俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

西洋モデル

2007-11-14 21:05:42 | Weblog
 日本の教育は常に西洋に追いつくことを目標として来た。明治政府は「西洋のような近代的な国家になること」を目標とし、戦後は「アメリカのような民主的な国になること」を目標とした。西洋に追いつくことが目標であり、追い抜くことは想定されていない。追いついた時点で目標は必然的に見失われる。目標を失くした時点では新たな目標が設定されねばならないが今のところその兆しは見られない。
 キリスト教抜きの西洋文明を模倣すればどうなるか。倫理的には低く、先進国の文明を模倣するだけの技術優先の教育になる。創造性が乏しくなったのは当然だろう。もし日本に創造性を期待するなら新たな目標が設定されねばならない。

代行

2007-11-14 21:05:22 | Weblog
 民主党の菅直人氏の肩書きは「代表代行」だ。私はもっと大胆な肩書きを名乗ったことがある。取引先を訪問した際に「社長の代行代理補佐予備候補見習いとして伺いました」と挨拶した。先方は大笑いしてあとの商談もスムーズに進んだ。相手が石頭でないと分かっているならビジネス上でのこんなジョークも許されるだろう。

シティバンク

2007-11-14 21:05:06 | Weblog
 シティバンクのCEO(最高経営責任者)がサブプライムローンなどでの損失の責任を取って退任するらしい。
 私はシティバンクをメインバンクとしている。外貨預金だけではない。普通預金も便利だからだ。シティバンクの普通預金は世界中の支店で現地通貨で引き出せる。このレートが非常に良い。例えば先月末にフィリピンに旅行したが両替商でのレートが1ペソ約3円に対してシティバンクの普通預金で引き出せば1ペソ約2.7円だった。レートが1割ほど良かった。
 海外旅行をする時には非常時も考慮して必要以上に現金を持ち出し勝ちだ。現金を必要以上に持ち出さなくて済むしレートが現地より良いのだから海外旅行をする人には文句無しにお勧めできる。

親の教育

2007-11-14 21:04:55 | Weblog
 「成績が悪い」とか「もっと勉強しろ」と怒る親は多い。しかし「嘘をついた」とか「行儀が悪い」と本気で怒る親は少なくなってしまった。
 子供は親に迎合する。無力な子供は親に嫌われたら逃げ場が無くなるので親の喜ぶことを進んで行う。親が知育偏重で徳育を怠ったならその子供が道徳性を欠くのは当然だ。子供の徳育のためには親の教育からやり直す必要がある。

脳の悪い癖

2007-11-14 21:04:35 | Weblog
 脳は意外と単純作業が好きらしい。足し算などの作業をすると脳が活発に働くようで脳トレと称して脳の老化予防策としても使われている。足し算などの単純作業を脳は飽きずに続けるが、困ったことにその間は思考することは疎かになる。まるで「ワシはこんなに働いているのだ。邪魔するな。」と主張しているかのようだ。
 職場でも似たことが起こる。十年一日の如く全く同じ作業しかしない従業員に「少しは改善したらどうか」と注意すると「こんなに一所懸命働いているじゃないか」と反発されかねない。作業をすればそれで充分な筈だと彼らは考える。脳の特性がこう言わせるのなら、「仕事」をさせるためにはまず「作業」を減らすことが必要なのかも知れない。

解決方法

2007-11-14 21:04:25 | Weblog
 将棋の羽生善治永世棋聖は「初めに着想があり読みでそれを裏付ける」そうだ。これと全く逆なのがコンピュータで総ての手を検討した上で最善手を選ぶらしい。コンピュータらしいと言えばそれまでだが何とも無駄な手法で人間なら時間が幾らあっても足りなくなる。
 機械が故障した場合、熟練した技術者なら故障の具合を見て可能性の高い箇所から順に点検するだろう。素人は試行錯誤を繰り返して散々無駄なことを試みてからやっと修理箇所を見つける。
 ヤブ医者は様々な病気の可能性を考慮して様々な手を打って、そのあげく却って症状を悪化させてしまう。熟練した医師なら最も可能性の高い病気を想定して早期に治療するだろう。
 今コンピュータ世代が増えている。コンピュータを使った分析は正確だが効率が悪いことがある。それは的を絞らずに総てを点検するからだ。デスクワークならそれでも良い。しかしこの世代が管理職になると困ったことが起こる。やたら作業が増えることだ。
 人間ドックに入れて総点検することが悪いとは誰も言えない。それは確かに正論だ。しかし総点検ばかりしていたら金も時間も掛かり過ぎる。
 問題の本質を見抜くプロの目があれば総点検に頼らなくても早期に問題解決ができる。これは決して手抜きではない。

パズルとクイズ

2007-11-14 21:04:16 | Weblog
 余り区別をする人はいないが私はパズルとクイズを次のように区別して使っている。「パズルは知恵の遊び、クイズは知識の遊び」
 例えば「叱られないと勉強しない」の対偶は何かというのはパズルで、曙の体重は約何キロかというのはクイズだ。
 パズルは知恵の遊びとしてかなり高尚なもので、学校では全く教えられていないにも関わらず公務員の採用試験にも使われることがある。但しこの定義に従うならクロスワードパズルはクイズの要素が強過ぎるようだ。知識偏重の日本人が作るとパズルもクイズになってしまうということだろうか。

進路の選択

2007-11-14 21:03:45 | Weblog
 18歳で進路を決められるものだろうか。高校を卒業する時点で就職か進学かを決め、進学なら学部まで決めねばならない。
 多くの高校生は数学と理科が得意なら理科系、苦手なら文科系を選んでいるのではないだろうか。高校の理科系での学力と大学での適性は必ずしも一致しないし、学問そのものが高校生の期待に背くことが多い。例えば大学の心理学は実験心理学が中心で「心」について学ぼうと思って専攻した人の期待を大きく裏切ることになる。
 一旦レールに乗ったらそのレールから外れることは難しい。時間的にも金銭的にも無駄が生じるし、せっかく築いた人間関係もフイにすることになる。そのため多くの学生はそのまま卒業まで居付くことを選ぶ。
 ICU(国際基督教大学)のように入学後に文系・理系を問わずに進路を選べる大学がもっと増えれば大学生生活がもっと充実すると思うのだが。

新興宗教

2007-11-14 21:03:35 | Weblog
 日本ほど新興宗教が勢力を伸ばし易い地域は他に無かろう。他の地域では誰もがある程度の宗教的知識を持っている。そのため新興宗教が新しい信者を獲得するためには今の宗教から改宗させねばならない。これは大変難しいことだ。人間は誰でも現在自分が持っているものを過大評価する傾向があるから現在信じている宗教を否定することは至難の技だ。下手に他教の教えを批判すれば喧嘩になってしまう。
 日本は全然違う。宗教的無知と空虚感が蔓延している。入り込む余地があるどころではない、巨大な市場が手付かずで存在しているのだ。無知な魚の群れのようなものだ。新興宗教が網を投げれば幾らでも信者を獲得できる。
 怪しげな新興宗教が幾らでも繁殖できるというのだからこれ極めて危険な状態だ。オウム真理教など氷山の一角に過ぎない。世間には危険な新興宗教が雨後の筍のように現れる。早急に宗教教育を実施して免疫を作らないと危険な状態だ。(「宗教教育」参照)

意識

2007-11-14 21:03:26 | Weblog
 子供の頃、私は自分が木になった姿を想像して恐怖を感じた。獣が私の枝を折ったり人間が私を切り取るのが分かっていても何も抵抗できない。逃げ出すことさえできずただ只管我慢することを強いられていることに絶望を感じた。
 多分、絵本で木が話しているのを見て勝手に想像したのだろう。絵本の大木は長生きで得た知恵を人間や獣に優しく話し掛ける。その延長として攻撃される木を想像したのだろう。
 実際には木には意識は無い。痛みを感じることも無い。動けない植物が痛みを感じても対応できないのだから、そんな無駄な能力が進化の過程で獲得されることはあり得ない。
 進化の過程ではこんなことは起こらないが事故でなら起こり得る。事故で脳に重い障害を負った人が植物人間になってしまうことがある。しかし多くの場合は意識を喪失しているので本人は平気だろう。周囲の人は大変だが。
 大学生の時に「ジョニーは戦場へ行った」という映画を見た。主人公のジョニーは爆弾で両手・両足・顔面を失いながら奇跡的に一命を取り留めた。医師は意識が無いと思っていたがジョニーは体を揺すってモールス信号で意思表示をした。「SOS、助けて」と。その後意思表示は「SOS、殺して」に変わった。
 映画ではジョニーの痛みについては全く触れられていなかったと思うが多分全身に激痛を感じていただろう。何しろ四肢と顔面を失くしたにも関わらず意識の無い者として不充分な治療しかされなかったと思われるから。
 気の滅入るような話だが、今後の終末医療においては現実的な話になる。意識だけで植物のように生きるよりは死を選びたい。