平日の午前中の屋外プールは比較的快適に泳げる。お互いがマナーを守っているからだ。しかし午後や土日は無法地帯となる。なぜか?「集団」が来るからだ。
集団はマナーを守らない。自分達のルールに適っていれば良いと考える。彼らの基準では「正しい我々と邪悪な他人」となっているようだ。
集団は仲間であれ家族であれ、自分達には楽しむ権利がありそれを邪魔する他人は邪悪な存在と見なしているようだ。
集団内ではルールは厳格に守られる。水中鬼ごっこであろうとプールを横切る競泳であろうと彼らのルールには忠実だ。しかしそのために集団外の人を蹴ろうとぶつかろうと意に介しない。まるでサッカー競技中に紛れ込んだヤジ馬を邪魔者として排除するような姿勢だ。
集団内では共同体的繋がりがあり、お互いに配慮しているが、その配慮は外へとは全く向かわず傍若無人の振る舞いとなる。暴力団や暴走族が迷惑なのはこれと同様、社会のルールよりも彼らの集団のルールを優先するからだ。
共同体的倫理においては仲間と他人は明確に区別される。仲間でない者は人間とさえ見なされない。昔の悪しき「ムラ社会」が思わぬ所で再現されているように思われる。共同体的意識が生まれると市民社会的マナーは無視される。日本人は社会人である「市民」としてはまだまだ未成熟で今なおムラ社会的倫理観に基づいて行動していると考えざるを得ない。
集団はマナーを守らない。自分達のルールに適っていれば良いと考える。彼らの基準では「正しい我々と邪悪な他人」となっているようだ。
集団は仲間であれ家族であれ、自分達には楽しむ権利がありそれを邪魔する他人は邪悪な存在と見なしているようだ。
集団内ではルールは厳格に守られる。水中鬼ごっこであろうとプールを横切る競泳であろうと彼らのルールには忠実だ。しかしそのために集団外の人を蹴ろうとぶつかろうと意に介しない。まるでサッカー競技中に紛れ込んだヤジ馬を邪魔者として排除するような姿勢だ。
集団内では共同体的繋がりがあり、お互いに配慮しているが、その配慮は外へとは全く向かわず傍若無人の振る舞いとなる。暴力団や暴走族が迷惑なのはこれと同様、社会のルールよりも彼らの集団のルールを優先するからだ。
共同体的倫理においては仲間と他人は明確に区別される。仲間でない者は人間とさえ見なされない。昔の悪しき「ムラ社会」が思わぬ所で再現されているように思われる。共同体的意識が生まれると市民社会的マナーは無視される。日本人は社会人である「市民」としてはまだまだ未成熟で今なおムラ社会的倫理観に基づいて行動していると考えざるを得ない。
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