Ⅴ
さて、そうなると、全国に四十数点つくった観測点は片端からつぶされ、定職をなげうって各地からはせ参じた同志たちも失職、今や、我々は残党になってしまった。
失職した一人は、故郷へ帰って、市会議員となり、それでも研究にも力を注いで最近学位を取得した。そういう市会議員は世界にもそうざらにはいまい。
宇宙開発事業団でのプロジェクトも我々と同じ運命をたどり、二〇〇二年以後は「お国」の予算は文字どおりゼロである。
一般に研究者は科学研究費に応募して審査を通れば、研究資金を受けられるのだが、現在、文部科学省の募集項目には「地震災害・予測」というやや紛らわしい細目があるのみで、明示的に「地震予知」としたものはない。
これは「地震予知」の研究をしたいという応募意欲を著しく削ぐもので、事実、予知研究の応募は審査を通らないというのが常識となってしまった。
今年は一〇年に一度の細目見直しにあたって、「地震予知」を入れようという提言を受けた地震学会の代議員会では猛反対発言が圧倒的だった。
「一旦排除されたのだから、今さら昔に戻すな」「科研費は、科学研究のためのものであり、予知なぞという学問にならないものにはそぐわない」「地震予知は特別の予算で潤っているのだから、科研費に何故出す必要があるのか」等々。何をかいわんやである。
しかし、我々は研究を放棄してはいない。
いないどころか、乏しい研究費で、活発な国際共同研究や国際会議もやっている。
事実、地球物理学の最大国際組織(IUGG)には二〇〇一年「地震・火山の電磁気研究:EMSEV」なる作業委員会が設立され、筆者はその初代委員長を務めたが、現在も、東海大学の長尾年恭教授が、その事務局長をやっている。
地震電磁気学的手法についても問題がないわけではない。問題は山積である。だからこそ研究が必要、それも「基礎研究」が必要なのである。
最後にちょっと面白いと思うことを一つ。電磁気的前兆現象が地震を起こすとは考えられないが、人工的に強力な電流を地下に打ち込むと地震が誘発されるらしいのだ。
ロシア人たちが、かつてソ連領だったキルギスの天山山脈で二・八キロアンペアもの電流を地下に流し込む実験をしたところ、翌々日くらいから地震が増え、数日のうちに収まるという現象が観察されたのである。
流した電流のエネルギーの一〇〇万倍ものエネルギーの地震が起きた。
だから電流は地震の原因そのものではなくて、電流が刺激して地震が誘発されたという結論になった。
そうなると、わが国でも東京大地震とか東海大地震の前に、ナマズを手なずける方法がないかと期待できることになるかもしれない。
予知は実験ができないが、制御なら実験可能だ。実験物理学者たちが、実験に乗り出すかもしれないし、もしかすると、予知より制御のほうが早いかもしれない。
しかし、怖いのは大地震を誘発させてしまったらどうなるか? それこそ、基礎研究が大事なところであろう。
近く、我々はキルギスとの共同研究を進めるために、また現地を訪れる。
今度は違うぞ
「地震短期予知」は容易ではないが、不老不死の薬や永久機関とは違い、普通の意味の科学的作業であり、成功は確実に射程内にある。
しかし、これには今の研究不在体制を脱却するイノベーションが絶対必要である。我々は地震観測をするなと言っているのではない。
短期予知の主役は地震観測ではないことを認識して、人員と予算の一%でも「短期予知」に投じてはと言っているのだ。
地震予知の歴史が楽観論と悲観論の繰り返しだということは興味深い事実だが、我々の射程に入ってきた短期予知可能論は、今までの楽観論回帰とは本質的に違う。
今までの楽観論は地震学の枠内での話だ。
地震学では本来短期予知はできないので悲観論が主流なのは当然なのだ。
たまたまできたりすると楽観論というわけだが、長続きはしない。
大成功とされた海城地震にしても多くの宏観異常に支えられ、直前の前震活動に助けられたのだが、前震のなかった唐山地震では失敗した。
そもそも、地震学だけで予知できた地震は一つもないのだ。
ところが我々の今度の経験はやや話が違う。
本当に短期前兆を科学的にとらえた勢力が登場したからである。
事実、既に沢山の地震を予知しているのだ。「君たちの悲観論は正しいが、我々にはできるのだよ」なのだ。
だがわが国の地震予知計画はやはり抜本的な意識変革を要する。
地震学が固体地球物理学の王座にあるのに対し、地震予知学はやっと芽生えたばかりの新しい学際科学だからである。
地震学と地震予知学は「違う学問」であることを認識することから出発し、学際的な短期予知のための教育・研究に集中する必要があるのだ。
地震電磁気でも、複数周波数観測システムを全国展開する段階では、数十億単位の資金を要するだろうが、今はまだ研究段階なのでその必要はない。
研究費は一桁以上少なくともいい。しかも、我々グループの現状からは一〇億円の単年度研究費よりも一億円を一〇年の方が望ましい。
我々にとっては学問的には短期予知は射程内にあるのだが、これを進めるために必要な研究をする人材がいない。
人材はいても、従来のシステムでは、短期予知をめざす研究者にはポストが全くない。
これが今、最大の問題点である。これを解決する突破口は、まず一つ二つの大学にしかるべき人員構成の地震予知学部門を創設することだろう。
幸いまだその人員を埋めるくらいの優秀な失業研究者はいる。そこでの研究・教育は次代の実用的予知実現のための人材を生むだろう。悠長な話に聞こえるかもしれないが、研究の源は人であり、それを生むのは教育。しかも、教育は意外と早く人材を育てるのである。
爆発的な人口増加・経済発展の期待されるアジア・中東・中南米諸地域には大地震が多いのだから、「短期地震予知」はこれらの地域の住民にも大きな安心・安全をもたらすに違いない。
それはわが国がなすべき、かつなしうる最大級の国際貢献であろう。
(了)写真 講演 上田先生
五回に渡った上田先生の文献を公開いたしました。
全文は 中央公論 4月号 に掲載されております。
さて、そうなると、全国に四十数点つくった観測点は片端からつぶされ、定職をなげうって各地からはせ参じた同志たちも失職、今や、我々は残党になってしまった。
失職した一人は、故郷へ帰って、市会議員となり、それでも研究にも力を注いで最近学位を取得した。そういう市会議員は世界にもそうざらにはいまい。
宇宙開発事業団でのプロジェクトも我々と同じ運命をたどり、二〇〇二年以後は「お国」の予算は文字どおりゼロである。
一般に研究者は科学研究費に応募して審査を通れば、研究資金を受けられるのだが、現在、文部科学省の募集項目には「地震災害・予測」というやや紛らわしい細目があるのみで、明示的に「地震予知」としたものはない。
これは「地震予知」の研究をしたいという応募意欲を著しく削ぐもので、事実、予知研究の応募は審査を通らないというのが常識となってしまった。
今年は一〇年に一度の細目見直しにあたって、「地震予知」を入れようという提言を受けた地震学会の代議員会では猛反対発言が圧倒的だった。
「一旦排除されたのだから、今さら昔に戻すな」「科研費は、科学研究のためのものであり、予知なぞという学問にならないものにはそぐわない」「地震予知は特別の予算で潤っているのだから、科研費に何故出す必要があるのか」等々。何をかいわんやである。
しかし、我々は研究を放棄してはいない。
いないどころか、乏しい研究費で、活発な国際共同研究や国際会議もやっている。
事実、地球物理学の最大国際組織(IUGG)には二〇〇一年「地震・火山の電磁気研究:EMSEV」なる作業委員会が設立され、筆者はその初代委員長を務めたが、現在も、東海大学の長尾年恭教授が、その事務局長をやっている。
地震電磁気学的手法についても問題がないわけではない。問題は山積である。だからこそ研究が必要、それも「基礎研究」が必要なのである。
最後にちょっと面白いと思うことを一つ。電磁気的前兆現象が地震を起こすとは考えられないが、人工的に強力な電流を地下に打ち込むと地震が誘発されるらしいのだ。
ロシア人たちが、かつてソ連領だったキルギスの天山山脈で二・八キロアンペアもの電流を地下に流し込む実験をしたところ、翌々日くらいから地震が増え、数日のうちに収まるという現象が観察されたのである。
流した電流のエネルギーの一〇〇万倍ものエネルギーの地震が起きた。
だから電流は地震の原因そのものではなくて、電流が刺激して地震が誘発されたという結論になった。
そうなると、わが国でも東京大地震とか東海大地震の前に、ナマズを手なずける方法がないかと期待できることになるかもしれない。
予知は実験ができないが、制御なら実験可能だ。実験物理学者たちが、実験に乗り出すかもしれないし、もしかすると、予知より制御のほうが早いかもしれない。
しかし、怖いのは大地震を誘発させてしまったらどうなるか? それこそ、基礎研究が大事なところであろう。
近く、我々はキルギスとの共同研究を進めるために、また現地を訪れる。
今度は違うぞ
「地震短期予知」は容易ではないが、不老不死の薬や永久機関とは違い、普通の意味の科学的作業であり、成功は確実に射程内にある。
しかし、これには今の研究不在体制を脱却するイノベーションが絶対必要である。我々は地震観測をするなと言っているのではない。
短期予知の主役は地震観測ではないことを認識して、人員と予算の一%でも「短期予知」に投じてはと言っているのだ。
地震予知の歴史が楽観論と悲観論の繰り返しだということは興味深い事実だが、我々の射程に入ってきた短期予知可能論は、今までの楽観論回帰とは本質的に違う。
今までの楽観論は地震学の枠内での話だ。
地震学では本来短期予知はできないので悲観論が主流なのは当然なのだ。
たまたまできたりすると楽観論というわけだが、長続きはしない。
大成功とされた海城地震にしても多くの宏観異常に支えられ、直前の前震活動に助けられたのだが、前震のなかった唐山地震では失敗した。
そもそも、地震学だけで予知できた地震は一つもないのだ。
ところが我々の今度の経験はやや話が違う。
本当に短期前兆を科学的にとらえた勢力が登場したからである。
事実、既に沢山の地震を予知しているのだ。「君たちの悲観論は正しいが、我々にはできるのだよ」なのだ。
だがわが国の地震予知計画はやはり抜本的な意識変革を要する。
地震学が固体地球物理学の王座にあるのに対し、地震予知学はやっと芽生えたばかりの新しい学際科学だからである。
地震学と地震予知学は「違う学問」であることを認識することから出発し、学際的な短期予知のための教育・研究に集中する必要があるのだ。
地震電磁気でも、複数周波数観測システムを全国展開する段階では、数十億単位の資金を要するだろうが、今はまだ研究段階なのでその必要はない。
研究費は一桁以上少なくともいい。しかも、我々グループの現状からは一〇億円の単年度研究費よりも一億円を一〇年の方が望ましい。
我々にとっては学問的には短期予知は射程内にあるのだが、これを進めるために必要な研究をする人材がいない。
人材はいても、従来のシステムでは、短期予知をめざす研究者にはポストが全くない。
これが今、最大の問題点である。これを解決する突破口は、まず一つ二つの大学にしかるべき人員構成の地震予知学部門を創設することだろう。
幸いまだその人員を埋めるくらいの優秀な失業研究者はいる。そこでの研究・教育は次代の実用的予知実現のための人材を生むだろう。悠長な話に聞こえるかもしれないが、研究の源は人であり、それを生むのは教育。しかも、教育は意外と早く人材を育てるのである。
爆発的な人口増加・経済発展の期待されるアジア・中東・中南米諸地域には大地震が多いのだから、「短期地震予知」はこれらの地域の住民にも大きな安心・安全をもたらすに違いない。
それはわが国がなすべき、かつなしうる最大級の国際貢献であろう。
(了)写真 講演 上田先生
五回に渡った上田先生の文献を公開いたしました。
全文は 中央公論 4月号 に掲載されております。