毎日新聞【ウィーン樋口直樹】
1986年に起きた史上最悪の旧ソ連チェルノブイリ原発事故から26日で25年。
被災国のウクライナや欧州各国では、犠牲者への追悼と反原発を訴える集会が実施、計画されている。
【チェルノブイリ原発は…】チェルノブイリ:30キロ圏今も居住禁止 事故から25年
原子力の平和利用を推進する国際原子力機関(IAEA)のお膝元、オーストリア・ウィーンでは25日夜、大規模な反原発集会が開かれた。
東京電力福島第1原発事故で原発の安全性が問われる中、ファイマン首相も参加し、チェルノブイリ事故の被害者への連帯感を示し、「脱原発」推進を誓った。
集会は環境保護団体が主催。
会場の寺院前に集まった約2000人を前に、ファイマン氏は「チェルノブイリ事故以降、(世界中で)160以上の原発が新設された。
原発推進の圧力団体は事故の記憶が忘れ去られるのを待っているが、我々は決して忘れてはならない」と力説した。
オーストリアは78年に国民投票で原発の運転を否決し、原子力禁止法を設けるなど、国を挙げて反原発を主導してきた。
ただ、原発発電分を含む電力を周辺国から輸入しており、集会主催者のカステンホーファー代表は毎日新聞に「エネルギー効率の高度化や再生可能エネルギーの開発が重要だ」と語った。
集会ではウィーンの音楽大学で学ぶ日本人留学生が演奏を披露。
安達真理さん(26)は「私たちが原子力エネルギーに依存し、便利な生活を送ってきたのも事実。
福島の事故が世界で原子力を真剣に見直すきっかけになってほしい」と話した。
一方、ロシアのメドベージェフ大統領は26日、ウクライナのヤヌコビッチ大統領らとチェルノブイリ原発を訪問する予定。
今も見通しが立っていない原子炉解体に向けた方策などについて協議するとみられる。
産経新聞【モスクワ=佐藤貴生】世界の原子力発電史上、最悪の惨事となった旧ソ連(現ウクライナ)チェルノブイリ原子力発電所の事故は26日、発生から25年を迎えた。
ウクライナの首都キエフの教会では、事故が起きた午前1時23分(日本時間同6時23分)、事故処理に当たった生存者の1人が25回にわたり鐘を鳴らして、犠牲者を追悼した。
インタファクス通信によると、教会ではこれに先立ってロシア正教のキリル総主教が祈りをささげた。
総主教は「世界は、平和な時代に襲ったこの事故に比較しうる惨事を経験したことがなかった」と述べた上で、「他人に生命を与えるという最も崇高な神への贈り物をした」と事故処理に当たった人々を改めて悼んだ。アザロフ首相ら約700人も教会で犠牲者の冥福を祈った。
モスクワのラジオ局エホ・モスクブイによると、ロシア西部の飛び地カリーニングラードや、ウクライナ西部の都市リビウではこの日、事故犠牲者の新たな追悼碑が公開される。
ベラルーシでも追悼式典が営まれるほか、各地で「チェルノブイリの教訓」をテーマとする学術会議などが開かれる予定だ。
東京電力福島第1原発事故が発生したこともあり、チェルノブイリ原発事故への関心が再び高まっている。
ロシアのメドベージェフ大統領はこの日、ウクライナのヤヌコビッチ大統領と現地を訪れて犠牲者に哀悼の意をささげる。
キエフで行う首脳会談では福島第1原発の事故を踏まえ、原発の安全性確保などについて議論する見通しだ。
また、旧ソ連を構成した独立国家共同体(CIS)の首脳もウクライナを訪れる予定。
事故はチェルノブイリ原発4号機での実験中に発生。
安定化に向けた努力は今も続けられ、現場から半径30キロ圏内は一般の立ち入りが禁止されている。
国連機関は放射能による死者は将来も含めて4千人と推計している。
過去に4000人余の人類が放射能の被爆で亡くなっている事実。
国家は、絶対事実の公開は世界に公開しないであろう。
その原点は、既得権益等を守りたい一心である。
権力者の特権として捉えられるがそれは大きな間違いである。
ルーマーニア・チェシスカ大統領様に、秘密警察を雇うと結果は、即・死刑の運命も存在しいる。
■生々しい機密文書
1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故以前にソ連の同型原発で100件を超す事故が起きていたにもかかわらず電力供給が優先され、安全点検が置き去りにされていた実態が、旧ソ連機密文書で明らかになった。
チェルノブイリ原発ではすでに82年に類似事故が起きていたが、電力エネルギー省は「同型の原発が危険なことは知っていたが、文書には残さなかった」と重大事故の前兆を隠していた。(肩書はいずれも当時)
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ストロイロフ氏によると、チェルノブイリ事故関連では事故2日後の4月28日から7月3日にかけての7日分が残されている。
7月3日に開かれた政治局会議では、原子力を監督する中型機械製作省、電力エネルギー省、クルチャトフ研究所幹部らを呼びつけてゴルバチョフ氏や政治局員が問いつめる様子が生々しく記録されている。
■検証より電力供給
冒頭、ゴルバチョフ氏が「チェルノブイリと同じ黒鉛減速軽水冷却沸騰水型で104件の事故が起きているが一切、検証されてこなかった」と切り出すと、電力エネルギー省幹部は「安全装置が1つしかなく、だれもが構造に欠陥があると思っていた」と述べ、同型のレニングラード(現サンクトペテルブルク)、スモレンスク、クルスクの3原発の閉鎖を進言した。
泣かされるのは、いつの時代も国民である。
政治局員の1人が「安全でないと知っていたのか」と詰問すると、この幹部は「科学アカデミーと中型機械製作省から2000年までに原子力の発電量をコンスタントに増やすよう求められていた」と弁解した。
電力エネルギー相は「1975年にレニングラード原発で類似事故があり、82年にはチェルノブイリ原発で放射能漏れには至らなかったが、同様の事故がすでに起きていた」と報告。
その上で「国際原子力機関(IAEA)への虚偽報告を続けるべきか」と指導部の指示を仰いでいる。
■戦争に匹敵する事故
グロムイコ最高会議幹部会議長は「今回の事故は住民にとって中規模戦争に匹敵する」と危機感を示し、ゴルバチョフ氏は「私たちは30年間、専門家や大臣から原発は安全だと聞かされてきた。
しかし、原発はごますりとへつらい、セクト主義と批判者への迫害に取り囲まれていた」と憤り、同型の原発がある東欧への情報公開を指示していた。
ゴルバチョフ氏は10月、同型の原発15基の廃止を発表したが、レニングラード、スモレンスク、クルスクの3原発は改良され、現在も運転されている。
(ロンドン 木村正人/SANKEI EX PRESS)
◇
■チェルノブイリ原発事故 旧ソ連ウクライナ共和国のチェルノブイリ原発4号機で事故が起きたのは、1986年4月26日午前1時23分。
実験中に出力が急上昇して暴走、原子炉と建屋が爆発して火災が起き、放射性ヨウ素131やセシウム137、ストロンチウム90など大量の核分裂生成物が欧州などに飛散した。
消火作業などに当たった31人が死亡、約200人が急性放射線障害で入院した。
ソ連は27日以降、半径30キロ圏内の住民13万5000人を避難させたが、ゴルバチョフ政権が国際的に事故発生を認めたのは28日だった。
7カ月後、4号機をコンクリートで覆う「石棺」が完成したが、老朽化で内部の放射性物質の漏出が続いている。
歴史は正しい事を証明している。
東京電力の福島原発事故は、地震・津波の影響はあるが、「予期しない」との言い訳は認めない。
これは、人災である。 東京電力は全てを吐き出「資産処理」して刑事・民事罰を受ける。
国民は電力の利用を最小限にとどめ新たなエネルギーに取り組む段取りを行動に移す時期と考慮する。
サハリンマン