安田純平
拘束期間、過去40年で最長に
ジャーナリストの安田純平さん(44)がシリアで消息を絶ってから3年が経った。「助けて下さい これが最後のチャンスです」と日本語で書かれた紙を掲げた安田さん(とみられる男性)の画像がネットに公開されたのは2016年5月。それ以降、安否に関する新たな情報はない(この記事公開後の新たな動きについては「安田純平さんが現れた」参照)。
邦人の誘拐・拘束期間としては、2001年にコロンビアで人質となった矢崎総業現地副社長の2年9ヶ月を超え、過去40年で最長となった(北朝鮮による拉致被害者は除く)。
安田さんは無事なのか。いまどこに囚われているのか。日本政府は救出に全力を尽くしているのか。
有力な情報がなく、表面上の動きがまったく途絶えるなか、友人や知人たち(私も含めて)の焦りと無力感が募っている。
なによりもやるせないのは、彼がシリアにまで出掛けていったことの意味も、拘束の事実すらも、世の中から忘れられつつあるのではないか、ということだ。
日本政府「救出」に動く気配なし
やすだじゅんぺい
安田純平 | |
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2016年5月30日ごろに公開された画像
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生誕 | 1974年3月16日(44歳) |
失踪 | 2015年6月21日(41歳) シリア イドリブ県 |
現況 | シリア解放機構に拘束中 |
出身校 | 一橋大学社会学部卒業 |
職業 | フリージャーナリスト |
活動期間 | 2003年1月- |
活動拠点 | 中東及び北部アフリカ |
配偶者 | Myu |
受賞 | 山本美香記念国際ジャーナリスト賞 |
公式サイト | http://jumpei.net/ |
安田純平(やすだ じゅんぺい、1974年3月16日 - )は、日本のフリージャーナリスト。2015年6月にシリアで失踪。2018年韓国籍とビデオメッセージで発言。
目次
人物
埼玉県入間市出身[1]。埼玉県立川越高等学校[2](44回卒[3])、一橋大学社会学部[4]卒業。1997年信濃毎日新聞入社、松本本社配属[1]。
2002年3月、休暇をとりアフガニスタン取材、同年4月、文化部に異動、同年12月に休暇をとりイラク取材、2003年1月に信濃毎日新聞社を退社、フリーに[1]。同年2月からイラクに滞在しナジャフ県、バグダード、サマーワなどを取材。イラク戦争中に当時のイラク政府が行った人間の盾作戦に他のジャーナリスト等と共に自ら参加したが、米軍の攻撃を抑止する効果が無かった為、招待客待遇も中止になりイラク軍に拘束され解放され、その後もイラク軍やイラク警察に数度拘束される。2004年4月、先に拘束されていた日本人3人の人質(イラク日本人人質事件)の消息を摑むためファルージャに向かう途中[5]、武装勢力に渡辺修孝とともに拘束されたが、ほどなく解放[6]。解放後に外国人特派員協会で会見を行った[7][8]。
2005年1月、スマトラ島沖地震で被災したアチェ州を取材[1]。同年、ヨルダン、シリア、イラクを取材。内戦状態で取材が困難となったイラクに入国して取材するため、2007年、基地建設現場や民間軍事会社事務所などイラク軍関連施設で料理人として働きながら取材をし、『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』を記す。2012年にはシリア内戦を取材[8]。2009年にヒーリングシンガーのMyuと結婚。少林寺拳法二段[1]。
2015年6月、シリア人ブローカーと共にトルコ南部からシリア北西部のイドリブ県に密入国後、21日のツイートを最後に行方不明となる。アル=ヌスラ戦線により拘束されたともされるが、犯人は明確ではない[9]。2015年7月10日、外務大臣会見にてシリアで拘束の疑い事案としてフジテレビ、テレビ東京の記者より質問があった。当時外務大臣の岸田文雄は「少なくとも今現在邦人が拘束されたという情報には接してはおりません。」と回答している[10]。
2015年12月22日、国境なき記者団が「シリアの武装勢力に拘束されており、早期解決を望んでいる」という内容の声明を出した[11]。しかし28日、国境なき記者団は、「確認が不十分だった」として、声明を撤回している[12]。
2016年3月16日、拘束されているようにも見える安田と見られる男性の映像が発見された[13]。拘束していると主張している団体はISILと対立している武装勢力と見られている。
2016年5月29日、「助けてください これが最後のチャンスです 安田純平」と書かれた紙を持った安田とみられる新たな画像が公開された[9]。
2016年6月6日、政治活動団体「憲法9条を壊すな!実行委員会」が国会前にて政府に対し、直ちに平和的解決に向けた努力をする事、人質の命を危険にさらすような軽率な言動を慎む事、身代金に関して対応する事等を求める集会を開いた[14]。
2016年6月29日、安田の解放交渉の仲介役を名乗ってきたシリア人男性が、交渉から撤退することを表明した[15]。
2017年1月27日発売の婦人公論にて、妻であるMyuの独占インタビュー、「夫・安田純平が無事、帰国するまで絶対に涙は流しません」が掲載された。
2017年4月16日、「危険地報道を考えるジャーナリストの会」が都内で集会を開き、政府に救出活動を行うよう訴えた [16]。
2017年5月山本美香記念国際ジャーナリスト賞特別賞受賞[17]。
2018年7月6日、日本ニュースネットワークが独自に入手した映像について報道[18]。映像中では撮影された日付については「2017年の10月17日だ」と安田本人によって語られている。また安田を拘束している組織は「アルカイダから離脱した武装勢力「シリア解放機構」である」と同局は報じている。
2018年7月31日、新たな映像がインターネット上で公開された。[1] 。映像は約20秒。安田本人とみられる男性は「私の名前はウマルです。韓国人です」と述べた上で「とてもひどい環境にいます。今すぐ助けてください」と訴えている。 映像は、インターネット上に公開されているが、真偽は不明。
ジャーナリストとして
2015年2月8日には、外務省に旅券を返納させられた男性に対し、自身の外務省や警察から度重なる退避勧告を受けた経験則を元に「俺は出発前も滞在中もどこへ行くか、どこにいるかは帰国するか安全な場所まで出るまで公開しない。ネットで流れたら変な連中に知られて邪魔されたり危険なことになったりしかねないから。信頼できる人限定で取材過程を知らせるのは逆に安全対策になるけど、クローズドでやらんと。」とコメントしている[19]。
2015年4月3日には「戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで行かせないようにする日本政府を「自己責任なのだから口や手を出すな」と徹底批判しないといかん。」としている[20]。
2015年6月19日には「シリアのコバニには欧米からもアジアからも記者が入っていて、フェミニストの若い女性やら学生メディアやってる大学生やらまで集まっている。経験ある記者がコバニ行っただけで警察が家にまで電話かけ、ガジアンテプからまで即刻退避しろと言ってくる日本は世界でもまれにみるチキン国家。」と日本政府を批判している[21]。
2015年6月20日には「 トルコでも爆破事件があったし、コバニなんてあのあたりではかなり安全といえるんでないか。 いまだに危ない危ない言って取材妨害しようなんて恥曝しもいいところだが、 現場取材を排除しつつ国民をビビらせたうえで行使するのが集団的自衛権だろうからな。」としている[22]。
2015年6月20日には「現場を否定するということは個々の人間の存在を否定するに等しいと思う。せっせと取材の邪魔をする安倍政権とかその支持者。」と退去要請に憤慨している[23]。
しかし、2015年6月21日の「これまでの取材では場所は伏せつつ現場からブログやツイッターで現状を書いていたが、取材への妨害が本当に洒落にならないレベルになってきているので、今後は難しいかなと思っている。期間限定の会員制で取材経過までほぼリアルタイムで現場報告することも考えてたが、危険すぎてやっぱり無理そう。」の以後に消息不明となったため最後のツイートになっている[24]。
著作
- 『囚われのイラク:混迷の「戦後復興」』 現代人文社、2004年 ISBN 4877982124
- 『誰が私を「人質」にしたのか―イラク戦争の現場とメディアの虚構』 PHP研究所、2004年 ISBN 4569640176
- 『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』 集英社新書、2010年 ISBN 4087205363