アングル:平均寿命56歳、極北ロシアを「牢獄」に変える年金改革
[ボルクタ(ロシア) 25日 ロイター] - ロシアの鉄道職員アンドレイ・ブゲラさんには、1つの目標がある。それは、年金がもらえる年齢まで生きて、北極圏にある汚染された極寒の炭鉱町を離れ、少しでも快適な老後を迎えるため南に引っ越すことだ。
だが、プーチン大統領が年金受給年齢を5年先送りする計画を発表した今となっては、この目標をかなえることができないのではないかとブゲラさんは心配している。
彼が暮らす孤立したボルクタ市に続く道路はなく、冬は気温がマイナス40度を下回る。真っ白な雪は炭塵のせいで黒色に変わる。
汚染された薄い空気や乏しい日光、そして最大10カ月続く冬がボルクタの平均寿命を著しく低下させている。ロシア政府は昨年、最も汚染された都市の8番目に同市を挙げた。
6月、わずか2週間の間にブゲラさんの友人3人が、50歳を前にして亡くなった。
「1人の同僚は夜勤から帰宅して眠りについた後、目覚めることがなかった。家族を、3人の子どもを残して。まだ47歳だった。心臓が、血栓が原因だった。60歳が定年だと、政府はどうしたら考えられるというのか」とブゲラさんは言う。
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ロシアの極北地方では長い間、厳しい環境に労働者を誘致するため、早期退職が認められていた。しかし政府が計画している年金改革案では、年金受給年齢が男性60歳、女性55歳までと、5年先送りされる。
政府データによると、ボルクタ市があるロシア連邦コミ共和国で2005年に生まれた男性の平均寿命は56歳と予想されている。提案されている新たな年金受給年齢より4年早い。
ロシアの残る地域では、年金受給年齢が男性65歳、女性60歳にそれぞれ引き上げられる予定だ。2015年における男性の全国平均寿命が66歳であることを考えると、少しだけ状況はましなようだ。
<とらわれの身>
ブゲラさんと妻は2年前、貯金をはたいてロシア中部ボログダ地方の川沿いにある小さな町ソコルでアパートを購入した。
それ以来、休暇をそこで過ごすようになり、いつの日か、北極圏から移り住むという期待を胸にアパートのリフォームを少しずつ行ってきた。
だが現在、ボルクタを離れることはあきらめたとブゲラさんは言う。「この新たな年金改革で、すべてが台無しだ。絶対に(ボルクタから)出られないように感じている」
年金受給年齢の引き上げは、制裁によって悪化した4年間の低成長を経て、ロシア政府が打ち出した財政再建策の一環だが、この10年以上で最も不人気な措置であることが証明されつつある。
実際の対立候補がいないため、プーチン大統領の盤石な権力が直ちに脅かされるわけではないものの、大統領の支持率は低下している。かつては忠実なプーチン支持者だった有権者は、自分たちの指導者に対する軽蔑心を表に出し始めている。
<死にゆく町で死ぬ>
1980年代、ボルクタには約20万人が暮らしていた。その多くは旧ソ連から賃金の高い炭坑作業員の職を求めてやってきた。
当時13カ所あった炭鉱のうち、今ではわずか4カ所しか残っていない。人口も7万人近くまで減少している。
ボルクタ中心部には、屋根が崩壊したり、庭にがれきが散乱したりしている人けのない黒ずんだアパートが建ち並ぶ住宅街がいくつもある。
ボルクタに続く道路はなく、住民の大半にとってはあまりに費用がかかり過ぎるため、所有物を持って町を離れることなどできない。放棄されたアパートの床には、朽ち果てた家具や衣服、本などが散らばっている。
「町を出るときは、銃とギターを持っていく。それだけだ。皆、何もかも捨てて出ていく」と、列車でボルクタまでやってくる炭坑作業員のセルゲイさんは言う。
地域病院に勤務する女性医師は、死んだような町で暮らしたくないと匿名で語った。来年定年を迎える彼女は、ブゲラさんのように、家族のために用意していた南方にある家に引っ越す計画だった。
「今回の改革で、そうしたことは全く実現しないだろう。私には分からない。でも、もう私にはこのような町で暮らす力も、意思も、何もない。ここはすべてが廃墟と化している」と彼女は話した。
「まるでゾンビのように歩き回っているかのようだ」
<抗議デモ>
ブゲラさんは、ボルクタで行われた年金改革に抗議する活動に参加した。こうした抗議デモは比較的小規模で、7月には約1000人が集まった。来月雪が降り始めれば、その規模はさらに小さくなると予想される。
「抗議活動で何も変わらないなら、少なくとも子どもたちのために何らかの基盤を残してやりたい」とブゲラさんは語る。
静かな怒りは9月9日の統一地方選で発せられた。選挙管理委員会のデータによると、ボルクタの投票率はわずか7%だった。
一方、年金改革案が発表される前の今年3月に実施された大統領選では、同市の投票率は50%に上っていた。
「この年金改革は最後の一撃だと、皆が思っている」と、元炭坑作業員で現在は警備員のアレクサンドル・ゴリャンチュクさん(37)は地方選での低い投票率についてこう語った。
「私たちは厳しい状況の中で生活している。寿命もあまり長くはない。それなのに年金も取り上げるというのか」と彼は訴えた。
オルガ・レベデワさん(47)は、以前であれば年金がもらえるまであと4年だった、とボルクタの町を歩きながら語った。
「だが今では5年先送りされた。だから、あと9年待たなくてはならない。笑って耐えるしかない」。そう彼女は言い、しばらくしてつぶやいた。「いえ、酒を飲むでしょう」
(翻訳:伊藤典子 編集:下郡美紀)