資源は有限だから奪い合いになる。それが貴重なほど激しい奪い合いが起こる。19世紀のアメリカのある農場で砂金が見つかった。農場主はこのことを秘密にしようとしたがどこからか情報が漏れて瞬く間にこの農場は大勢のゴールドハンターによって不法占拠され勝手に町が作られた。この不法占拠によって生まれた町が現在のサン・フランシスコだ。
漁業は早い者勝ちだ。逸早く魚群を見つけて一網打尽にしてしまえば獲物を独り占めできる。だから多くの漁船は多少燃費が悪くても強力なエンジンを搭載しているそうだ。近海の魚を獲り尽くしても魚は沖から湧いて来る。沢山獲らなければ損だ。こんな分捕り合戦を続けているからスケトウダラやマグロなどの水産資源が枯渇するのは当然だ。ウナギの稚魚の捕獲制限が日中韓台で合意されたがどの程度守られることやら。自分が獲らなければ他人が獲るのだから少しでも多く獲ろうとする。この心理は砂金を漁るゴールドハンターと同じだ。
狩猟採集民は決して協調的ではなかっただろう。獲物は少なく獲った者勝ちなのだから家族以外の他者は競争相手でしかない。できればいなくなって欲しい邪魔者だ。ゼロ・サムの社会であれば、誰かが多く取れば他の人の取り分は減る。つまり他者の取り分を減らせば自分の取り分が増えるということだ。
人が協調的になったのは農業を始めてからではないだろうか。農業によって資源が定量ではなくなった。定量の資源を分け合えばゼロ・サムにしかならないが、増やすことができる不定量であればゼロ・サム状態ではなくなる。協力すれば食料が増やせるということになれば敵対するよりも協力したほうが有利だ。
勿論、一足飛びで高度な農業が可能になる筈が無い。その過渡期のモデルになるのが青森県の三内丸山遺跡だろう。未だ全貌が解明されてはいないが、縄文時代から既に大規模な集落があり栗などが栽培されていた。
資源が有限だから争いが起こる。農業のように協力すれば資源が増えるのであれば争いは起こりにくくなる。現在、各国が通貨流通量を増やすことによって経済を拡大させているがこれはバブルに過ぎない。エネルギーなどの新しい資源が見出されない限り実体経済は拡大しない。日本の高度経済成長期のように全体の資産が増える状態の時、ゼロ・サムの奪い合いを超えた協調的な繁栄が生まれ得る。企業や国が成長するなら、奪い合うよりも、成長のために協力したほうがそれぞれの取り分が増える。
漁業は早い者勝ちだ。逸早く魚群を見つけて一網打尽にしてしまえば獲物を独り占めできる。だから多くの漁船は多少燃費が悪くても強力なエンジンを搭載しているそうだ。近海の魚を獲り尽くしても魚は沖から湧いて来る。沢山獲らなければ損だ。こんな分捕り合戦を続けているからスケトウダラやマグロなどの水産資源が枯渇するのは当然だ。ウナギの稚魚の捕獲制限が日中韓台で合意されたがどの程度守られることやら。自分が獲らなければ他人が獲るのだから少しでも多く獲ろうとする。この心理は砂金を漁るゴールドハンターと同じだ。
狩猟採集民は決して協調的ではなかっただろう。獲物は少なく獲った者勝ちなのだから家族以外の他者は競争相手でしかない。できればいなくなって欲しい邪魔者だ。ゼロ・サムの社会であれば、誰かが多く取れば他の人の取り分は減る。つまり他者の取り分を減らせば自分の取り分が増えるということだ。
人が協調的になったのは農業を始めてからではないだろうか。農業によって資源が定量ではなくなった。定量の資源を分け合えばゼロ・サムにしかならないが、増やすことができる不定量であればゼロ・サム状態ではなくなる。協力すれば食料が増やせるということになれば敵対するよりも協力したほうが有利だ。
勿論、一足飛びで高度な農業が可能になる筈が無い。その過渡期のモデルになるのが青森県の三内丸山遺跡だろう。未だ全貌が解明されてはいないが、縄文時代から既に大規模な集落があり栗などが栽培されていた。
資源が有限だから争いが起こる。農業のように協力すれば資源が増えるのであれば争いは起こりにくくなる。現在、各国が通貨流通量を増やすことによって経済を拡大させているがこれはバブルに過ぎない。エネルギーなどの新しい資源が見出されない限り実体経済は拡大しない。日本の高度経済成長期のように全体の資産が増える状態の時、ゼロ・サムの奪い合いを超えた協調的な繁栄が生まれ得る。企業や国が成長するなら、奪い合うよりも、成長のために協力したほうがそれぞれの取り分が増える。
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