日本人は、時々「まあ・まあ」と言語を発します。
この言葉は、多岐に渡って使われています。
例えば
試験の成績はどうだった・・・「まあ・まあ」
給料は・・・「まあ・まあ」
料理の味は・・・「まあ・まあ」
旅行に行って楽しかった・・・「まあ・まあ」
など、多くの日本人はこの「まあ・まあ」を使っている傾向にあります。
「まあ」では無くて「まあ・まあ」が、正式な発音です。
この「まあ・まあ」は、何を基準に言っているのか、不思議です。
時には、仲間の喧嘩の仲裁に「まあ・まあ」と両者に理解を求める仲裁者も存在します。
喧嘩の原因が、判明しているにもかかわらず「まあ・まあ」と、意味不明の言語で問題を解決しようと「努力」しているのです。
全ては、個人主義の言語であり「相手の事は無視」した自分勝手な言葉でもあります。
平均点・基準点の前後の自己の価値観を言ってると考えますが、その基準は誰にも理解出来ません。
しかし、友達仲間内・生活環境が同じ・仕事仲間・年代構成が同類など生活様式で発言する人間の価値観が違います。
日本は、島国です。
この島に住んでいる人間だけが理解できる言語と捉えます。
地球が狭くなった昨今「まあ・まあ」の言語を使っている日本人は、果たして「心が」広いのか・狭いのか・ 不思議な言語でもあります。
ロシアの若者たちも近年独自の言語がはやっているのです。
これも、自由(個人)主義の置き土産?と思います。
サハリンマンの嘆き
写真・「まあ・まあ」こんなに育った大木?意味不明
この言葉は、多岐に渡って使われています。
例えば
試験の成績はどうだった・・・「まあ・まあ」
給料は・・・「まあ・まあ」
料理の味は・・・「まあ・まあ」
旅行に行って楽しかった・・・「まあ・まあ」
など、多くの日本人はこの「まあ・まあ」を使っている傾向にあります。
「まあ」では無くて「まあ・まあ」が、正式な発音です。
この「まあ・まあ」は、何を基準に言っているのか、不思議です。
時には、仲間の喧嘩の仲裁に「まあ・まあ」と両者に理解を求める仲裁者も存在します。
喧嘩の原因が、判明しているにもかかわらず「まあ・まあ」と、意味不明の言語で問題を解決しようと「努力」しているのです。
全ては、個人主義の言語であり「相手の事は無視」した自分勝手な言葉でもあります。
平均点・基準点の前後の自己の価値観を言ってると考えますが、その基準は誰にも理解出来ません。
しかし、友達仲間内・生活環境が同じ・仕事仲間・年代構成が同類など生活様式で発言する人間の価値観が違います。
日本は、島国です。
この島に住んでいる人間だけが理解できる言語と捉えます。
地球が狭くなった昨今「まあ・まあ」の言語を使っている日本人は、果たして「心が」広いのか・狭いのか・ 不思議な言語でもあります。
ロシアの若者たちも近年独自の言語がはやっているのです。
これも、自由(個人)主義の置き土産?と思います。
サハリンマンの嘆き
写真・「まあ・まあ」こんなに育った大木?意味不明