヤ #満州 #靖國の社頭 


-国体の認識と人間の生き方は別-(GHQ焚書図書開封 第44回)

2017-04-16 09:38:01 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第44回
-国体の認識と人間の生き方は別-
 世界は天皇のもの、世界は日本。日本にはない一神教的な考え方。なぜ、杉本五郎中佐の錯覚的、誇大妄想的思想が、当時の国民に受け入れられたのか?。
思想的には天皇に帰一しなければ全て駄目だという単純なものであったが、軍人としては立派な生き方を(信仰、行為、認識が一致)した人柄であった杉本中佐。
日本は文明開化と尊王攘夷の間を揺れ動いた歴史をもっている。そして、常に天皇を中心とする国体観念を疑ってはならないというタブーが存在した。
昭和24、25年頃、左翼学生たちは天皇陛下を天ちゃん、皇太子殿下を倅、皇后陛下をお袋と呼んだ。それまで、疑う余地のないほど自明だった天皇観のタブーが消滅した。
若い頃、杉本中佐に心酔し、予科練に入った小説家城山三郎氏も、終戦後多くの知識人同様、国体について「軍国主義」のレッテルづけし、一諸くたに扱い過去のものとして片づけてしまった。
つまり、過去に目をそむけて、本質を追及することから逃げてしまったのである。吉永小百合の青い山脈「古い上着をさようなら・・・」という歌がはやったように・・・・。
その結果、国体に潜む根絶しなければならない病原菌は軍国主義の裏側に隠れてしまった。「軍国主義」のレッテルは時の流れとともに消えても、歴史の裏側に潜在する病原菌によって、やがて、今度は盲目的な「平和主義」の名のもとに自家中毒を起こすかもしれない。今の野党がレッテルはりを好んで使用していることは危険である。
学者(山田孝雄、田中智学、白鳥庫吉)によっても極端に違う国体の認識、そのいずれも批判、分析されることなく、闇に葬ってしまったことが、混沌とした世界情勢の中で生き抜かなければならない日本人の心の支えを失うという禍根を残した。
そのことにより、将来アメリカのため、中国のために、日本の青年が死ぬという馬鹿馬鹿しいことが起こるかもしれない。
参考文献:「大義」杉本五郎中佐遺著 「軍神杉本五郎中佐」山岡荘八 「大義の末」城山三郎
GHQ焚書図書開封4 第6章 2節 501~635P


-「国体」論は小説になりうるか-(GHQ焚書図書開封 第43回)

2017-04-15 14:54:18 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第43回
-「国体」論は小説になりうるか-
当時、130万部も売れ、幼き頃の城山三郎(小説家)も強く影響を受けた杉本五郎中佐遺著の「大義」。
天皇を絶対神にみたて信じ、体現した杉本中佐。
杉本中佐物語を小説にした山岡荘八の「軍神杉本五郎中佐」。
手榴弾を浴び、軍刀を杖として立ち上がり、号令をかけ、皇居の方角に向かい敬礼し、立ったまま絶命した杉本中佐。
結婚式披露宴で、新婦定枝が好感をもった杉本中佐の立ち振る舞い。
私利を捨て、義によって生きている人が自分の身の回りにいるか否か。6人以上いれば心配ない。
日本人の亡国病の病原菌は、「自由と平等のはきちがえ」との中隊生活で訓示した杉本中佐。
 明治政府が革命政府であったことから、戦前の日本には「保守」はなく「革新」だけが存在し、右の革新が「天皇主義」、左の革新が「共産主義」であった。自由主義、個人主義には目的がないから国家は救われない。

参考文献:「大義」杉本五郎中佐遺著 「軍神杉本五郎中佐」山岡荘八 GHQ焚書図書開封4 501~695P





-この父母にしてこの子あり 日本の躾-(GHQ焚書図書開封 第42回)

2017-04-15 00:15:34 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第42回
-この父母にしてこの子あり 日本の躾-
「後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ 悲しき」と聖の道を究めよと戒めた源信僧都の母。
7歳の水戸光圀に深夜、刑場に打ち首を取りに行ってこいと度胸の鍛錬など厳しく教育した父の頼房。
「三万石の節を忘れ遊ばすな」と親類縁者の取り立てを戒め、軽い身分の出だと自らの分をわきまえた吉宗の母の浄園院。
忠義を高く評価し、子供に老後の心配をかけないように自刃した赤穂義士近松行重の母。
中江藤樹の躾の教え。
吉田松陰を育てた父の杉百合之助と、母の瀧(たき)の生い立ちと生活態度。
この父母にして、この子あり。良い習慣(形)をつけてから精神に入る。
国際主義者(グローバリスト・左翼共産主義者)は国民である前に良き市民であれと言う。朝日新聞は良き地球市民であれと言っている。国家意識が失われた証拠。
 参考文献:「日本の躾」武田勘治




-白鳥庫吉「国体真義」を読む-(GHQ焚書図書開封 第41回)

2017-04-13 21:08:34 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第41回
-白鳥庫吉「国体真義」を読む-
 昭和天皇に歴史をお教えになった白鳥博士。支那で実在したと言われていた堯、舜、禹は神話であると断言した東洋史歴史家。
日本は同一民族、単一国家としては起源が最も古く、ヨーロッパですら12、13世紀頃からやっと国家の体をなしてきたと言える。古い所以は、日本には「皇道」の力があったからだ。
高天原は外国と言われているが、当時の文化レベルからみると、ツングース、ギリヤーク、アイヌ、朝鮮ではない、文化レベルの高かった中国とは言語、思想面が全く違うので、これも該当しない。5,000年前までに、ありとあらゆる民族が日本に集まってきて日本列島の土着民となり、高天原の時代に神話ができた。
日本民族の本源は、「縄文」と「独自言語」にある。
天皇は「神」であり、人間である(現人神)。ここでいう「神」は西洋の全知全能の絶対的神(GOD)でなく、仁・愛・善のかたまりを持った人間。
これは、日本人の宗教的信念ともいえる。我国は常に君民一体(君が民を思い、民が君を敬う)でなければならない。
宗教には「経典」「教義」があるが、神道にはそれがない。
武家時代においても、幕府の統治責任は天皇に対してあった。従って、幕府(権力)は交代したが、天皇(権威)の尊い血筋が守られ、国全体が安定し、乱れることはなかった。(道鏡、足利義満、織田信長の時代に一時的に危機はあったが・・・・)
これが、王(権威・権力)の統治責任が天(徳を備えたものにしか統治権を与えない絶対的なもの)にあった易姓革命の支那(革命の歴史)とまったく違うところである。
参考文献:「國體の眞義」白鳥庫吉 「国民の歴史」西尾幹二 『GHQ焚書図書開封4』西尾幹二 第5章



闘病日記23

2017-04-13 11:02:19 | 暮らし
4月10日、花見がてらにスポーツセンター公園の鉄棒で懸垂をしたが、腕力が落ちていて首まで上がらなくなっていた。しかし、懸垂運動したおかげか首の痛みがその後軽減したようだ。やはり運動不足が原因なのだろうか。ここ数日、腕立て伏せを1日10回するようにしている。

-国家主義者田中智学の空想的一面-(GHQ焚書図書開封 第40回)

2017-04-06 11:01:22 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第40回
-国家主義者田中智学の空想的一面-
日蓮宗の宗教団体「国柱会」を結成した田中智学。その信者には石原莞爾、宮澤賢治がいる。
日本書紀の神武天皇のくだりにある「掩八紘而為宇[八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす]」から造られたのが「八紘一宇」という言葉である。
月刊誌「日本国体新講座」に協賛者、支持者として名前を連ねている岡田啓介、近衛文麿、林銑十郎、平沼騏一郎、野村吉三郎、野間清治、横山大観など著名人。
「政体」は主権があるという国家形態のこと。
「国体」とは、他国に例のない固有の国のおおもと。
 日本の国体は、万邦無比(世界中、どの国を見渡しても類のない国のこと)、天壌無窮(天地とともに永遠に極まりなく続くさま)である。
 支那王朝は易姓革命で一つの王朝が300年と続かない。イギリス王国でも1000年の歴史しかない。それに比べて日本皇室の「特殊性」と「偉大性」を誇張している。
 日本書紀にある神武天皇の言葉が全てという信仰のもと、信仰の押しつけを行った運動体。この押しつけが、戦後、極端に神話を否定し、神武天皇を追い払う風潮を生んでしまった。
当時から、「日本を国際化する」と「世界が日本に学べ」との相反する考えがあった。田中智学の場合、後者で、神武天皇の言葉はマルクスの世界宣言、キリスト、釈迦の言葉以上のものと考え、「神武天皇の言葉が世界を決める」という誇大妄想の国体論に至った。今日でいうところのグローバリズム的発想である「人類同然世界一家」という考えから、「八紘一宇」という造語ができた。
「三大綱」「五大要素」「八大国是」という観念的な言葉に浮かれ、酔いしれ、冷静さを失って、熱狂化、信仰化していったことが、国体を誤った方向に導く結果となった。
今日でも、「世界は一家、人類みな兄弟」「世界政府」「朝日新聞の地球貢献国家論」「地球大国」「地球文明」というリアリティのない言葉が根強く残っている。
参考文献:「万世一系の天皇」里見岸雄 「日本国體新講座」田中智学  GHQ焚書図書開封4 第4章 377~435P
2013/03/13 18:00に公開


-許し難い心の弱さ-(GHQ焚書図書開封 第39回)

2017-04-02 10:58:59 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第39回
-許し難い心の弱さ-
NHKその他の放送局は、毎年、夏になると、先の戦争に関する放送をするが、その内容は「戦争の悲惨さの一般論」に終始している。アメリカ軍の戦争の仕方、非道さ、アメリカに対する憎悪などは一切伝えない偏りのあるものである。
一般論だけで報道されると、戦争そのものが悪い、戦争を引き起こした日本が悪いという風に自然と「日本悪者論」へと誘導されていく。その結果生まれるのが今も続く自虐史観。「日本が悪い国なので原爆を落とされて当然」といった自虐思考に陥っている日本国民。
アメリカの戦時国際法(非戦闘員及び降伏者、捕獲者の保護規定)違反により被害者となった日本人が、まるで加害者であるかのような主語のない広島の碑文「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」の表現。
アメリカ、イギリス、オランダなどが日本に対して何をしたかという背景は一切伝えない。戦争には、常に相手がある。相手が何をしたから、日本は何をしたというようにマスコミは伝えるべきである。
大東亜戦争における日本の戦争目的は、アジアの植民地からの解放・独立と人種差別撤廃、欧米の戦争目的は植民地の維持・防衛であった。戦争目的を達成(ビルマ/18.8.1、フィリピン/18.10.14、ベトナム/20.3.11、カンボジア/18.3.12、ラオス/20.4.8、インドネシア/20.8.17、インド自由仮政府/20.8.12に独立)した日本は戦勝国であった。欧米はアジアにおいて全ての植民地を失ったのである。戦後、植民地を失ったイギリスはGDPの35%減、オランダはGDPの65%を失い貧乏国に転落した。日本は、宗主国を通さず、解放したアジア諸国から石油、ゴムなど生産材料、原料を直接輸入ができるようになり、戦後復興を遂げたのである。
ところが、原爆投下を目のあたりに見た昭和天皇が、非人道的な核戦争がこれ以上続くと、日本民族のみならず、人類の滅亡につながると考え、負けてもいない戦争を負けたことにしたことが、東京裁判で敗戦国扱いになった。(終戦の詔書・・・敗戦とせず、終戦とした理由)
敗戦国に自己否定、自己批判させ屈服させる戦勝国のしたたかな戦略(マインドコントロール)に何の疑いもなく乗せられてきた日本国民の弱さ。
昭和49年ソ連の圧力によって上映禁止となったソ連軍の悪事を描いた「氷雪の門」。アメリカの悪事を描かなかった「ひめゆりの塔」は上映。旧敵国の悪事は上映できないが、日本の悪事は上映できるという自己規制が働く現実。
自己規制は、人間の心の弱さに忍び寄る悪魔。冷戦時、東ヨーロッパ諸国は、文学者、作家に対して政府は作品を検閲しなから、自分で検閲しろと言って自己規制を迫った。
アメリカ占領軍は、日本人の反発を恐れて「○○をせよ」とは言わないで、「○○をするな」といって自己規制を迫った。
昭和3年から昭和20年までの期間を対象にした歴史書は、東京裁判史観に沿った偏った内容である。
核保有国の米中が「平和」という名のもとに日本を再占領しようとしている。日本に対してヤルタ・ポツダム体制の再確認を迫っている。その圧力に対し、NHK、政財界がこぞって屈服している。また、反日左翼と保守の反日親米・親中・親韓勢力が手打ちをしているように思われる。