俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

心理師

2015-09-11 09:51:19 | Weblog
 心理職を国家資格として認める「公認心理師法」が9日に成立した。「心理師」とは馴染みの無い言葉だ。今普通に使われているのは「セラピスト」とも呼ばれる「○○心理士」だろう。なぜ「士」が「師」に変更されたのかについては敢えて詮索しない。
 私は日本の医療に対する不信感を持っているが、特に酷いと思っているのが精神医療だ。昔の「気違い病院」の仕事は患者を家族や社会から隔離することが主たる業務だったが、今もそんな精神病院が多数残っている。治療をすることなど最初から視野に無い。死ぬまで隔離することによって患者の家族の厄介払いをして多額の報酬(医療費)を得るというあくどいビジネスだ。こんな病院に入れられたら囚人のように扱われる。人権を取り戻すためには脱出するしか無いという恐ろしい場所だ。
 困ったことに精神病に対する対応は2種類に分断されている。医学系は精神科医や心療内科医で、心理学系は臨床心理士などだ。この2者は根本的に対立せざるを得ない。
 先に言ってしまうが、私は医学系を全く信用していない。最悪の対症療法だからだ。欝状態の人に抗鬱剤を処方すれば症状が軽減する。しかしこれは治療ではない。ただの誤魔化しだ。失敗して落ち込んでいる人が酒を飲んでどんちゃん騒ぎをして憂さ晴らしをするのと同レベルの問題の多い解消策だ。
 何度も書いたことなので極力短く書くが、欝状態になるのは生活上の問題が原因になっていることが多い。それは医師の手に負えることではないのだから、薬で誤魔化すのではなく、患者本人が問題を自覚して自ら解決せねばならない。このための最も優れた手法が、フロイト以来の心理療法だ。医師であったフロイトが医療の限界を痛感したからこそ心理療法の重要性を説いたのに、なまじっか即効性のある対症療法薬が見つかったばかりに、心理療法がまるで非科学的なオカルトのように扱われている。オカルトであるのはむしろ対症療法薬に依存し切った精神医学のほうだ。
 私もそうなのだが、心に関心を持つ人は心理学を学ぶ。精神医学ではない。医学を学ぶ人は心ではなく体に関心を持つ人が多い。だから彼らは心の問題を安易に体の問題に置換してしまう。心の機微を化学反応程度にしか理解しようとしない。こんな精神科医が軽度の神経症の患者を薬漬けにして完全な狂人にしてしまう。狂った精神医療を少しでもまともなものに変えるためにも「公認心理師」が活躍できる社会に変わって欲しいと思う。
 心理療法は時間が掛かるし患者の努力も欠かせない。しかし正しく原因に立ち向かわない限り、本当の治療は不可能だ。

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