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ー最終抗議1ー(GHQ焚書図書開封第200回ー最終講義1)

2022-12-26 12:23:44 | 近現代史

GHQ焚書図書開封第200回ー最終講義1

ー最終抗議1ー

1510 ポルトガル、マラッカ海峡制圧

1521 マゼラン、フィリピンに到着

1580 ポルトガル、スペインに併合される

    この頃、オランダが登場し、イギリスを交えてアジアの海は騒然としてくる

1596 オランダ商船隊、ジャワに到着

1600 オランダ船リーフデ号、大分の海岸に漂着

    ウィリアム・アダムス(三浦按針)到来

1603 徳川開幕

1623 アンボイナ事件(日本人関与)

1635 幕府、日本人の海外渡航と帰国を禁じる 翌年、長崎の出島完成

1655 鄭 成功(てい せいこう)の海軍勢力(艦艇1000隻、兵力10万)最高潮となる

1681 鄭、海戦に敗れ、ヨーロッパが世界の海をほぼ制圧

 

1741 ベーリング、アメリカ(アラスカ)を発見

1768~76 キャプテン・クック航海(第一次~三次)

1779 クック、ハワイで殺害される

1784 クック航海記刊行

1785 仏人・ラペールズ隊探検、宗谷海峡を抜ける

1789 ヌートカ湾事件

1804 ロシア使節レザノフ、長崎来航 

 

日本の東は溟海遠闊にして世界第一の処にして、地勢相絶す、故に図上には亜米利加州を以て東に置くと雖も、地系還って西方に接して、その水土険悪偏気の国なり。地体渾円の理を按ずるときは、即ち当に亜米利加を以て西極に属すべし(「日本水土考」)

 

明治維新から70年生き抜いた人と戦後70年生き抜いた人とでは、余りにもその経験・体験内容に差があり過ぎる。戦後70年は、丁度ベーリング海峡が発見された1741年からレザノフが長崎に来航した1804年にかけての鎖国後期の時期に符合する。

 

関連動画:第156回「ポルトガルの『海の鎖』と大英帝国のつくった海賊の話、第161回「アンボイナ事件とオランダ東インド会社」、第162回「鉄砲伝来」(1543)から現代を考える」

2019/7/12に公開



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