新宿から郡山まで昼行バス。
郡山でレンタカーを借りて相馬方面に移動。霊山の麓のPAで就寝。ここいらは線量が高いのでどうもいい気持ちがするもんでもない。車のシートが平らにならないのでどうも寝にくい。
115号から6号に入りしばし北上。新地町に入る。相馬市の6号バイパスが終わったあたりの海岸側から田んぼにゴミが散乱しているのが見えてくる。海沿いの釣師町を中心にして撮影。流された家などの取り壊しはかなり進んできている。片付けの進行度合いは自治体によって差があるように見える。
新地駅でも撮影するが、しばしば見物の人が訪れる。常磐線より海側では未だ潮が引いていない田んぼもあり、潮が引いた田んぼには塩が吹き出していた。流された車両は撤去され、大きく流されたレールも一部撤去っされていた。
駅にはどっかのテレビ局もいた片付けボランティアも沢山来ていて、比較的被害が少なかった店では営業を再開している店もあった。少し内陸に行くとコンビニもスーパーもホームセンターも営業中。
新地町から少し南下して相馬市へ。松川浦の近所の被害がひどい。太平洋と松川浦に挟まれた半島様の尾浜地区はかなりひどい。家の取り壊しはかなり済んでいた。残った土台の上に再建する家もあるようだ。ここに来てみてずーっと前に魚を食べに来ていたことを思い出した。以前行った観光市場は津波に呑まれていた。
湾の中には引き波の時にさらわれた家や車や船が点々としている。
海沿いの田んぼだった岩子や新田は木が累々と横たわり、ほとんど海になってしまっている。排水ポンプ場が壊れているのと、堤防の復旧がまだなので、排水はまだ先になりそうとのこと。多分江戸期かもっと前に新田開発で海を埋め立てた場所だと思うが、また海に戻ってしまった。人の営みと自然の営み。
被災地報告 ご苦労さまです。
稲宮氏は、連休中に写真撮影で韓国を訪問していました。
撮影中に「カメラ・レンズ・旅券」が入っていたバックが盗難にありました。
現地で警察に被害届けを出すにも大変な努力があったとの事です。
「盗難品は現在も不明」それでも、現地の食堂経営夫婦が通訳をしてくれたりと応援してくれた事に感謝しています。
サハリンマン