GHQ焚書図書開封第200回ー最終講義1
ー最終抗議1ー
1510 ポルトガル、マラッカ海峡制圧
1521 マゼラン、フィリピンに到着
1580 ポルトガル、スペインに併合される
この頃、オランダが登場し、イギリスを交えてアジアの海は騒然としてくる
1596 オランダ商船隊、ジャワに到着
1600 オランダ船リーフデ号、大分の海岸に漂着
ウィリアム・アダムス(三浦按針)到来
1603 徳川開幕
1623 アンボイナ事件(日本人関与)
1635 幕府、日本人の海外渡航と帰国を禁じる 翌年、長崎の出島完成
1655 鄭 成功(てい せいこう)の海軍勢力(艦艇1000隻、兵力10万)最高潮となる
1681 鄭、海戦に敗れ、ヨーロッパが世界の海をほぼ制圧
1741 ベーリング、アメリカ(アラスカ)を発見
1768~76 キャプテン・クック航海(第一次~三次)
1779 クック、ハワイで殺害される
1784 クック航海記刊行
1785 仏人・ラペールズ隊探検、宗谷海峡を抜ける
1789 ヌートカ湾事件
1804 ロシア使節レザノフ、長崎来航
日本の東は溟海遠闊にして世界第一の処にして、地勢相絶す、故に図上には亜米利加州を以て東に置くと雖も、地系還って西方に接して、その水土険悪偏気の国なり。地体渾円の理を按ずるときは、即ち当に亜米利加を以て西極に属すべし(「日本水土考」)
明治維新から70年生き抜いた人と戦後70年生き抜いた人とでは、余りにもその経験・体験内容に差があり過ぎる。戦後70年は、丁度ベーリング海峡が発見された1741年からレザノフが長崎に来航した1804年にかけての鎖国後期の時期に符合する。
関連動画:第156回「ポルトガルの『海の鎖』と大英帝国のつくった海賊の話、第161回「アンボイナ事件とオランダ東インド会社」、第162回「鉄砲伝来」(1543)から現代を考える」
2019/7/12に公開
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